社長ブログ

社長フィロソフィー日記

名言。。。

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若くして大成功したベンチャー企業であるグリーの田中社長が、面白いことを書いていた。 「トップレベルのベンチャーや新規事業の成功要素は三段ロケット説。1段目が気合いと根性と行動、2段目が分析や計数管理、ロジカル・クリティカルシンキング、そして、三段目が不可能を可能にしたり、勝ち目のない戦いでも勝てたり、神風を起こせる力。3つできないとトップレベルになれない。」 まさに名言である。気合と根性、それに行動がなければそもそも始まらない。あの楽天だって、三木谷社長がよく書いているように、最初は(今も)体育会系のどぶ板営業をやって始まった会社だ。要領良く、他人の褌だけでビジネスモデルを構築することは出来ず、どっかで誰だって根性と気合で頑張らないといけない時期がある(ずっとそうかも)。 そして気合と根性だけではいけない。ある段階からは戦略的に、論理的に正しい効率的なステップを踏むべきだ。管理会計を導入し理屈でも正しい経営をしなければある程度で成長が止まったり、放漫経営になってしまう。 さらに大成功するには、理屈だけでは割り切れない「運」の様なものをひきつけなければならない(らしい)。気合と根性があって、合理的戦略的に経営をしていても不十分だと言うのは、流石大成功したベンチャー創業者だけのことがある。問題はどのように「神風を起こすか」だけれども、それは第1段階、第2段階をクリアしてから考えよう。 そういう訳で当社はまだ第1段階をもがいているところである。ここをしっかりとサボることなくクリアして、大成功の道を進みたいものだと思う。

『経営とはこんなものだろう』

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盛和塾の会報誌を読んでいて、稲盛塾長の言葉が大変印象に残った。 「おそらく盛和塾というものに触れていない経営者の方は、お祖父さんやお父さんの代からやってきた惰性で経営されているのだろうと思います。『経営とはこんなものだろう』というように経営している人が、日本の中小企業の大半ではないでしょうか。」 惰性でやっていても、先代までの経営がしっかりしていれば会社は急に傾くことはない。しかし時間が経つにつれ、必ず強みが薄れていき社員の心はバラバラになり、いつしか衰退企業になってしまうであろう。「経営とはこんなものだ」というのはなんて不遜な言葉だろう。 自ら学ぶことなしに日々の研鑽がないままに漫然と経営をしていたら、競争に勝ち残っていくことは出来ない。間違っても「経営とはこんなもの」と勝手に思ってはいけないし、常に学び外部からも刺激を受け、高い山を目指して理念を高め続けていきたいと思います。

会社の目的 (2)

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最近「社会企業」とか「社会起業家」というのが流行っているが、そもそも会社とは社会的な目標を持って運営されるべきものである。 「それをやって儲かるか?」、「それでいい生活が出来るか?」、「それをやって有名になれるか」だけで経営をやってもその企業は長続きしない。最初はそのようにも考えて「私心」だけで起業するかも知れないが、経営者が私心だけで経営していては起業が永続的にそして社員が幸せになることは出来ない。 そこで経営理念と言うものが必要になるのだけど、この理念は経営者と社員が一体となって具体化していくものだ。額に飾ってあって朝礼の時にだけ唱和するものではない。社員の誰に聞いても即返事が返ってくるほど浸透していて、その会社の価値観として定着しているものでなければならない。 会社理念は経営者のためだけにあるのではない。社員の幸せのため、顧客の幸せのため、そして広く社会のために会社が存在することを説くものである。独善的であってはならないし、私心だけのものであってもいけない。しかもその理念は会社が成長していくに従って、段々と進歩、変化していくものでもある。経営者が成長するに従って、考えも学びも深まるだろうから、それに応じて理念も高まってくる。 こう考えると、企業、特に社員や顧客に支持され社会のためになろうとする企業はすべて「社会的企業」だ。しかも経済的にもうまくいっているから、スケールも大きくより大きな良いインパクトを社会に与えることが出来る。 当社もこのような社会的企業として発展していきたいと思います。

理念は進化する

カテゴリー: 経営日記

今日は盛和塾の他支部である「大阪」の勉強会に参加してきた。色々と学びが多かったけれど、一番印象に残ったのは「理念は進化させるもの」と言うことである。 経営には理念が必要だ。「何のために会社があるのか」を明確にし、その理念に沿って会社のベクトルを一つにするのが経営を行う要諦であると説かれる。しかしその理念は金科玉条的に固定化されたものではない。稲盛塾長が「私の人生は理念を高め続ける日々でした」と回想されているのだか、それは取りも直さず、「理念は進化、変化するもの」であることを意味する。 会社理念といえば昔々に経営者の誰かが決めて額に飾ってあって、社員は誰も気にもしてない存在かも知れない。実際当社も理念について語ったこともない。でもそれは会社経営に取っては必ず必要なものなのだ。 理念経営を明確にはしていないことについて、盛和塾では僕は若干引け目を感じていたのだけど、今日の話で腑に落ちたことがある。「理念は高め続けるもの」ということは、今はぼんやりとしている「理念の様なもの」が、その内明確になり、また変化し、段々と高度化する可能性を示唆しているのだ。 今は明確でなくても、「卑怯な真似はしない」、「顧客との共存を図る」、「合理的に仕事をする」、「顧客に本当に喜ばれることに知恵を絞る」、「当社と付き合って良かったと思って貰う」、「誠心誠意行動する」、「知恵を絞って仕組み化していく」、「高利益経営を目指す」、「自分が嫌なことを他人に強要しない」、「社員の幸せを考える」、「仕事のやりがいを優先する」、「無駄使いはしない」...、など考えて出すと切りがないくらいに当社の価値観のようなことは思い浮かぶ。 それが「社員の物心両面の幸福を追求する」とか「○○を通じて人類の発展に貢献する」とかの社是や理念に結実していく訳だが、当社がまだ明確な理念がなくとも、仕事を通じて考えがまとまり、そしてまとまったものがまた進化・変化していくものとすれば、それは人生を通じて磨いていくものだと考えられるだろう。 毎月第一土曜日にこの勉強会は開かれる。これから出席してまた学びを深めていこうと思います。

ツウィッター

カテゴリー: 日常

最近ツウィッター(ツイッター?)始めました(@junichiro1106)。活用方法はいまいち分からないけど、ブログより気軽です。著名人も政治家も、なんと稲盛さんまでやってる!!ちょっと驚きですね。

それを言っては、、、

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今日ある会社の人と打ち合わせをしていて、こちらが理路整然とあるお願いをしたのだけど、「理屈はそうだけど、そうはいかんのです」と訳の分からない理由で断られてしまった。 いわく「前例がない」、「当社にもしがらみがあって」というのが理由?の様だけど、理屈で詰めていった僕に対して最後は「私もサラリーマンですから」の一言。 サラリーマンが「私は(しがない?)サラリーマンですから」と言っちゃあおしまいだと思う。別に雇われていることは卑しいことではない。別に会社オーナーであろうとなかろうと、雇用されて給料を貰うビジネスマンであろうと全然関係ない。要するに自分の考えで物事を判断し、正しいと思ったことはきちんと認めて社内的にも通して貰うのが誠実な人間ってもんだ。 面白いことにその打ち合わせに同席していたその会社の他の人から電話があって、「社長(=僕)の言われていることは正論です。今から独り言を言いますが、こういう風に再度提案されればうまくいくのではないでしょうか」と入れ知恵して貰った。有り難かったけれど、それなら後で電話などと回りくどいことをせずにその場で言ってくれよなとも思う。実は「今から独り言を言いますが」というのも常套句で、僕が昔勤めていた銀行でも使っていた課長がいたなあ。 なんにせよ理屈が通じないのは面倒くさい。「所詮サラリーマンですから」なんてラストワードだと思うのだけどどうだろうか。

人材

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事業拡大、新規事業展開に人が足りなくなってきている。稲盛さんの教えによれば「人材補充は泥縄式で」なんだけど、既に泥棒は捕まえていて縄がない状況になっている。 当社は常に即戦力が必要なので、ITに強い人、建築業界に詳しい人、今の会社でも10年程度勤めていてチームリーダーとして優秀な人、誰かいませんかね?

経営者の役割 (4)

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経営者の役割には様々なことがあるけれど,僕が今やっているのは以下の様なことである. (1)よく考えること.ひたすら自社の強みや市場機会,社会のニーズなどを分析,また自社の実績をデータ分析してこれからするべきことを考える. (2)決めること.会議や立ち話で社員,顧客,外部の意見を聞きながら,やるべきことをどんどん決めていく.誰かが決めないと物事は進まないし,中小企業だと経営者が決めないといけない.そして決めたことはフォローアップの仕組みを作って実行されたかをチェックする. (3)仕組みを作ること.ひたすら考え物事を決めていくのは,会社の仕組み作り,端的にいうと「儲けの仕組み」を作っていくためである.「儲けの仕組み」がない会社は,ひたすら働いても消耗戦に陥っていくから,「がんばればその分報われる」ようなビジネスモデルを作るべきである. つまり僕の場合,営業や開発,生産の最前線に出て率先垂範するタイプではない.むしろ事態を少し引いて見てよくよく考えて次の策を練る方である.経営者としての役割はその人や会社の事情によって違うだろう.でも大事なことは経営者が責任を持ってよく考え,明確な結論を出すことだと思う.

伊丹空港廃止?

カテゴリー: 日常

ニュースで知ったのだが、伊丹空港の将来の廃止が真剣に検討事項として挙がっているらしい。もともと橋下大阪府知事が提案したことを、国交省が可能性として言及しているのだ。 別に伊丹空港が廃止されようとどうなろうと、(僕にはすごく不便になるのだけど)それは大きな問題ではない。大きな問題は廃止検討理由である。 廃止検討の理由が伊丹空港が不採算であるからではない。橋下知事、そして国交省が挙げている理由は、「関西空港が不採算であるから」である。つまり伊丹空港を廃止すれば、利用者はやむなく関西空港を利用するから、関西空港の経営が楽になるというものである。 誰が聞いてもおかしな理屈だと思う。だって、不採算商品・事業がある場合に、その不採算商品・事業を縮小・廃止するのではなく、投下資本も大きくてその不採算商品・事業は止められないという理由で、採算の取れている商品、業績の良い事業の方を廃止することで顧客を不採算商品・事業に誘導しようとしているのだから。 つまりは顧客の支持を受けているものを止めて、顧客の不便を強いることで支持を受けてないものを無理やり救おうという話である。これは供給者の理屈であって、顧客不在の理屈である。 民間の感覚なら、まずは駄目なものを改善する努力をする、それでも駄目なものは早めに見切りをつけ良いものを伸ばすことである。駄目なものを救うために良いものを止めるというのは全く理解できない。 こんな話がまかり通るなら、関西経済もますますお先真っ暗の様な気がする。そしてこんな話が日本全体で行われるなら、日本の将来も真っ暗だなあと思ってしまう本日でした。

必然的な偶然

カテゴリー: 日常

人生は偶然に満ちている。 と言うか、ほぼ総てのことが偶然から始まるものだと思う。人生を共にする配偶者だって、最初は何かの機会で「たまたま会った」ことから始まる。たまたま適当に決められたクラスが一緒だったり、たまたま何かの時に席が隣だったりすることから始まるのだ。勤める会社だってそう、「たまたま」目についた求職案内だったり、その求職案内も「たまたま」先月出た欠員を埋めるものだったり、その欠員が「たまたま」夫の転勤に伴うものであったり、まあ「たまたま」の連続である。 先日もある案件でどうしても訪問して相談したいと思っていた人がその矢先に、「たまたま」ランチをとっていたファミレスの隣の席に案内されて来た。でその大切なお願いをその場で相談し依頼したのだが、これもその人が「たまたま」近くで仕事があって「たまたま」道が空いていたので早く到着して時間調整のために立ち寄ったに過ぎない。 自分の人生を振り返ってみると、本当にこの偶然に支配された出来事に沿って歩んできたと思う。そもそも中小企業の経営をしているなんて思ってないし、昆虫関係の仕事なんて全く予想していなかったし、これまで出会った人も社員もすべて「たまたま」の連続で出会いが生じた人たちばかりだ。 でも更に良く考えてみると、「たまたま」なことが実はある種の「必然」であることも分かる。僕の場合、たまたまこんな立場でこんな仕事をしている様に見えるが、実は僕の使命が「専門性を活かして社会貢献をすること」であれば、例えば昆虫の知識・ネットワークを活かしてアフリカのマラリア対策に貢献したり(現在も当社の社員がマラウィを訪問している)、親が会社を経営していたという「たまたま」も僕が経営者になる「必然」を導くための要素だったとも言える。 「たまたま」結婚した妻の両親がNGOをやっていることも国際貢献を目指す僕にとっては「必然」とも言える。なんでか分からないけれど、神様に仕組まれているように「たまたま」なことが生じることが多いのだ。 「たまたま」が「必然」であるならば、何も恐れることはない。その「たまたま」を楽しみ、後を振り返って必然的な人生の使命を果たせるなら、それが本分というものだと思う。 さて今日はどんな「たまたま」が起こるか楽しみです。

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