社長ブログ

社長フィロソフィー日記

合成の誤謬

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経済学の言葉で「合成の誤謬(ごびゅう)」というのがある。ウィキペディアから引用すると、

何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。 」

ということである。

今回の震災における消費自粛がこれに当たる。 「被災地の方を思って」控えられる消費、そして将来への不安からも消費するよりは貯蓄に回そうという行動も取りがちである。この行動はミクロでは正しく、被災者への同情からは当然だし、所得が一定ならばその通り貯蓄額も増える。

しかし消費が減ればどうなるか。消費減は提供する側(企業)に取っては売上減である。 消費者が同時に給与所得者であったり自営業者であるから、皆が消費を控えてしまうと所得の源泉になっている売上、利益もマクロでは減ってしまう。その結果所得も当然削減される。とすると、ミクロでは正しい行動が回り回って自分の所得減に繋がってしまうのである。そして企業利益が減るから法人税も減って所得も減っているから所得税も減って、結局は誰も得しない、そして勿論被災地への支援資金も出て来なくなる。まさしく「合成の誤謬」である。

だからこれを避けるには、政府は強制的に税金を取って強制的に消費する(公共事業)をやらざる得なくなる。一番効果的な景気刺激策は、倹約家の人から税金を取って浪費家の人に補助金を与える事という笑える?話も実は本当だ(その発想で若者への所得移転が提案されている)。

だから思うのだけど、例えば「今年稼いだお金は全部使うか、被災者支援に寄付してください、年越し(宵越し?)のお金が余ったものは全部没収です」とでも法律を出せば、いっぺんに景気も良くなって支援も出来ると思うのだけど、どうだろうか?無理ですね、はい。

 

やってる人を批判しない。

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震災に関する報道やそれに対するコメントを見ていると、人間には二種類あることが分かる。「やっている人、それを支持する人」と「やっていない人、やっている人を非難する人」である。

菅首相だって東京電力の人だって、一生懸命災害対策のために寝ずに働いている。勿論その立場にあったり、責任がある企業の人だから当然なのだが、でも同じ人間が必死で職務を遂行しようとしている。行政の人もそう、NGOの人もそう、被災地から離れていても節電などで協力している人も「やっている人」である。自分で何も出来なくても、わずかな募金でもそれは「やっている人、それを支持する人」である。

反面、「やり方がまずい、政府、東電はけしからん」とこの最中に批判する人たちもいる。こういう人たち限って「では彼らに替わって出来るのか」と問われれば「俺はそんな責任はないし」と逃げる様な人たちである。批判はいつでも出来る、事が全て終わってから総括の意味で批判して次に備えることは建設的かもしれない。しかし「最中」に他人を批判している精神的エネルギーがあるなら、自分が少しでも「やる側」に回って欲しい。Youtubeを見ていたら、たけしが政府の対応、蓮舫大臣の格好まで非難していた。それは老人のぼやきにしか聞こえない。能力は不足しているかもしれないけど、少しでもやっている人を批判する位なら、自分がやれよと言いたくなる。

企業でも同じである。企業活動では少しでもやっている人が偉い。何もトライせずにぼやいてばかりいる企業は必ず衰退するし、業績悪化を環境のせいにする企業風土があれば、チャンスがあっても伸びることはない。全て原因は自分、他のせいにしたり、頑張っている人を批判するのは良くないと思う。

こういう時こそ、どうやって自分が「やる側」に回るか、これが課題だ。これまでの生き方、これまでの企業活動のあり方を見直して、世の中の役に立つ存在でありたいと思います。 

 

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