社長ブログ

社長フィロソフィー日記

企業の社会的責任 (2)

カテゴリー: カテゴリ未分類

先日友人と話していてあらためて「企業の社会的責任とは何か」という話題になったので、以下のように答えた。 企業の社会的責任の第一義は、そもそも企業の事業目的が社会のためになっていること。そして社員のためにもなっていること。逆に社会からも社員からも評価されなければ、存続、発展していくはずがない。 二義的には、しっかりと利益をあげて税金を納めること。その税金が政府セクターを通じて公共目的に利用される(はずだ)。利益があがるということはそれだけ社会から評価されているということだし、特に創意工夫がなされて効率的・効果的に会社が運営されている証しでもある。しっかり収益をあげてしっかりと納税したいと思う。 第三には企業の専門性を生かしてボランティア的な活動をすることだ。当社は昆虫関連が専門だから例えば「途上国におけるマラリア蚊防除プログラムへの協力」、「地元児童に対する自然教育」なんかがテーマになる。 そして最後に寄付活動だ。これは事業目的とも専門性とも違っているかも知れないが、とりあえず良いと思われる公的活動に対して金銭的に貢献しておこうとするものである。本当は上記三の方法が好ましいけれど、時間的な制約もあれば金銭的に貢献するのも十分ありだと思う。 僕の中では上記の順番は明らかだけど、覚書としてブログに書いてみました。

社員の責任、社長の責任

カテゴリー: カテゴリ未分類

自分の仕事に責任を持つという意味では、会社の社員であろうと社長であろうと、立場に応じた責任がある。 世間でもよく言われる様に、社長の責任とは(1)会社の意義・目的を明らかにすること、(2)そしてそれを実現するための仕組み(システム)を構築することである。 そして社員で責任とは、(3)プロセスを実行すること、そして(4)プロセスを創意工夫により創造することである。 つまりプロセスを忠実に実行し、日々改善して行くのは社員の重要な業務である。商品を考え営業活動を行い、取引に必要なチェック事項を一つずつ押さえていくのは社員の仕事だ。製品の性能や品質をチェックしたり、チェックするプロセス自体を考え出すことも日々業務に当たる社員の役割である。社長はプロセスの一つ一つを細かく監督してられないから、自分の業務を責任持って実行する、そして創意工夫し自分の頭を使って日々改善して行くのは一人一人の社員の役割である。 社長の役割とは、そもそもそのプロセスが何のためにあるのか、社会にとってどんな意義を持つべきなのかという目標の設定である。そしてプロセスを忠実に実行し日々改善していても結果として業績が上がらない、社員も幸せにならないとすれば、それは「そもそもの仕組みが間違っている」ということでこれも社長の責任である。 (1)事業の目的、(2)仕組み、(3)プロセスの実行、(4)プロセスの改善・創造と分けることで、社長の責任、社員の責任が分かりやすくなる。これを曖昧にして、「社員が働かないから」とか「総て社長の責任」とか言ってもはじまらない。当社の場合も、僕も頑張るから社員のみなさんも、しっかりとやって欲しいと思います。 あ、大事な事を忘れていた。(1)(2)(3)(4)と責任を果たした上で出た結果は、総て社長が負う。結果が出ないとすれば、(1)社会や顧客に必要とされていないか、(2)仕組みが間違っているか、(3)社員がプロセスを実行していないか、(4)プロセスの改善をサボっているか、のどれか(複数可)である。で、社長はその間違っている点を修正する義務を負うのだ。

社長の答えは決まっている

カテゴリー: カテゴリ未分類

昨日たまたまワールドビジネスサテライトを観ていたら、中小企業の事業承継の話題が特集されていた。何十年も続いた会社の跡取りとして女三姉妹の三女が選ばれたのだが、社長就任早々の会議で社員に鋭く突っ込まれてたじたじしているシーンが映っていた。 それを観ていて僕はなんだか違うよなと感じたのだが、そもそも社員が社長に質問して答えを期待するってのが間違っている。番組の中で幹部らしき人が「その新規開発商品は類似品が結構あるんですよね」と評論家的なコメントをしていたけれど、本来なら、「類似する点があると思いますが、その点調査したところ特許は問題ありません。で、その商品はこの点は確かに新規性はないけれど、他のこの点を強調するようにコンセプトを変えれば十分通用すると思います」位は言って欲しい。 他にも「その価格設定は送料を含むのですか」という質問もあった。そんなの僕なら「どちらでも良いけれど、売上最大化、経費最小化を達成するにはあなたはどう考えどうすればベストと思いますか?」と返すだけである。 そもそも「社長が一番能力があるべきで、質問すればなんでも正しい答えを持っていて当然で、社員はその指示に従っていれば良い」という考えが間違っている。現場の最前線の自分達が分からないことを社長が正しく答えを分かっているはずはないのだ。 社員の質問に対する社長の答えはいつも決まっている。「(1)どういう事実があって、(2)それに対してどの様に考えるべきで、(3)あなた自身はどう思うのですか?(4)そのあなたがよく考えて出した答えを実現するために、社長である私は何をすれば良いですか?」である。 まあこう言うと如何にも手を抜いている社長に思われるかもしれないけれど、実際こう考えて僕は仕事をしています。

情報の整理

カテゴリー: カテゴリ未分類

最近ようやく当社でも、真剣に品質保証体制を強化しようと奮闘している。この間から大手メーカーOBの方に来て貰い指導してもらっているのだが、やはり相当基本が出来ていないようだ。 業務改善や契約関係の整備もさることながら、まずは社内の整理整頓が出来ていない。半年に一回くらい大掃除しているはずなのだが、何年も生き残った書類や元商品の「ゴミ」が溜まりに溜まっている。いっそのことこの際改装しようと思いたち、僕のいるフロアーはまず机も棚も総入れ替えすることにした。 それにしても資料や雑誌なども多い。僕も例外に漏れず、読む予定の雑誌や本などが山積みになっているが、これは考え方を変えないといけない。いつか読むだろう、いつか使うだろうという資料を掘り出して活用したことが殆どない。重要な情報は全てパソコンとかサーバーに入っているから、物理的に置いておくべきものは殆どない筈だ。 そもそも「資料が積んである」状態は「流入量が処理量を上回っている」からで、そのままの状態では一生かかっても資料の山が低くなることはない。とすれば、ある時期で見切りをつけて捨てるということが必要だ。 「流入量が処理量を超える」というのはこの情報化社会の宿命だ。昔で言う「仕事ができる人」とは頭の回転 が速くて本をたくさん読み、「知識が多い人」だった様に思う。でも今ではどんなに頭の回転が良くて情報をより多く処理できようと、それを遥かに上回る情報量に溢れている。どっちにしたって総ての情報量を頭に入れておくことは出来ないし、そんなことをしようとしたら時間がいくらあっても足りなくなってしまう。 今の「仕事ができる人」の条件とは、「得るべき情報をしっかり見分け(他は捨て)、考える時間を取れる人」ではないかと思う。電車の中で本を読むのは時間の有効活用だと思うが、それによって莫大な情報を「得ているだけ」なら意味がない。自分の頭でしっかりと考えかつ実践することが(当たり前だけど)大事だと思うのだけどどうだろうか。

紙一重の差

カテゴリー: カテゴリ未分類

最近はワールドカップを観ていて家族共々寝不足気味だが、紙一重の差で勝敗が決することをよく目にする。日本代表がベスト8を賭けたパラグアイ戦だって、PK戦のたった一本のシュートの成否が勝敗を分けた。

 勝てばベスト8で、前評判からすると「奇跡のまた奇跡」である。それが後一歩のところでスルリと手の中から抜けてしまったのだから大変残念だ。

 こういう「大魚を逃す」出来事は、その時はほんとに惜しかったなあと思うのだが、少し時間が経つと「まあそれも必然か」という気がしてくるから不思議だ。試合内容的にはどちらもベスト8に値するほどの超一流とは言えず、どちらかと言えばパラグアイが押していたと思う。

それでも延長戦でも決着が付かずPK戦までもつれこみ、結局駒野が放ったシュートが数センチ上に行ってしまったことで敗戦となってしまった。

この「数センチの差」とは一体なんだったのだろうか。勝負事だから最後は「運」ということになるのだが、敢えて言うならそれは「あれ位の激戦を何回くぐり抜けたか」という差だったように思う。

激戦の最後の最後で勝つか負けるかは、その人やチームが過去にどれくらいそのレベルの戦いを行ってきたかによる。最後の最後で力が出せるかどうかは、「最後の最後」という場面を何回経験できたか、またはそれに近しい練習で追い込めたかによる。

 日本代表だって、ワールドカップ直前でそれまでの4年間で築き上げたものを捨てて守備的な新システムをぶっつけ本番で行った。それは本番を迎えてレベルの上がってきた他の代表チームには通用しないことが直前に判ったからであり、それまでのシステムや練習が「最後の最後に結果の出せるレベル」に達していなかったからだ。

そして通用しないものは駄目という当たり前のことを正面から受け止め、「通用するかも知れない」システムに変更したというだけである。この点で「これまで築き上げてきたものが崩れかけている」と批判した中村俊介は間違っていたと思う。確かにそれに気づくのが遅かったことはあるが、気づかずもしくは気づいても訂正しなかったよりは随分とましだったと思う。

企業にとっても「最後の最後の場面で力を出す」というのはとても大切だ。物事には踏ん張りどころというのがあるし、そこで結果を出せるか出せないかがその企業の将来を決める。

そのためには日ごろから「最後の最後」を想定した仕事ができるかということだ。日頃低いレベルで仕事を行っていたら、いざというチャンスで力を発揮できないだろう。大魚を逃せば次はいつ幸運が巡ってくるかわからない。常に厳しく真剣に仕事をしていきたいと思う。

来社か訪問か

カテゴリー: カテゴリ未分類

顧客や仕入れ先、その他の人達と会う場合、来てもらった方が良い場合とこちらから行った方が良い場合があると思う。 普通だと「立場の弱い方が行く」とか考えて、顧客のところは必ず行く、仕入れ先は必ず来て貰うみたいな話にもなる。でもビジネスは別に上下関係でもないから、双方にメリットがあるような形で面談すれば良いと思う。 僕の場合だと、仕入れ先メーカーでも顧客でも、僕から単独で行くことが多い。行けば大抵複数の人に会えるし、相手の権限を持つ人、担当者、それに会社の雰囲気も良くわかる。当社の複数の人が必要な会議には、来てもらった方が時間が調整しやすくて良い。 経営者としては「考えること」が仕事だから、訪問の為に移動が多いのも「無駄」という訳ではない。会社の椅子に座っていない方がなんだか落ち着いて考えられるし、今時モバイルは環境が整っているから、なんでも出来たりする。 逆に数字を背負って毎日一生懸命顧客との接触回数を増やそうとしている営業担当者こそ、なんらかの企画を考えて顧客の方から来てもらえる仕組みがあった方が効率的である。当社が定期的にやっているセミナーは、顧客の方から集まってくれる良い機会である。その機会に複数の人と話をし、次回訪問時の打ち合わせもできる。 来社か訪問、どちらにせよフットワークを軽い方がビジネスには有利だ。当社の強みは機動力だから、多くの人と効率的に会える様にまた明日から頑張っていきます。

今、何の役に立っているか

カテゴリー: カテゴリ未分類

最近ipadを買って、ただでさえ情報過多なのにますますその傾向が酷くなってしまった。それはさておき。 この間また高校のクラブを見に行った。もうすぐ全国大会の予選で練習も佳境である。一人一人の生徒を見ていると、「今、自分が何の役に立っているのか」を自覚していない場合が多い。チームが攻撃中であれば自分も攻撃に参加する、囮になって動く、攻撃に参加しないなら次のディフェンスに備えたポジションを取るなど「意味のあること」が幾らでも考えられる。フィールドのどこにいようと、意図さえあれば何時だってどういう形であれ試合に影響を与えることが出来るのだ。 良くないのはもちろん「何の役にも立っていないこと」だ。攻撃中に攻撃に参加せず、かと言ってディフェンスの準備もせず、呆然と自チームの攻撃を眺めているのが一番良くない。プールに浮かんでいるだけでは何の貢献もしていない。常に自分どういう意図では何をすべきで何の役に立っているのか、頭を使ってプレーしなければならない。 スポーツは典型だが、どんなことにも意味があり、ある目標に対して何らかの効果をもたらすことが出来る。仕事はもちろんそうで、漠然と業務をこなすなんてあり得ない。今日の訪問の意図、通勤中の動き、ランチを誰と何のために摂るのか、起きる時間、運動、何もかもが目的と意図を持って計画されなければならないと思う。 結果的にそれらがあいまって目的達成に資する。そうすれば初めて休みでも取って「意味もなくぼんやりする」ってことで良いんじゃないかなと思います。

臥薪嘗胆

カテゴリー: カテゴリ未分類

昨晩はワールドカップのカメルーン戦で盛り上がったと思う.我が家でも小学生の子供たちが前半まで観戦,今日は眠たそうに学校に向かっていった.

華やかなワールドカップの報道の中で,目を引いた記事があった.「三浦カズ,W杯を『封印』し宮古島へ」というものである.カズは先月太股を負傷した.そのリハビリとトレーニングのために,チーム練習に参加する形で宮古島へ行ったというのだ.

中山や宮本など,昔活躍した選手は今回のW杯報道で解説などでテレビに引っ張りだこである.当然カズにも声が掛っただろう.でもそれらを断って自身のリハビリを優先させた訳である.

カズはワールドカップに出ていない.日本は出場したのに,彼は直前に当時の岡田監督に外されてフランスから無言で帰国した.何の因果かまた代表監督を務める岡田監督にも,まだわだかまりがあるのかも知れない.それにしても大御所をきどることなく本気で代表復帰を目指して練習しようとする姿勢,自身出場していないW杯で嬉しそうに解説などしていられないという悔しさ,43歳で怪我をしてもまだやろうとする気概,常に順風満帆とはいかない我々ビジネスマンも学ぶところがあると思う.

人間は調子のよい時よりも悪い時にその人間性が問われると思う.会社もそう,業績が良い時はいけいけで周りもちやほやするものだが,そんな時にもしっかりと地面に足をつけて,「やるべきことをやる」と言う一点で仕事に当たりたいと思う.

ベスト4を目指す

カテゴリー: カテゴリ未分類

昨日、サッカーのワールドカップが開幕した。開幕戦の南アフリカ対メキシコをところどころテレビ観戦したが、地元南アフリカは実力ではずっと上のメキシコにもう少しで勝つところだった。やはり本番は、何が起こるか分からない。

日本代表の岡田監督が「目標はベスト4」と言って失笑を買っているようだが、チームを引っ張る監督の役割としてはベスト4は当たり前、最低限の目標だと思う。

「何を目指すか」という目標設定が一番重要だ。日本人は大抵控えめで真面目だから、「こつこつ努力して目の前の小目標をクリアする」ことが美徳とされている。でも大きな目標を掲げずに「こつこつ努力」していては、一生大きな目標に達しないことも事実なのだと思う。

三浦雄一郎さんが70歳でエベレストに登ろうと、最初は裏山に登ることから始めた。でもそれはエベレストに登ろうと思って裏山を歩いたから最終目標に繋がっていったのであって、単にぼんやりと裏山を歩いていてエベレストに登れるようには絶対にならない。

京セラの稲盛さんは会社をスタートした時から世界一の企業になると決めていたのであって、(当時会社のあった)西の京一の会社になり、中京区一番の会社になり、京都で一番の会社、そして日本で一番、そして世界で一番の会社になろうとみかん箱の上に立って社員に演説していた。そしてマラソンに遅れてスタートした京セラが先行の大会社に追いつき追い越すために、「最初から100メートル競争のようなダッシュで走ることを決意し、途中でぶっ倒れていもよいからやり続けよう」と激を飛ばしたものらしい。

ソフトバンクの孫社長もそう。アルバイト二人の時代にやはりみかん箱の上で、「将来一兆、二兆という単位で仕事がしたい」と演説したら、翌日から誰も来なくなったり。

まあ上記の例は極端かも知れないが、「高い目標を設定しなければそのレベルには絶対達しない」ことは確かだと思う。つまり「非連続」で今の実力をはるかに超えたところに目標を置かないと、進歩はないってことだ。

あえてベスト4という突拍子もない目標を置いて世間に公言し、それを大真面目で考えて歴史の大舞台に立とうとしている岡田監督は偉いと思う。そう思ってそれに必要な準備を精一杯やって、結果的に達成出来なくてもそれはそれでいいではないかと思う。真剣にベスト4を目指すことで見えてくる課題もあるし、低い目標を立ててそれを達成する方が高い目標を立てて失敗することよりも偉いとするメンタリティーは、ちょっと僕には分からない。

そうそう、実は岡田監督も盛和塾生で、意外とあの目標は稲盛さんに優勝を狙えと言われて、いやいやベスト4位にしておきますって感じで決まったかもしれないなあ。

 

恩を返す

カテゴリー: カテゴリ未分類

一昨日は盛和塾の例会で高松に行った。JAL会長職の激務でさすがの稲盛さんも風邪をひいていたようだが、その合間を縫って塾生のために地方にまで出かけてくれている。

何度も強調されることだが、どうして稲盛塾長が我々のためにこんなにボランティアで指導してくれるか、それは中小企業の経営者が立派な人格者になり立派な経営をしていると、その社員の人生が豊かになっていくからだ。稲盛さん一人が数千人の経営者を指導する、そうするとその経営者の会社にいる社員、恐らく数十万人の人生が豊かになり、その家族数百万人の人生に普及していく。

稲盛さんに対する恩を返すのは、彼に直接ではない。稲盛塾長に恩を受けたと思ったら、それは彼の意図通りにより多くの社員に還元していくことだ。

親の恩は親孝行も大事だけど、自分の子供を立派にし親から継いだものを立派にしていくことで恩返しをしていく。恩師から受けた恩は、その先生に返すのではなくて今度は自分が他の人を教えていくことが本当の恩返しだ。

こう考えると社会を良くすることは簡単だ。人は一人で生きていくのではない。色んな人に支えながら恩を受けながら成長し、生きている。その恩をより多くの他の人に「返して」いけば、受けた恩は何倍にもなって社会に還元されていく。皆がこういう心がけをしていたら、社会は絶対に良くなっていく。

僕も高校の先生には大変世話になった。その熱血指導がなければ今の自分はないとさえ思っている。だからその先生に直接恩返しすることも大切だけど、今の高校のクラブの後輩に何倍にもして返してあげたらと思う。

受けた恩は、何倍にもして他の人に返せ。これが本当の恩返しだと思うのだけど、どうだろうか。

PAGE TOP