社長ブログ

社長フィロソフィー日記

未来を選ぶ

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今日打ち合わせのため母校の水球部に行って、ついでに練習をみていたのだけど、彼らはまさしく今、「未来を選んでいる」最中なのだと思った。

毎日冷たいプールの中で厳しい練習を積み、もうすぐ全国大会の予選を迎える。勝つと負けるとでは結果は大違いで、大げさに言えばその後の人生にまで影響を与えてしまう。そしてその試合の結果は今日や明日の練習の成果にかかっている。いや当然それ以前に今に到るまでの練習、日頃の健康管理、子供の頃の生活なんかが大きく「彼らの今」を形作っている。

未来は選べるものだ。こういう未来を迎えたいと決心して必要な努力を必要な期間積むことによって大抵の未来は「選ぶ」ことが出来るわけだ。逆に言うと、「今の自分」は過去の自分がそうなろうと選んだ未来に他ならない。どういう状況になっていようと、それを選んだのは(過去の)自分自身だし、今の自分に多過ぎも少な過ぎもしない努力を積んできたわけだ。

だから現状を嘆いている人に会ったら、「それはあなたが選んだんでしょう」と言いたくなるし(勿論不可抗力もあるが)、母校の高校生が試合に負けたなら「そりゃそうだ」と言うまでである(努力の大切さを知らなかったという意味で可哀相だけど、努力に見合った実力通りという面では可哀想ではない)。

 「未来が選べる」としたら、そして今の自分が「過去の自分が選んだ未来」だとしたら、どうせなら素晴らしい未来を選びたいものだ。そして一旦選んだなら、それに必要なことは何の言い訳もせず、黙々と実行していきたいと思う。

高校生はまさに未来を選んでいる。そして僕ら大人達も実は彼らとなんら変わらない。充実した未来、そして平和な未来を迎えたいなら、今、それに必要なアクションが必要なのだ。

事業の再定義 (2)

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 この間ユニクロの柳井社長が書いたドラッカー関連本を読んでいて、改めて「事業の再定義」が必要だと思った。

 「あらゆる者が強みによって報酬を手にする。弱みによってではない。最初に問うべきは、我々の強みとは何かである。」(『乱気流時代の経営』)

「自社の強み」は意外と理解されていない。時には自分たちの価値も分からず安売りに走ったり、ずれたポイントを強調したり、分の悪い競争を行ったりしてしまう。顧客から見ると、あの会社はここが良いと思っているのに、それを自覚せずに場合によっては経費削減の大義名分のもと、折角の強みを台無しにしてしまうことすらある。

多分経営戦略とは、自社の持つ潜在的な強みを理解し、戦略によりそれを顕在化させる、簡単に言うと、顧客が評価してくれる自社の強みを理解して、それをお金に転換できる仕組みを作ることではないかと思う。

例えば当社の顧客に白蟻防除業者さんがいる。白蟻防除と言うと、白蟻が出た時に薬剤(殺虫剤)を撒いて駆除してくれるサービスのことだと理解するとその価値の一面しか見ていない事になる。

白蟻防除業の人が薬剤を散布するのは結果としての方法論でしない。その目的は住宅を長持ちさせることにある。住宅を長持ちさせるために、5年毎に住宅の定期点検を行い、施主にアドバイスを行って必要な修繕工事、メンテナンス工事を行なうことがその価値である。そして社会的には、そうやって5年毎に施主を訪問して、「住宅点検を行える立場そのもの」、つまり「家の敷居を跨がせる、施主からの信頼」がその価値であり、その会社の強みである。

 なら白蟻防除業者の経営戦略を考えるなら、潜在化している「施主からの住宅メンテナンスに関する信頼」を活かして、自社を「住宅を長持ちさせる専門家」として事業を再定義することになるだろう。

そうするとスターバックスはコーヒーを売っているのではなくて「快適でくつろげる空間」を販売しているのだし(同じコーヒーはマクドナルドで100円で飲める)、銀行はお金を貸しているのではなくて、経営に役に立つの情報を提供し各企業の内情をよく知っていることが強み、アマゾンは本を売るのが商売の手段だけど抜群の使い勝手、各顧客の購買パターン、好みを収集出来ることが強みである。

自社の強みを正しく理解することが最初の一歩、そしてその強みを活かしてダイナミックに自社の事業を再定義していく、これが経営戦略の本質だと思うが、どうだろうか?

 

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リーダーの仕事

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盛和塾の塾生であるイボキンの高橋社長のビデオを見ていて印象に残ったことがある。高橋社長が祖父の創業した産廃業の会社に帰って来た時に、余りに会社の中が汚い、産業廃棄物が整理もされていない状況を見て、汚いところを綺麗にしようと社員に声をかけた。

 最初は誰も手伝わず、でもひとりずつその掃除の輪に加わってくれた。しかし汚いところを順番に掃除しようと声をかけたら、古手の社員に「どこに綺麗なところがあるんや、全部汚いやないか」と言われたらしい。

その社員も汚いよりは綺麗な会社の方が良いと思っている。でも仕方ないと思って長年我慢していたのだ。

その後この会社はISO14000取得に挑戦する。その事に関して誰も文句を言わないどころか、率先して皆が協力してくれたらしい。「ISOのためだから整理整頓しないといけない」、「ISOだからここを掃除して」、「ISOだから」という言葉が魔法のように、何でもかんでもの理由にされて改善が進んでいった。

ここで大事なことは、社員は、いや人間なら誰でも向上心を持っていると言うことだ。汚いよりは綺麗な方が良い、挨拶はしないよりした方が良い、会社は儲かってないより儲かっている方が良い、お客さんに不満を言われるよりは褒められたい、仕事は詰まらないより楽しい方が良い、ダラダラしているよりピリっと緊張して仕事に当たった方が良い、などなど、「悪いより良い方がいい」と当然思っているものなのだ。

ではどうして現実に良いことばかりでないかと言うと、人間は思っていても行動に表すのに多少のハードルがあるということだけだ。イボキンの例でも、汚いのは誰でも嫌だったけれど、誰も掃除しないから我慢していただけの話だ。ISO取得するような会社で働きたかったけど、誰もISO取得しようと言い出さなかったから実現していなかっただけだ。

そう言えば、先日近所の川の掃除をした。スーパーの袋やらペットボトルなどが中洲や草むらに引っかかって折角綺麗な風景が台無しである。僕はよく川べりをランニングするのでずっと気にはなっていたのだけど、実際に中洲に降りていってゴミを集めて捨てるということは出来ずにいた。それをこの間は一念発起して僕の子供二人、それに近所に住む社員二人に声をかけてゴミ拾いをしたわけだ。やってみるとそんなに難しいことではない。日曜の午前中1時間半ほどで200メートルほどを掃除することが出来た。子供たちは勿論レジャー気分だったし、誘った社員二人も「よくぞ誘ってくれました」という感じ?で楽しんでやってくれたと思う。

要するに誰もが「良いこと」を望んでいるのだけど、実際の行動を移すには多少の思い切りが必要だと言うことだ。それぞれの人の中にある向上心や善意を、少し背中を押して実行に移す手伝いをするのがリーダーの役割であると思う。

そう言えばマラソンもそう。誰もが(言い過ぎか)、生涯一度はフルマラソンを走りたいと思っている。それを実際に声をかけ、参加する大会を決め、ツアーを組んで一緒にやろうぜという機会を与えただけだ。それだけで当社は正社員の半分近くがマラソンを始めることになった。

心の中の「良きことを望む心」を実現する手助けをすること、これがリーダーシップの役割だと思うのだけどどうだろうか。

考え方

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稲盛さんの教えで、人生の成果=能力×熱意×考え方、というのがある。能力があって熱意があれば成功の確率が高いが、「考え方」が間違っているとその影響は掛け算で効いてくるということだ。 「考え方」がマイナスの方向を向いていると、せっかくの能力×熱意が全く逆さまの結果を生んでしまう。熱心な知能犯罪者、モラルの欠けた経営者、指導者などはそういう部類に入るだろう。こういう人たちは能力の欠ける凡人達よりもずっと始末が悪い。 逆に考え方が素晴らしいと、多少の能力不足は補ってくれる。熱意があって考え方がすばらしいと、能力の不足を努力で補って大きな成功を収めることも多い。 「考え方が大事」ということだが、仕事は当にこれが当てはまる。社会人だから世間体的に、もしくは給料を貰うためだけに最低限働くということでは、人生の大部分を占める仕事の時間が無為なものになりかねない。仕事は人生における修業の場、精神鍛錬の場なのに、それを無為に過ごしてはどこで魂が磨かれると言うのか。 長時間労働とか毎日徹夜で仕事だけをしなければならないということではない。短時間であっても全人格を傾けて仕事に当たるべきだ。自分が好きなこと、また例えば家族のためなら全力で対処するような気持ちで、与えられた場所で全力を尽くすべきだと思う。滝に打たれる修行者が滝の水が冷たいなどと文句は言わない。快適でないからこそ人格が磨かれることもあるし、仕事なんてそういう意味では、快適な場所で選んだ顧客を相手にして、便利なツールを与えられて面白そうなことが出来る。それに給料まで貰えるのだ。 そう言えば当社にも新人が入ってきたが、まずは「全人格を傾けて一つのことに集中するとはどういうことか」を実践し学んで欲しいと思う。またそうさせて成長の機会を与えることが当社の義務だとも思っている。

心の持ち方

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段々と事業内容が高度化、また周辺分野に拡大していくと、経営者一人がいわゆる「経営者意識」を持っていたのでは追いつかない。「何でも上に相談しておけば良いや」と社員が考えても、実は上司だってそんなに能力があり答えを持っている訳ではない。上司は権威付けのために検討している振りをするかも知れないが、担当部下が考えても分からないものが上司が分かるはずもない。 責任が上へ上へと転嫁され、社長にたどり着く頃にはなんとなく胡散霧消してしまって「誰が責任を持ってるのか分からない」状況になり、その会社はどんどん無責任体質、弱体化していく。 ではどうすれば良いかと言うと、結局は一人一人の「心の持ち方」にかかってくる。「心の持ち方」は、「何のために仕事をしているのか」、「社会にどう役に立ちたいのか」、「そのためには会社はどうあるべきか」がストンと腑に落ちている状態だとも言える。 社会の役に立つため、自分の成長のため、生活が豊かになるためという目標が一致して自分の心の中で矛盾なく前向きの力として動き始めると、公と私の区別がなくなってくる。会社での行動も業務であっても「自らの人生のため主体的に動く」ことになるはずだ。だって全ての時間は自分の人生の時間だから、会社にいても人形のように動くことはなくなるはずだ。 そうやって自らのため社会のために主体的に動く社員からなる会社組織は強い。そういう社員一人一人にとって必要なのは心の持ち方、すなわちフィロソフィーだと言える。 フィロソフィーは考え方であり、一生涯をかけて磨き進化させていくものである。出家した人がお寺で修行するように、人生をかけて修行の一環としてフィロソフィーを学び実践することが大切だ。 当社もそろそろ社内でフィロソフィーを学んでいこうかなと思っている。会社が発展するには主体的に行動出来る社員が必要、そのためにはフィロソフィーが必要と思えるから。これから夏になってアクティブな状況が続くから、少し落ち着いた秋くらいに始めようか思います。僕も学んでいる身なので一緒に勉強していきましょう。

経営の目的

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経営の目的は色々あるとは思うけど、一番大事なことは、「会社の一人一人が主体的な意識を持つ組織を作ること」じゃないかと思う。 「主体的な意識」とは「やらされている」、「仕事だからやらねばならない」という感じとは反対に、自分のこととして自分の判断で行動するということだ。決まったことを仕事だからと言って時には嫌々やるのではなくて、自分の判断と責任で、そして自分が楽しいと思ってある目的を達成するために能動的に行動することである。 人間は自分の意志で良かれと思って行動する時に力を発揮する。ある目標を達成するために自分の頭で考え、自分のためにも頑張る。この意味では公と私とは区別がなくなる。 とすれば会社は、そこで働く個人の目的(やりがい、人格の向上、生活の安定)と会社の目的(社会に対する責任、顧客に対する価値提供、結果としての利益)が一致する時に、一番パフォーマンスが良くなるはずだ。であれば経営の目的は、その二つを一致させ、全員が主体的に考え動く組織を作り上げることである。事業に大義名分がある、一人一人に責任が任されている、自由な発想を受け入れる企業文化がある、上下関係なく意見交換が出来る、自分の貢献が分かり易い、などが主体性を持つ組織に必要な要件だと思う。 最近僕の友人と話していたら、「サラリーマンの僕らでも自営業者のように考えないといけない」という発言があった。僕はそれを聞いて、「組織に属すると主体的に考えなくても済むのか」と逆にちょっとびっくりもした。その友人は主体性の大事さに気づいているのだけど、気づいていない人もいるはずだ。もちろん組織に属していれば常に個人的な責任を問われることはないかも知れないけど、自分の人生に責任を持つ、自分の人生を生きるという意味では立場がどうであれ同じことだと思う。 各社員が皆主体的性を持って考え、行動する。経営者も社員も関係なく「自分の人生」に責任を持つ、それがわかり易い仕組みでやりがいとして感じられる様な仕組みになっている、こういう企業が最も強いのだろう。 経営の目的は各人が主体的に動く組織を作ること、そういう企業カルチャーを熟成すること、これに尽きると思うけどどうであろうか。

豊かさとは何か

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人間の受容能力には限りがあって、これだけ情報が溢れ様々なことが体験可能な現代社会においては、「数や量が多いこと」が「豊かさ」につながるとは限らない。 典型的なのは情報量だ。面白そうなドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、新聞、雑誌、インターネットニュースなんかを挙げていけばキリがない。図書館に行けば何日でもつぶせそうな興味深い本ばかり。もちろん過去に出版された必ず読むべき古典、歴史書、小説。衛星テレビにケーブルテレビ、それに膨大な映画。美術館に博物館も既に行った、行ってみたいところだらけだ。 インターネットが発達することで情報量は更に膨大なものになった。ポッドキャストでは様々な主体が発信していて、アメリカの大学なんてかなりの程度講義などを配信している。通常のネット情報ならまだしも検索で絞れるが、ブログやはたまたツイッターまでになると個人の(どうでも良いような)情報まで流されている。 情報だけではない。百貨店に行くとなくても困らないようなものが沢山溢れている。服はキリがないしデパ地下では食料品がところ狭しと置かれている。 これだけ物や情報が多くなると、沢山抱え込んで消費していくことは豊かどころか、本来一つ一つが持つ魅力までも十分に楽しめなくなってしまう状況に陥る。雑誌でも新聞でもじっくり読むととても面白いが、30冊重ねてあるともう飛ばし読みすら出来なくて、目を通すだけだと全然楽しめないし疲れるだけだ。 結局人間の「消化能力」には限界があるから、限られたものを選ぶこと、抱え込まないことが大事だと思う。だから例えば僕はテレビは殆ど観ないと決めた。これだけでもかなり時間の節約になる。消化能力に限界があるということは過剰は苦痛でしかなく、豊かさとは程遠くなる。 で結局は、必要以上のものは持たず過剰には抱え込まず、持つものの少ないことが豊かさの指標になるかも知れない。持っているもの、抱えているものは少ないけれど、心の内面が豊かな生活が一番贅沢な生活ってことだ。 そうすると豊かさとは心の問題に帰することになり、いわゆる物質的なことだけがそれを決めるのではないことが分かるだろう。生きがい、やりがい、人から感謝される心地良さ、天気の良い日に自然の中を歩く気持ち良さ、教養や文化が理解できる素養と余裕、異文化を楽しめる受容性、などなど「豊かさ」とは物理的に所有するモノで決まるのではなく、その人の精神性に大きく依存することになる。豊かさを感じるのは精神だという当たり前のことである。 会社もそう、色々と所有したり損得ばかり考えるのではなく、顧客のためにはどうすべきか、自分たちが人間として充実して生きていくにはどのような仕事をすべきか、精神的なところを追求することが「企業の豊かさ」を決めていく。こう考えてシンプルにやっていきたいと思います。

少しの差

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最近はよく近くの山の中を走っているのだけど、いつも思うことがある。 僕の家は川に近くて、川岸が心地よい遊歩道になっていて多くの人が散歩している。バーベキューが出来るところもあるから、休日はシーズンを問わずいつも人で一杯だ。またウォーキングしている人たちも沢山集まってくる。 その川沿いを1キロほど上流に遡ると、山の中に入っていく。坂道を少し上がると公園がある。ここも桜で有名だから、桜のシーズンはまた沢山の人で賑わっている。でも春以外はそれほど混まない。 更に200メートルほど山を上り、川沿いの道を奥に進んでいくとめっきり人が少なくなる。この地域は景観が美しく、渓流に岩がゴロゴロしている場所だ。でも上で述べたバーベキューで混み合う川岸からも1キロ位しか離れていない。走って10分、歩いても20分ほどだ。 僕はいつも更に奥に入って山道を走る。そうするともう殆ど人はいない。たった家から3キロも走れば、一番込み合うはずの夏でも殆ど無人になる。でも山道もよく整備されていて、途中にウッドデッキやベンチなどが有り夏でも冬でもとても心地よいハイキングコースである。 要するに殆どの人は集中していて、混んでいる範囲は限られている。少し先に進めば急に人は少なくなり、もっと奥には入れば殆ど誰もいない。それでいて一番奥と言っても一番混んでいるところから大して遠くはないのだ。 そういえばハワイもそうだ。ワイキキのメインストリート、DFSがある辺りは日本人で一杯でここは日本の観光地かと思うくらいである。でも車で5分も行けば、全くと言って良いほど日本人は見かけない。観光スポットでもなければ(当然?)1キロ離れれば殆ど日本人はいない。 逆に言うと、他人より少し多く苦労すれば、いや苦労すらしなくても少し先に行くだけで競争の少ない場所に行けるということだ。「少しの差が大違いを生む」ということである。同じ土俵で同じことをすれば、どんな分野でも混雑に巻き込まれ過当競争に直面する。でも少し他人より「奥」まで入って行けば美しい景観を独占出来る可能性があるってことだ。 これも(言わずもがなだけど)企業経営と同じである。少し苦労してでも、混んでいるところから抜け出して、「見える景色が違う場所」で勝負したいと思う。うーん、走っていてもこんなことを考えている、これって気分転換してるんでしょうかね?

問題設定能力

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先日当社の顧問と打ち合わせをしていて、問題設定が一番大切という話になった。 仕事とは直接関係ないのだけど、四国の過疎地域の振興を産官学でやってみようという試みを手伝うことになっている。でも最初の趣旨書を見ていたら、「過疎化が問題で、何とかして人に来て貰いまた企業誘致をしたい」という内容であった。 僕が思ったのはこれは「問題設定が間違っている」ということだ。確かに過疎化は問題だけど、それは結果的に生じた現象であって、根本的な原因は「その地域では人や企業が前向きに成長できる環境が整っていない」ことである。そこに留まっていても将来が描けないから、チャンスが有れば東京や大阪などの都会に出ていってしまう。企業だって需要も少なく特にそこに投資する理由がなければやってこない。 だから問題設定は、他人がその地域にやってくることを期待するのではなく、そこに今住んでいる人、まだ出て入っていない若い人達に取ってそこに留まることで将来が有利になるようなインフラを作るべきだ。それは教育制度かも知れないし豊かな住環境かも知れない、企業にとっては研究機関が集積していることかも知れないし最低賃金が低いことかも知れないし、税法上の特典かも知れない。もっと言うなら、日本という国が今抱えている問題を解決するに当たって、東京や大阪にはない別のアプローチを提供出来ること、これが地域振興の要件だろう。 問題を設定することが一番重要で、かつ難しい。普通の人は具体的な問題さえ与えられたら 、真面目に取り組んで解決することが出来る。でもその問題設定が合ってなければ、そもそも見当違いの方向に進んでいることになる。売上が下がっていることに対して、どうすれば営業活動をもっと頑張れるのかを考えるのは問題設定が間違っている。正しいであろう問題設定は「どうして当社からではなく競合他社から買うのか」、「どうして魅力ある商品を提案出来ないのか」、「どうしてもっと顧客のことを知らないのか」という様なことだと思う。 では「どうすれば正しく問題設定が出来るのか」だが、これはまたの機会にしよう。「正しく問題を設定し、正しい方向に進むこと」は経営の根本だと思うから、よくよく考えてみたい。

経営者は優れているか?

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世の中には「経営者には特別な能力があって、だから会社がうまくいっているのだ」という捉え方がある。でもいつも思うのだけど、そんなことは全くない。ドラッガーも言っているが、「優れた経営者が天才的なヒラメキをすると言うのは神話に過ぎない」のだ。 僕は「優れた経営者」ではまだ全然ないし社長をやってやっと10年だし、未だに当社の扱っている商品や技術、それにマーケットのことも本当に知っているとは到底言えない。殆ど素人状態だ。何とか専門知識やよく出来る社員の御陰で会社は伸びている。 優れた会社の優れた経営者が普通の人達と違うと仮定するなら、それはそもそもの能力ではなくて「当事者意識を持って一生懸命に働く」、この一点しかない。立場は人を作ると言うけれど、経営者の立場で最終責任を常に負いながら、会社を潰してはならない会社を成長させなければならない、社員を幸せにしなければならない、社会に貢献しなければならないと半ば強迫観念に囚われながら毎日一生懸命働いていれば、出るべき結果は出るというだけのことなのだ。 逆に言えば、誰でも社員の立場でも、「当事者意識を持って一生懸命働けば、(経営者のように?)優れた人間になれる」ということだ。実はそれを可能にするべく考え出されたのが稲盛さんの「アメーバ経営」である。これは単なる管理会計、すなわち経営者側が組織の生産性を管理するための道具ではなく、一人一人が把握可能な単位に会社を分けて「当事者意識を持って経営をする」ための方式である。 結局、「人生を良く生きる」というのは、「当事者意識を持って自分の人生を賭けて物事に主体的に取り組む」ことでしか成り立たない。だからそれは経営者であろうとなかろうと、人間なら皆同じことなのだと思う。

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