社長ブログ

社長フィロソフィー日記

これからの組織に求められる情報共有力

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最近、車を購入したディーラーに行って感じることがある。とにかくこの会社、横の情報共有が悪過ぎる。営業担当者、受付担当者、整備サービス担当者、本社のカスタマーセンターが全く連動していない。それぞれの人にいちいち事情や要望を伝えないと話が通じない。
冬用タイヤから夏用タイヤに交換するのも、先方に預けているので取り寄せなければならない。サービスの人に取り寄せておいてくださいと伝えても、決して営業担当者からは連絡は来ない。それでいて、後日カスタマーサービスから電話が掛かってきて「先日のご入庫、如何でしたか?」と(事情も知らずに)電話が掛かってくる。アポを取って訪問すると、満面の笑みで営業担当者(僕の担当ではない)が迎えてくれるものの、「どちら様ですか?」って聞いてくる。そんなに来客もないのだから、かつナンバープレートを見れば推測出来るはずだから、「何々様、お待ちしておりました」くらい言えても罰は当たらないと思うのだけど(望み過ぎ?)。
最近は、燃料が漏れているという、割と深刻と思える故障があったのだけど(しかも車検直後)、引き取りに行く都合が悪くて自宅に持ってきて貰ったのは良いとして、持ってきてくれた営業担当者に「で、結局何が悪かったのですか?」と聞いたら、「僕もサービス担当に聞いたのですが、専門用語が多くて分かりませんでした」という驚きの答えが返ってきた。車のディーラーの営業担当者が分からなかったら、顧客の僕はどうしたら良いのか苦笑するのみだったけど、結局修理報告書もまだ貰ってない。なんかおかしい会社なんだけど、入庫記録は残っていると思うので、明日辺りにカスタマーサービスから明るい声で「如何でしたか?!」って掛かってくるのだろう。
これらの事態は個人の能力もあるのだろうけど、会社としての情報共有の仕組みも大いに関係あるだろうと思う。顧客データの共有、やり取りの記録、今日の予定、修理記録などが全て共有され、いくら気の利かない営業担当者でも朝礼かなんかで「今日の動き」を再確認するミーティングがあったり、スマホにプッシュ通知が出てきたりすれば間違いようもない。これは社風の問題でもあるしシステムの問題でもあるのだと思う。
これからの組織は、たまたま担当している個人の能力に依存してはいけない。個人がナイスで優秀であるだけでは競争に勝てない。その人でなくても組織内の最善のソルーションを顧客にリアルタイムで提供できないと、情報共有システムと組織としての知恵を集める仕組みが整っている競合には間違いなく負ける。
当社はリアルタイムの情報共有と知恵を集める仕組みで少しずつ勝ってきた。この強みをまた基本から磨かないといつでも危なくなる。最近日報書くのが遅くなったり、「情報共有したところで、、、」と分かってないことをいう人もいないではないのだが、原点に戻って徹底していきたいと思います。

中途採用と仕事の説明

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最近よく、中途採用の面接をしているのだが、一つ気が付いたことがある。面接者にどんな仕事をどんな風にするのかを説明する際に、ついつい「周りを見てやるべきことを、自分の判断でやってくれれば良いです。毎日の活動は相談してくれても良いし、経費も常識的に使っても良い、自分の能力を最大限に活かして頑張ってください」とか言ってしまう。
そうすると大抵はポカンとされるか、なんとなく理解不能で固まってしまうことが多い。決められた目標とやり方の範囲内でどれだけ頑張れるか、能力を活かせるかが普通の会社だが、当社の様にニッチ分野で新規事業やR&Dを多くやっている企業では、「王道」とか「決まった道」はないのだから、「状況とその人のやる気と能力次第」で仕事内容や働き方が変わってくるのは仕方ない。
当社は定例会議もほとんど行わないし、毎日リアルタイムでスラックや自社SFAで情報共有し、情報共有している。別に書類も稟議書も要らないし、個人個人がチームの一員として、市場環境や取引先の動きを見ながら動けば良い。サッカーの試合でもルールはある程度あっても、「どんなプレーをすれば必ず点が取れるのか」なんて決まってないし、状況に応じてベストのプレーをしてくださいとしか言いようがないはずだ。
とは言え、やっぱり普通の会社の様に、「こんな風な業務範囲でこのくらい頑張ってください、評価基準は明確で、フィードバックも丁寧に行うのでキャリア的にも成長しますよ」くらいは言わないといけないのですかね。まあ言おうと思えば言えるけど。

危機感を持つということ

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今日は母校の水球部で生徒と顧問の先生方対象にミーティングを招集し、この4月からの新入部員勧誘方針について話し合った。僕はOB会の幹事長(兼ジェネラルマネージャー)を務めていて、日頃から現役選手の支援や大会の開催、遠征企画などを行なっている。
水球はいわば絶滅危惧種で、もともと超マイナースポーツでよほど支援を行い、選手を集め、必死で強化していかないと続けることができないスポーツだ。母校の茨木高校は戦前は競泳(=近代水泳発祥の地)、戦後は主に水球で名を馳せてきた。大阪屈指の進学校でこれだけ必死に体育会系の部活動が続いているのは、選手も頑張っているが卒業生たち、顧問の先生方、校長先生などの物心両面の支援があったからだと思う。
ところがこの数年、水泳部の中に競泳チームが出来て雲行きが怪しくなっている。結局水球は高校から始めるケースが多く(しかも練習も長くて厳しい)、慣れ親しんだ競泳があるならそっちでいいんじゃないの?僕は(私は)何も進学校に来てまで必死でスポーツするつもりもなかったのに、と、わざわざ水球を選ぶ生徒はかなりの「変人」だけとなり入部する部員も昨年は少なくなってしまった。この非常事態を受けて、OB会である水泳団の代表として、「今年の新入部員からは少なくとも三年生が引退するまでは水球は必須」としますという方針を打ち出したのだ。
「個人の意思を尊重して」というのは、一般論としても総論としても正しい。しかし結果として水球をやる生徒が減ってチームが成り立たないと伝統の水球活動は消滅する。水球チームが消滅すれば、水泳部に対する支援もなくなり、かなりの部分をOB会に頼っている部活動も(競泳も含めて)成り立たなくなる。いわば、「小善は大悪に似たり」を地で行くことになっている。
これは一重に「危機感がないから」ということが原因になっていると思う。「何だかんだ言ってこれまで水球は続いて来たし」「OB会が急に支援を打ち切る訳はないし」「ほっといても新入部員は入るし」、と言った様々な「危機感のなさ」が本当の危機を招いている。
今日僕が生徒に言ったのは、「水球の伝統を消滅させてしまってはいけない。個人の意思も大事だししかし伝統を守ることも大事だ。個人の自由VS伝統を守るということは白黒付けれる問題ではない。一年生の間は水球もしてください。その上でどうしてもなら競泳に選任するのは仕方ない。だけどこの高校に入ったからには水球は避けてもらっては困る」ということだ。生徒から「水球を強制するのか」(←強制はしない。競泳をやりたいという強い意志があれば個別に例外判断)、「水球は練習も厳しくてもっと効率的にやったらどうか」(←大きなお世話)、「水球部員が十分に確保出来たら競泳専任を勧誘しても良いのか」(←はいそうです。結果を出せば良いのです)、「自由じゃないですか?」(←自由は伝統と義務の上に成り立っている。伝統が失われればOB会の支援も打ち切られる)などなどたくさんの質問(クレーム)が出て、30分の予定の説明会は2時間にも渡ってしまった。面白いのは、女子は既に水球と競泳の両方をやっているということだ。水球の試合で数名は全国大会に行きながら、競泳の試合にも出ている。それはそれでうまくいっていて特に不満もないのに、新入生(今回既に在籍している新2年生、新3年生は対象にしていない)、「自由意志を尊重すべき」という一点で女子からの反発が大きかった。
今回のことに、(大昔の)卒業生の「横暴」と感じてしまう人がいるのは当然だが、ではそれで水球が滅びて良いのかというとそうではない。物事には色々な要素がある。「方針」・「原則と例外」、「個人の自由と伝統・学校の特色」があって、そして具体的に「誰々さん」という新入生の適性や希望という個別要因もある。その新入部員がいないところで抽象的に「個人の選択」と「クラブの方針」という原則論を戦わせても結論は出ない。結論は、様々な要素(と実際の勧誘部員数)を総合的に考えるということだと思う。
支援を先頭に立ってやっているのに恨まれ役になるのは割りが合わないことだ。女子部員には泣かれるし(発言していると感極まる)、男子生徒(競泳男子)には睨まれるし、水球男子には通じてるのか通じてないのか分からないし(水球男子の体たらくでこんな事態になったのに)、それでも「大善は非情に似たり」と思って損な役回りをやらして貰っている。
このことは会社経営も同じことだ。存亡の危機になって綺麗事は言ってられない。一番頑張ってリスクを背負って仕事をしているなら、会社の生き残りのためには横暴と思えることでも言い、顰蹙を買いながらも「何が大善か」という信念にしたがって行動すべきだと思う。
それにしても我ながら、「たかが」高校生の部活動にコミットしているものだと思う。他にも海外支援の公益社団法人NICCOでも似たような話もあるし、これは性分なのかなとは思う(別にそれでストレスもない)。ということで高校生に対しても「(僕が考えるところの)正論」で手加減は出来ない。ましてや大人達が集まる会社において、社会においても遠慮することもない。明日から第二四半期、気合いを入れて頑張っていこうと思います。

たかが仕事と思うな、人生と思え。

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担当者個人でなく、会社として組織として最善の対応、解決策を提案、提供するというのが当社の方針である。そのためには情報共有をリアルタイムで完璧に行い、知恵を出し合いながらチームで対応しなければならない。
これは仕組みの問題であるけれど、同時に一人一人の意識が大事だと思う。「知りませんでした、聞いてませんでした、指示されませんでした、私は私の立場でやるべきことをやりました」というのは、その人なりの言い訳であるかも知れないけれど、当社では「なんで知らなかったのか、なぜ関係者に相談しなかったのか、知らなかったことは自分の責任ではないのか、結局物事がうまくいかず、当社としての本来出来たはずのことが提供できなかったことは良くないのではないか」ということになる。しかも当社は完璧な情報共有の仕組みがあるのだから、仕方ないでは説明できないというのが僕の言い訳に対する反論の根拠でもある。
経営者はそこまでライフワークとして人生を賭けているのでそこまで考えるかも知れないが、社員は給与を貰ってその分働いているのだから、ある意味「結果責任」を取らないといけないことは酷だと考えることも出来るかもしれない。でも経営者であろうと社員であろうと、「かけがえのない自分の人生の時間の大部分を使って行なっていること」、そこに軽重はないと思う。誰だって、「適当に」生きている訳でないし、どうせやるなら社会に貢献できること、人生を終える時に悔いなしと思えることを望んでいるはずである。
また元に戻るけど、「知らなかったので仕方ない、そこまで考えてなかったです(そこまで考える義理はないです)」というのは、チームの一員として不十分という以上に、自分の人生を軽く考えているとも思える。だからそういう「適当な対応」、「雑な対応」を見ると無性に「そうじゃないだろ!もっと人生を大事に考えろ!」思って、つい言ってしまう。
ということで、「たかが仕事と思うな、人生と思え」というのが今日のメッセージです。

不確定なことに対する耐性

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この間、友人の経営者と話していて、彼の会社で、地方の国立大学を卒業して新卒で入って三年経った社員が、なんと大手企業により良い条件で転職してしまうと嘆いていた。せっかく、必死の想いでリクルートして意気投合し、大阪の片田舎の中小企業に就職してもらい、三年の間心血を注いで育ててきた。その社員が、ちょっとしたボタンのかけ違いで転職サイトに登録し、もちろんネームバリューもある大手企業に良い条件で転職していく。これは中小企業の社長としてはやってられない、理不尽ことに思えるのだろう。
教訓は二つ。いくら中小企業で、意気投合して惚れ込んで貰って入社したとしても、数年経って家族も持とうかという年齢になると、やはり人材の市場価値を反映した給料を払わないとその人は残ってくれない。「分かって貰っているから」、「新人の頃から育ててきた恩があるはずだから」というのは、中小企業の経営者の「甘え」、「油断」であって、現実は大手企業はそうやって経験を積んだ、もともと能力がある若い人たちを常に狙っていると考えた方が良い。対抗策としては、現実的には「大手並の、少なくともその市場価値にあった待遇を提供する」しかない。育てれば育てるほど、市場価値が上がっていって待遇も上げないといけないのは矛盾なんだけど、潜在的な敵が常にその人材を狙っているのだから、好むと好まざると対抗して事前に待遇をよくしておくしかない。「タレントを巡る戦争」からは中小企業も逃れられないと覚悟すべきだ。
もう一つは、そうやって転職していく人も、「世の中は不確実性と思わぬ出来事」に溢れているを知らなすぎると思う。ちょっとした行き違い、自分は全く悪くないのに訳の分からぬ理由で物事がうまく進まないことなんて、むしろデファクトで当たり前のことだ。海外貧乏旅行をしていれば、否応無く経験するだろうが、予約は当てにならない、注文したものは大抵出てこない、待ち人は来ない、わざわざ訪れた場所は閉館日、バスは来ない、知り合った人は大抵詐欺師が「普通のこと」である。
「決められた通りにやりました、それでうまくいかなくても自分のせいではありません」というのは世間を知らな過ぎるし、国際競争力は全くない。受験勉強の弊害というのか、正解を書けば点数が貰えると思っているのがオメデタイ。
当社でも若干、「物事は理屈通りに動くはず」と思っている節がある。物事は常に理不尽である訳ではないけれど、実は様々な要素に依存していることは知っておくべきだと思う。いろんな人がいろんな動機に基づいて活動している。お金のこともあれば出世のこともある、趣味のこともあれば社会正義を追求する人たちも普通に存在する。一筋縄ではいかない「異種格闘技」、「事実は小説より奇なり」が現実の世の中である。だから仕事は面白くて、そのような様々な人たちや組織を組み合わせて、全ての参加者が幸せになる仕組みを作り出すのが醍醐味だと思う。
物事は時に理不尽、油断ならない、だからこそ面白いというタフな人材がこれから求められると思います。

事業の意義、目的を明らかにする

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僕が所属している盛和塾では、稲盛塾長の経営12か条が基本的な考え方となっている。その第一条が、「事業の目的、意義を明確にする。公明正大で大義名分のある高い目的を立てる。」というものである。

「事業の意義、目的」とは、会社の活動が社会貢献に繋がっているか、つまりどの様に利他になっているかを明確にするということである。売り上げとは顧客に自社の製品やサービスを買って貰うことだから、当然ながらそれらが顧客のためになっていなければならない。そして顧客ニーズの総体が社会ニーズであり、社会的意義であると言える。すなわち、大上段に「事業の意義、目的」を考えなくても、自社の製品・サービスが如何に目の前の顧客に役に立っているのかを考え、それってどの様な社会ニーズに貢献しているのか?を深く考えていけば良いということになる。
顧客に買って貰えれば自社の利益になるが、あくまでそれは副次的なことで、社会ニーズを満たすことで、結果として高収益になることが王道である。高収益であることで社会により貢献できる仕組みづくりにお金を使えるし、会社が永続的に安定的に運営するための原資となる。働く社員の物質的な幸せも実現することも出来るので、高収益であることは絶対に必要なことだ。
そして会社で働く主体の社員が、人間として成長することが大事である。だから「仕事を通じて社員が成長すること」も重要な会社の目的に挙げたい。そして働き方としては、自分が得意なことで貢献して欲しいと思う。得意なことでないと生産性が低いし、それは他の得意な人にやって貰った方が良い。だから当社では、情報共有や助け合いを重視したチームワーク経営を目指している。実はこれは当社と他社との関わり合いも同じことで、当社は得意なこと、つまり防虫技術や知識、ネットワーク化、仕組み化を活かして会社同士の協力関係で社会に貢献しようとしている。生産が得意な会社、サービス提供が得意な会社、ソフトウェア会社、要素技術を持つ会社、また大学などのアカデミックな人たちとも協力して、社会にインパクトのある活動を全体として行いたいと思う。
ということで当社の事業の意義、目的を整理すると、以下の様になると思う。
  1. 防虫技術を活かし、衛生的な環境を提供する仕組み、住宅資産を守る仕組みを作る
  2. IT化を進め、生産性を高める
  3. 働く社員が人間的に成長する

そして結果として、他社を巻き込んだネットワークが構築され、当社も高収益になっていくはずである。という訳で、今年もこの目的を達成するために、社員一同頑張っていきたいと思います。

イチローが子供達に伝えたいこと

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最近、米メジャーリーグのイチローが日本に帰ってきていて、子供達相手のイベントでこう語ったそうだ。

  1. 自分に自信を持つ
  2. チームメートから信頼される
  3. やるべきことを自分で見つけられる

「僕もいまだにできているか分からないけど、野球をやってきて感じた大事なことです。44歳もまだまだ頑張ろうと思う。」
やはりその道で達人の域にいる人らしい、本質を突く表現だと思う。これはまさしくどんな分野でも、もちろんビジネスの現場でも通用することだ。
自分に自信を持たなければ、社会のためになり顧客のためになり、かつ自社も成り立つ大きな構図は描けない。その自信には根拠は要らなくて、要は「自分ならできる」と思えることが必要だ。
とは言え、自分一人ではできる事は限られている。チームとして目的を達成する仕組みの基に、チームメイトから信頼されてチームとして強くなる。こうでないと今の競争的な市場では生き残ってはいけない。
そして一番大事な事は、やるべきことを見つける課題設定能力である。今の世の中で、特に戦後の先進国に追いついてしまった日本が会得しなければならない能力とは、置かれた状況での課題設定を正しく行う力である。歴史上、トップランナーを走る国の責務は、世の中が進むべき道を試行錯誤しながら示す先見力だと思う。その点、この「やるべきことを自分で見つけられる」能力はもっとも重要な力だと思う。
これは企業活動でも同じで、皆と同じことを後追いでやっていても、競争力は付かない。置かれた環境で周りを見渡し、自社が得意なことで一番市場にインパクトを与える「秘策」を発明しなければならない。それが「やるべきこと」だと思う。
そう、組織の中でも最も重要なのは、課題を正しく解決できる人間だけではない。そもそもの課題を見つけ出し、それを組織としての課題と認識させ実行できる人材が最も重要だと思う。
当社は、もちろん、社会における課題設定、解決型の企業でいたい。そのためにはあくまで頭は柔らかく、視野は広く、将来を見通す能力を持った社員を育てていきたいと思います。

ヘラクレスの選択

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ギリシア神話に、「ヘラクレスの選択」というものがあるらしい。一般には、「安全な道と苦難の道のふたつの道があった時に苦難の道を選ぶこと」を言う。安全な道の果てには刹那的な快楽しかなく、苦難の道の果てには美徳があり、このどちらを選ぶのかということが「ヘラクレスの選択」である。この話は16世紀のアンニーバレ・カラッチによる絵画(1596年)にもなっている。
この場合、(ヘラクレスが行った様に)敢えて厳しい道を選ぶことが大切だ。何故なら、 たとえ目的地が同じであったとしても、過程における困難がその人の人間性を成長させるからだ。この寓話は非常に深くて、人生の目的が楽をすることなのか、それとも人間性を成長させることなのかと言うことが問われている。
話は飛ぶのだけど、当社は仕組み作りに知恵を絞る経営を行っている。仕組み作りの経営は立案し仕組みを作り上げるところまでは難しいのだけど、一旦出来上がってしまったら、仕組みが勝手に回るから手間が掛からない。いわば作ってしまえばとても楽になるビジネスモデルである。
その仕組みの中で働いていると、特に後から入った人にとっては、まるで快適な乗り物に乗っている様に「楽な仕事」になってしまう。これは善かれ悪しかれで、楽であることは快適には違いないのだが、苦労をあまりせずに済むので人間が成長するかと言われれば疑問である。確かに、要らない苦労や失敗はしない方が良いに決まっているのだが、あまりにぬるま湯に浸かっていると人間が駄目になってしまわないかと心配になってくる。
そこで当社はたまにはしんどい経験もしなければと思って、半年に一回フルマラソンに挑戦しているのだが、肉体的に数時間辛い思いをしたところで、成長という面では効果は限られている。やっぱり生活の大部分を占める仕事で切磋琢磨されないと人間は成長しないのだ。
ということで当社も来年からは「ヘラクレスとの選択」でいきたいと思います。普通の会社の様に、月に一回くらいは会議をして目的の進捗状況を討議し、四半期に一回ずつくらいは本社に集まって詰めて話をしていきたいと思う。目標が達成されたら皆で喜び、達成出来なかったら肩身が狭いくらいのプレッシャーを感じながら、社会により貢献できる様に敢えて苦難の道を選ぶ様な経営をしていきたいと思います。考えてみれば、そんなに厳しくないな。

必要な努力の量は決まっている

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この日曜日は、恒例の那覇マラソン、しかも記念すべき、当社が参加してから節目の10年目の大会であった。
思い起こせば10年前、ふと思い立ってフルマラソンに挑戦し、毎年の恒例事業になってきた。良かったことと言えば、多くの社員がタバコを止め、メタボが多少改善され、なんと言っても毎年マラソンをするということで連帯感が出てきた。
で、10年目のマラソンの結果なのだが、記録の残ってい7年間の17回のタイムが新しい順で、
4:18:26、4:42:29、4:36:34、4:07:48、4:15:07、4:11:27、3:59:05、4:08:35、4:32:13、3:56:50、4:06:40、4:52:11、4:29:30、4:42:04、4:43:43、4:34:33、4:30:27、
となっている。調子が良い時で4時間弱、最も悪い時で(台風の時の徳島マラソン)の5時間弱ということで、歳は重ねてきたけれど、タイム的にはそれなりに底上げがなされた様な気がする。
で、分かったことは、「目標を達成するための努力の量は決まっている」ということだ。
練習を積んで事前に準備している時は、本番でそんなに頑張らなくても結果は出る。逆に練習が出来てないと、しわ寄せが一挙に来て、本番でいくら頑張って辛い思いをしても追いつかないことになる。つまり目標を達成するための努力の必要絶対量は決まっているということだ。
だからいくらある社員が、「本番で僕ほど長時間、辛い思いをした人はいないです、速い人は辛い思いはしているかも知れないけれど短時間で終わるから、遅い僕らの方が実は努力しているんです」と言ったところで全く説得力はない。それは事前に努力を積んでないから本番しんどいだけで(しかも取り返せない)、本番に楽をしてそれでも速い人は、誰にも負けない努力を積んでいるということなのだ。
仕事でも同じ話で、いくら締め切りに近づいて遅くまで頑張ったとしても、なんの自慢にもならない。日頃から準備を計画的にやっていれば、本番でジタバタしなくても辛い思いをしなくても、軽く目標は達成できるはずだと思う。
そう、目標達成に必要な努力の量は決まっている、いつどの様にやるかはその人次第で、優秀な人は日頃から他人から見えないところで地道にやっている、ただそれだけだと思います。

中途採用中!

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現在ソフトウェアやITに強い人材を中途募集しているが、なかなか当社の良さ、特徴を伝えるのは難しい。上場企業を含む多くの企業が募集サイトを使っていて、その中にどうしても埋もれてしまう訳だが、当社の様に、業態的にも組織の仕組み的にも独特な企業はまずは会って貰うまでに一工夫が必要だ。

  • 「社員数で50名に満たない小さな会社だけど、業界ではリーダー的な存在なんです。」
  • 「ピラミッド式の意思決定ではなく、稟議もないし書類を回すこともないんです。」
  • 「自分の仕事は自分で手を挙げて決めることができるんです。自己都合で転勤する社員もいます。」
  • 「情報共有に力を入れていますが、ほぼネットでやり切っており、定期会議もほとんどないんです。社長も社内で用事がないと、駅前のスタバに直行してます。」
  • 「商社だけど、製品開発に力を入れているんです。」
  • 「セミナーを全国で無料でやってます。」
  • 「で、大手調査機関の企業分布では上位1%以下に入る優良企業なんです。」
  • 「当社では半年に一回、社長より年下の社員はほぼ全員フルマラソンに参加してるんです。来月も那覇マラソンに20名で参加です。マラソン前日は宴会ですよ。」

とか言ってもほとんど説明することが困難だ。何回か会ったり一緒に仕事をしたりするとだんだん分かってくれると思うのだが、これを初対面の人や転職サイトで紹介するのは不可能に近い。​​転職サイトで特集​​してもらって、なるべく説明したつもりだが、やっぱり実際に働いてみないと想像できないだろうなと思ってしまうし、入社した社員はほとんど退職しないというのはやはり働き易いのだと思う。
とは言え面白いのは、そう言いながらも何かしら奇遇とも言える縁があって、丁度良い人が採用できるのは不思議である。言葉で分かって貰うのは難しいかも知れないけれど、出会うべくして出会えるのは「縁」の問題だから、それは結構僕は得意分野なのかも知れない。
ということで、採用面接、僕自身も楽しみにしています。

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