社長ブログ

社長フィロソフィー日記

リスクを許容できない社会

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このところ災害続きで、僕が住んでいる大阪では地震、台風、そしてまた今日台風に見舞われている。JRは昼前に運行を停止し、店舗やスーパーは早々と休業することにしている様だ。
今日も朝から散髪しようと思ったら、台風はまだ九州にいて大阪は無風だというのに、臨時休業の留守番電話。スポーツジムも百貨店も「台風24号の影響のため、9/30は全館終日休館とさせていただきます。」という状況だった。前回の時は平日だったから、昼には会社から帰宅することを求められたり(実際に直撃したは午後2時〜4時位だった)、最初から出社しない様にしている会社も多かった。
災害時に被害、特に人的被害があるのはもちろん良くない。だから用心深く、早々と運行停止や休業を決めることも良くわかる。
それでもどうかなと違和感を感じるのは、あまりにもリスク回避、しかも一律のリスク回避になっていないか?ということである。台風は刻一刻と進路を変える。今回の事例で言うと、結果的には大阪では22時頃に風速10メートルが30分続いただけだった。現在24時、ほぼ無風で雨も降っていない(台風が過ぎた)。朝から休業していた店舗は一体何だったんだろう。万が一事故があれば、非難轟々だから、万が一の為に休業を決める。これは1000人に1人の事故が怖いのではなくて、なんかあった時の非難轟々が怖いから休業していると思われる。個人的には、台風の時に外出して事故に遭う個人の判断ミスであって(しかも1000分の1の確率)、その時に責められるべきは「その不注意な個人」であって、「開店していた店舗側」ではないと思う。店舗側は世間の目を気にして万が一の時のリスクが取れないから、何の問題も起こりようのない「休業」という選択をしてしまう。
もちろん、災害時も店を開けろと言っているのではない(散髪行けない、車の修理もしてくれなかったのは不満だけど)。お店の人も大変だろうから、遠くから通っている人、いつ何時学校が休校して子供を受け入れないといけない保護者など、理由がある社員は当然休んで良い。でも自転車で5分で帰宅できる人、自宅より堅牢な造りの会社の方が安全な独身者なんかは、様子を見ながら働いて、危なくなってきたら帰宅したり避難したり、お客さんが来なければ休業したりしても良いと思う。要するに、情報蒐集しながら臨機応変に対応すれば良いだけだ。
何かあった時に、前述の様に「その個人がリスクを取って失敗した」と解釈することも出来るし、「そもそも店が営業している方がおかしい」と解釈することも出来る。言えることは、前者は「リスクを許容出来る社会」、後者は「リスクを取れない社会」であると言うことだ。そしてどちらが成長する可能性があるかは、言わずもがなである。鉄道なんて、これまで最後の最後まで運行する努力をしていた様に思う。もちろん電車などの公共交通機関は事故があると被害が甚大だから、なかなかリスクを取れないことは分かる。しかし無風の状態で昼からの運行を全部止める(関空も閉鎖)と言うのもどうかしていると思う。
当社の場合、平日に直撃した前回台風の時は興味深かった。虫好き研究者たちは普段から自然に親しんでいる野生児なのか、強風に揺れる会社で台風をやり過ごした。当社も鉄製の看板の柱が折れるなど被害があるくらい強風に見舞われたのだが、普通に勤務して台風が過ぎた後の掃除など、後始末をしてから普通に夜に退社した様だ。近くに住んでいる社員が多いから、ギリギリまで待てる余裕もあったのだろう。僕は僕でどうせ仕事にならないかなとスポーツジムで走っていた(途中で営業停止になったが)。
今は社会がそうだから、リスクを取らない側の判断に対しては非難が向きにくいとは思う。万が一を考えて何かを止めるのは簡単だ。しかし、個人が自分でリスクを判断し臨機応変に対応する姿勢がないと、個人も組織もどんどん弱くなっていくと思う。これは成熟社会の悪い点だ。当社はいつも、個人が自分の頭で判断してリスクを取り、チャンスも逃さない組織でありたいと思います。

多くの「大一番」をくぐり抜ける

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先週あったジュニアオリンピック(小学校・中学校・高校以下の女子の全国大会)で、中三の次男が属する豊中水球クラブがなんと全国優勝を飾った。水球は競技人口が少ないマイナースポーツだけど、流石に全国優勝はすごい出来事だ。と言う訳で先週は何も他の事には手をつけられず、毎日毎日勝ち進むチームを全力で応援し、同じ様に毎日消耗しながら盛り上がった一週間であった。
この豊中水球クラブは練習場所の確保もままならず、僕の母校の茨木高校のプールを頻繁に利用させていただいたり、遠征などを繰り返して強くなってきた。強いと言っても大会前は実力的には全国ベスト8くらいだったかなと思う。大会で予選と決勝トーナメントで二回当たった石川のチームには、これまでの練習試合や公式戦でも一度も勝てなかったし(2ヶ月前の地方大会では結構大差で負けていた)、競泳と掛け持ちの選手なんかは水球の練習自体十分に行えなかった中での今回の大会であった。
それが予選からの試合でどんどん強くなり、途中危ない試合もあったけれどその度にミラクルを起こして勝ち上がり、あれよあれよと言う間に決勝に進み、その決勝戦では前述の石川のチームに快勝(予選では同点、ペナルティーシュート負け)すると言う快挙を起こした。この大会を通じてチームは本当に成長し、「こいつらこんなに強かったかな」と思うほどの素晴らしい結果を残したと思う。
子供達も頑張って多くのことを得たと思うけど、観戦している保護者や応援の大人たちにも大きなインパクトを残した。皆口々に「良いものを観せていただきました」と感想を言い合い、相当興奮、感動した様に思う。
僕も確信を深めたことがある。何年も前から相当な準備をして、人生を左右する「大一番」、実力の限りを尽くして勝負に挑み、どれだけの成果を挙げられたか、修羅場をどれだけくぐってきたかが、その人の実力を決めていくと言うことだ。受験でも、部活でも、発表会などでも、ベストの結果を出せるメンタルと実力が問われる「本番」で、人は相当に鍛えられる。また人生のピンチで如何に修羅場を乗り越えるか、「若いうちの苦労は勝手でもしろ」と昔の人は言うが、それは目の前の大変な苦労という「本番」を乗り越えたときに人は大きく成長するからだと思う。
したがって、「子供の教育方針、社員の教育方針は?」と問われれば、それはなるべく多くの「本番」「大一番」の機会を与えることだ。日頃から努力を積み重ね、苦しい練習や準備を行って挑む「本番」でしか身に付かない「実力」と言うものがある。適当に仕事して適当に成果を挙げても、やり直しの効く練習で良いプレーをしているくらいの話で、なんの成長もない。与えられた場所でコツコツ頑張って、その成果を皆の目前で発揮して「大一番」で勝っていく、いや例え負けて悔し涙を流したとしても、その経験は必ず自分の成長に繋がると思う。
これからも当社も(子供達も)、いろんな「本番」が待っていると思う。多くの修羅場をくぐり抜け、本当に強いチーム、人間を育てていきたいと思います(自分も)。 

スモールスタート

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製品開発などのプロジェクトにおいては、予算が少なく締め切りが早い、つまり「スモールスタート」が成功し易いというのが一つの法則である。
プロジェクト予算が多ければ、色んな要素を詰め込める。仕様を上げれる、あれもこれも機能を盛り込める、十分に経費を使って立派なカタログ、専用ウェブサイト、その他広告戦略を展開できる、つまりあれもこれも出来てしまう。締め切りのない仕事はないけれど、締め切りが余りに先であったり、「なる早だけど締め切りのない」プロジェクトだと、色んな可能性を検討できるし、打ち合わせにしても、「顔合わせ」、「会議のための下打ち合わせ」、「担当グループ会議」、「グループ長会議」、「月例定例会議」とか、様々なレベルとメンバーの組み合わせで、一体誰が責任者で物事を決めているのか分からないほど、打ち合わせばかりが延々と続く。プロジェクトに関わる要素が多ければ多いほど、細部に渡って完璧になるまで時間が掛かる。カタログの表現とか誤字とか、様々な利害関係者の契約書の準備とかやりとりに時間がやたらに掛かる。「待ち」の時間や会議の時間設定にも時間が掛かるし、良い?タイミングで不測の事態も生じることが普通だから、ますます製品完成が遅れることになる。
結果として、何もかも詰め込んだ、やたら手間暇かけた(コストも高くついた)製品が長い時間を掛けて出来上がり、でも出来た頃には事情も市場環境も変わっていて、なんだかボンヤリとした戦略の下、そういう製品はまず売れない、というのが典型的な展開である(当初の責任者もとうの昔に異動してしまったりしている)。
それに対して予算も少なくて、早く製品化する必要がある場合はどうなるか。予算がないから出来ることは限られている。立派なカタログは出来ないから、パワポのプレゼンで用を済ませるしかない。仕様も最低限のものだけ、ややこしいことはない、ストレートフォワードな内容になっている。やること、やれることがあまりないから、最低限のミスは修正してすぐにデモ機でも完成させて、取りあえずは見込み顧客のところに持っていく。スモールスタートということだ。顧客のところに持っていけば、そのまま採用ということはない。ああだこうだ言われて、それを修正しまた持っていく。その内、デモ機を売ってくれとなって、「製品」として取りあえずは価格を決めて一台、二台と売れていく。その度に顧客から、ああしてくれこうしてくれと、使ってみて初めて分かる点を指摘され、またそれを修正してバージョンを重ねていく。そのうち完成度が上がり、売れる場合には本当に売れる製品として仕上がっていくというのが、典型的な成功ストーリーだ。
プロジェクトを成功させるのに大切なことは、なるべく早くシンプルな形で「タンジブル(=手で触れられる)」な具体的なものを作り、取りあえず早く顧客に使い勝手を試してもらう事だ。タンジブルなものなしに顧客にヒアリングしても批評のしようがない。具体的なものがあって、スウィッチの位置とか押し具合とか、大きさ・重さなどの感触、ウェブの使い易さ(見やすさ、動線のスムーズさ)、サービスの快適さ、見た目の良さなどが分かる。製品の本質的な良さがあれば、カタログがなくても機能が極めてシンプルでも、筋が良いものは良いと分かるものだと思う。
当社でも、なるべく早くデモ機を出せ、サンプルを作れ、取りあえず見込み顧客に見せてみて、そこから分かることを盛り込んで、バージョンを重ねていけと言っている。そのためには責任者がしっかり最低限のことを行って、自分が責任者だと自覚して意見を聞きにいかねばならない。自分がう良いと思っても他人は違う意見を持つだろうし、早く「違う意見」を言ってもらうこと自体が大事なのだ。最近当社も組織が大きくて?予算も使える様になった(なってしまった)からか、どうもスピード感が失われている気がする。タンジブルなものを出さねば、仕事をしたことにならない。それくらい思って、スモールスタートの手法を思い出して欲しいなと思います。 

情報共有と人間の能力

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当社は自社開発のIT日報などのツールを用いて、社内外の情報共有に努めている。社員間に限らず、ビジネスパートナーとの情報共有の重要性はこの20年来、機会があるごとに言い続けている。何故なら、それほど重要で、一番効果的な経営戦略だと常に痛感するからだ。
人間の能力には特徴があって、物理的な制約はかなり大きい反面、精神的な(頭脳の)制約はほとんどないことだ。
このところの酷暑では、なかなか肉体労働は続かない。集中力はすぐに切れてしまう。移動するだけで疲れる、寝不足もダメだし、栄養過多、運動不足は中長期的にパフォーマンスの低下を招いてしまう。これらは人間が生物である限り、仕方のない制約条件である。
これに対して、頭脳はいくら速く回転させても疲れない。もちろん時間の制約はあるけれど、1日に数時間、おそらく8時間くらいは「頭だけ」ならフル回転させることは可能だ。その時間のパフォーマンスもほとんどなんの制約も受けない。雑踏で千人くらい人が集まっていたとしても、その中の家族や知人は瞬時に見つけられるのが人間の「超能力」だ。本は飛ばし読みが出来るし、「ながら」で聴いている情報も自分に有益なものは無意識のうちに気がつく。仕事も何本も掛け持ちをしながら「並行処理」を行い、一瞬一瞬で全く異なることを切り替えながら処理できる能力も備わっている。
この人間の頭脳がフル回転する前提条件は、「情報が自動で与えられている、少なくとも簡単に取りに行ける状況になっていること」である。沢山の情報の中から有益な関係のある情報を瞬時に読み取って自分の頭を使っていくのは出来るけれど、そもそもその情報にアクセス出来なければ、頭の使い様もない。
従って、「生産性の高い組織」とは、「必要な全ての情報が与えられ、自分の頭で考え、また発信できる組織」であると言える。
ここまで言ってもシステムを使い易い様に改善継続しても、当社でも日報をなかなか書かない、あまり読まない社員もいるにはいるのだが、それは限られた情報で頭を中途半端に使い、また発信しないことで他の社員の頭脳を活用できず、自分一人分(以下)の仕事しか出来ていないことになる。だから(肉体的に)多少頑張っていても、組織としては「半人前」の貢献しか出来ていないとも言える。組織は全体で一つの「脳」を持つ。一つ一つの脳細胞(=社員)が発信・受信しなければ、脳の本体から外れた「かさぶた」みたいな細胞になってしまう。
理想は、組織の全てのメンバーの活動日報をお互いに、読み合い、議論し合うことだ。「時間がない」というのはそれが出来ない理由の様だが、他のメンバーが行った活動報告(結構詳細)を、1秒で良いから「チラ見」することで、有益な情報は自分のアンテナには引っ掛かってくるし、また自分もその様に発信しなければならない。
情報共有と組織の生産性、これは不可分一体のものだと思うのだけど、本当にそうなのだから徹底していきたいと思います。

コミュニケーションの問題

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最近思うのは、世の中の多くの問題は、コミュニケーションの課題が大きいということだ。
良いことを思いついても、それを他人に説得しなければ実現はしない。全部自分でやることは出来ないから、実際に手足を動かしてもらう人、知恵を出してもらう人が実際に納得し、自らの行動として具体化して貰わなければならない。そのためには、こちらがよほどきちんと説明して「腹落ち」させなければならない(しかも時折催促しなければならない)。
人間というのは驚くほど「自分本位」で、自分の置かれた立場や能力、考え方によって、同じことを言われても受け止め方、その後の具体的行動はかなり異なる。しかも悪いことに、「礼儀」として分かってないことでも分からないとも言わないし、他人の懐に手を突っ込んで聞いていく、質問することも通常は行わない。行儀は良いのだが、話も全然伝わらないのが、現代社会、現代の組織である。
僕は中高生の水球チームをよく見ているが、お互いに声を掛け合わない、掛けたとしても「もっと泳げ」とか「パスが悪い」とか、抽象的な言い合いだけである。チームとして何を目指すのか、このプレーはどこが悪かったのか、良かったのか、お互い議論したり言い合わないから、チームという組織であるのに、結局自分の頭の中だけ、自分のイメージだけで小さくまとまってしまっている。
顧客に対しても、親切のつもりで「厳密には必要ないとも言えますが、、、」と言うより、「原則的には必要です、あった方が絶対良いです」という方が、それを採用したい人にはストレートに伝わる(当たり前ですね)。何のリスクヘッジか知らないけど、わざと「逆」の視点や解釈、言い訳を加えると、意図とは違って相手はそのまま「逆」の意味で捉えてしまう(やる気、採用する気を削いでしまう)。あった方が良いですよねと聞いてくる顧客に、「厳密には必要ない、なくても大丈夫です」と言うことないだろうにと思う(当社ではよくある。本来は「はい」だけでいいのに)。
組織でも同じで、分かっている様で、言葉にして誰にでも伝えらえるほどは分かっていない、分かってないのに質問しない、お互いを気遣って詰めた議論をしない、具体策に結びつかない、結果として組織として動きがバラバラで、チームとして強くならないことがよくある。強い会社とそうでない会社の違いは、上記の様な「本当のコミュニケーションが出来ているか」という点だと思う。
当社は比較的、それって本当はどういうことか?その対応で良いのか?結局どうするのか、どうなったのか?を個別具体的に議論するようにしていて、そのための独自の情報共有システムもフル活用しながらコミュニケーションを徹底する様にしている(日報をサボると働いているとは見做されない)。いちいち書かなくとも、常に情報を共有しているじゃないですか、メールでCCしたじゃないですか、言ったじゃないですかと言うのは通用しない。人は言われたくらいでは理解していないし、情報を共有したとも言えないのだ。何度も繰り返し言って、文章にもして、議論して、それを何度も蒸し返して、そして行動に移してもらって伝わっているかを確認するくらいのプロセスをサボってはいけない。
これらはつまりは「コミュニケーション」の問題、もっというと「説得の問題」である。こういうプロセスを真摯な態度でお互い遠慮せずに行っていこうと改めて思います。

災害への備え

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当社は高槻に本社があるのだが、昨日の震源地はほぼ近所で、かなり揺れたのだと思う。被害は軽度で、物が落ちたり壁紙が多少破けたりした程度でした。多くの人からお見舞いの連絡を頂き、また昨日は新潟から日帰りで支援物資を届けて頂くなど、大変ありがとうございました。
こういう災害時にもそれぞれの組織、企業の考え方や特徴が現れる。災害にどの様に備えるのか、企業活動の継続、存続のために事前にどの様な措置を取っているのかという実際的な「備え」の部分は勿論、災害が起こった時のそれぞれの社員の「行動」にもそれらが反映される。
当社は日頃から、「本社が火災で焼失、地震で倒壊しても翌日からなんの問題もなく事業が継続出来る仕組みづくり」を行っている。データはリアルタイムでクラウドでバックアップを取り、必要な専用ハードウェアの予備は遠隔地にある社員の自宅に保管している。事業が継続出来る仕組みは当社の危機管理だが、同時に顧客に迷惑を掛けないという覚悟もなければならない。
事業の存続のために何が出来るのかを冷静に見極め、出来ないことは出来ないと早めに決断しアナウンスする、一方で「災害時だから」と甘えずに出来ることは例外処理であっても知恵を絞ってやり抜く覚悟を持つことが大事だ。
社員については、どうしても会社にいかねばならないとは思わずに、まずは安全な場所を確保して、社外や自宅での勤務を容易に出来る仕組みを使って普段通りに業務を行うことが期待される。災害時は電話は通じにくいが、ネットはかなり使える。東日本大震災の時も電話はダメだったけど、スカイプは(携帯でも)使えたし、今回もそうだった。
実際に、当社では、安全と通信の確保を最優先にして、足止めを食った駅前や自宅で必要な業務を行えたと思う。翌日の出張も夜には回復した交通網を使って(新幹線の駅までは送って貰ったり)前乗りで移動して予定変更せずに済んだし、皆が冷静に出来ることをしっかり実行できた。今後も何が起こるか分からない、分からないからこそ、「その時はその時」ではなく、日頃から「災害への備え」が必要だと思う。 

会議は答え合わせ

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当社は、ウェブ上の独自システムを活用して情報共有や意見交換を日常的に行なっているので、これまでほとんど会議をしない会社であったが、さすがにたまには顔を合わせての会議も必要と言うことで、今期から月例会議などをやっている。
で改めて思うのは、「会議は答え合わせの場」ということだ。
会議までに課題を見つけ担当者間で話し合い、やり取りを行い、一応の答えを出した上で会議当日、すなわち「本番」を迎える。 逆に、会議の日に問題は何か、それってどうしようか、そのために必要な資料は何なんだ、とか会議当日に言ってるようではまったくダメである。当日になっていきなり議論をしても良い結果は生まれない。やりとりを会議までの間に担当者間で行い、内容が相当詰められた上で、一定の答えが出され、本当にそれで良いのかを皆で確認し検証する場が会議であるべきだ。
それは当社で半年に一回行なっているフルマラソンと同じかもしれない。マラソンに参加する上で大事なのは、本番当日に頑張ることではなくて、(当然)それまでの練習、普段の健康管理である。そもそも大会に参加することは日頃の健康管理のためのモチベーション維持のための「手段」であって「目的」ではない。日常的に運動していて、試行錯誤して十分準備をすることが大事、大会本番はその「答え合わせ」、すなわち日頃の練習や節制が正しく十分であったかどうかを検証する場であると思う。
さて、うちの社員の皆さんは十分準備ができて本番を迎えれるであろうか?楽しみにしています。 

二十年にして初めての輪読会

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僕は(多くの方がご存知の様に)もう二十年来(正確には丸二十二年)盛和塾に入っていて、稲盛和夫塾長を経営の師匠として研鑽している。盛和塾の塾生であれば当然、その哲学(フィロソフィー)を学び、また社内でも輪読会などを行って浸透させることが当然の様に行われている。

当社の経営理念そのもの、経営の目的もフィロソフィーに即したものになっている。「利他の心の経営」、「会社の目的は社員の物心両面の充実を実現すること」、「損得よりも善悪をまず考えること」、「誰にも負けない努力」、「仕事を通じて人格を磨く」 などは、いつも何かにつけて強調し、実践しているところでもあると思う。

しかし、当社では、僕自身フィロソフィーを本当に理解し実践しているとは自信がなかったこともあって、長年そのフィロソフィー輪読会を行って来なかった。しかし二十年も盛和塾で学んできてまだその哲学を社内で共有できてないとすれば、このまま行くと一生やらなくなってしまうと思い直し、今からでも遅くないと思ってこの度、始めてみようかなと思った次第です。

そもそも仕事のノウハウでなくて、「生き方」や「人生哲学」の様なものを会社で学ぶ必要、意味があるのかということだが、仕事は人間がやること、会社は利益は必要だがそれは手段であって、本当の目的は「全従業員の物心両面の充実」と「社会貢献」であることを考えると、やはり「考え方」に踏み込まざるを得ない。仕事を通じて人格を磨く、魂のレベルを上げていくことが、「働く意味」だと思う。

能力に限りがあるけれど、熱意や考え方が素晴らしいものであれば、人生の結果も素晴らしいものになるというのが稲盛哲学の教えだ(人生の結果=考え方x熱意x能力)。特に中小企業においては、学歴も能力もバリバリでほっといても素晴らしい成果を上げる人はなかなか入ってこない(大企業でもそうだが、仕組みや既得権益が強固だからやっていける)。「考え方」が重要になってくると思う。

「考え方」(=フィロソフィー)と言っても難しいものではない。「真の勇気を持つ」、「綺麗な心で願望を描く」、「素直な心を持つ」、「仲間のために尽くす」、「心をベースとして経営する」、「公明正大に利益を追求する」、「原理原則に従う」などなど、小学校の先生や親に教えられた様な、プリミティブことがその大部分である。

この様な簡単な「考え方」なのだけど、それを実践するのは優しいことではない。人間はついつい、少し成功するとすぐに「謙虚であること」を忘れてしまうし、「公明正大」でありたいと思っても、月末の数字が足らないとか楽して勝ちたいと思ってついついずるいこともやったり、正当化してしまったりする。学歴の高い人でも考えられない様な不正を行ったりするのは、残念ながら新聞などでもよく見ることだ。稲盛塾長が手掛けたJALの再生でも、全く同じ人たちが働いているのに(むしろリストラで少なくなった)、心の持ち様(考え方)が変わったからこそ、それまでとは全く異なった、素晴らしい会社に生まれ変わった。人間の心は畑の様なもので、常に手入れをしておかないと雑草が生えて荒地の様になってしまうものだと思う。

当社の場合は、経営方針や社員との関係がある程度は稲盛哲学を反映するものであったからこそ、これまで安定的に成長し、辞める人も殆どいなかったのではないかと思う。今後、実際に集まって輪読会を行い議論することで、その「考え方」はより強固になっていくと思うし、「物心両面の充実」がより図られていくのではないかと期待できる。まずは本社でやってみて(先週やって案外面白かった)、今後東京や九州のメンバーとも合わせてやってみたいと思います。

たかが仕事と思うな、人生だと思え

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会社で働くというのは、非常に簡単であると同時に腹落ちすることが難しい行為だと思う。何故なら、そこに「お金」が絡んでいるから。
「何のために働くのか」と問われれば、多くの場合は「生活のための給与を得るため」「より豊かな生活のため」「家族を養うため」という金銭的理由、「他人に認められるため」という承認欲求があるのだとは思う。でも青臭いのかも知れないが、「会社とは何か?」と聞かれれば、僕は「社会への貢献(=他人のためになることを行う)を通して社員が成長でき満足できる、その仕組み」と答えたいと思う(やっとそう思える様になってきた)。
当社はいわゆる成果主義を採っていない。営業成績を上げれば給与(やインセンティブ)が上がる、下がればそれも下がるという「働き」と「お金」が連動することはしない。営業成績(つまり会社の利益)は会社という仕組みが回っていくのに必要な「道具」であるかも知れないが(道具は多い方が良い)、決して目的ではない。特にオーナー企業の中小企業は還元すべき株主が社長であるから、その社長が「会社が安定的に永続的に継続するため以外のお金は要らない」と言えば、社員がどうして利益自体を目的とする必要があるのだろう。きちんと社会から評価されることを効率良くやっていれば「儲かる」ことは当然だから、目的と手段を取り違えずに、事業の目的と意義を正面から実現目指してやっていけば良いと思う。
これは甘い様で厳しい考え方だとも思う。社会にプラスのことをする、そこに「だけど数字は上げているでしょ」という言い訳は通用しない。そして会社の目的の一つは「社員の成長と満足」だから、数字は上げたけど社員が不満足で人間的にも成長しないなら意味はない。一方、社会のためになっているから儲からなくても良い、ということにもならない。何故ならそれでは「社会のため」を永続的に続けることが出来ないから。
とりとめのない話だが、要は「たかが仕事と思うな、人生だと思え」ということである(余計に分からない?)。人生をお金で売るのか、それとも社会や自分の成長と満足のために仕事をするのかっていう話である。今日は盛和塾自主例会で、いつも親しくさせて貰っている中村さんの講演を聴いて、特にこう思いました。

フィリピン出張!

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久しぶりの海外出張となるが、僕が副理事長を務めるボランティア団体(​日本国際民間協力会​)の案件で、フィリピンに行ってきた。たった4泊5日で、事業地候補のレイテ島(第二次世界大戦の激戦地)とマニラを訪問し、まだ不十分だけど大体の枠組みを作ってきた。
当会では、2013年11月にフィリピンを襲ったハイエン台風(現地では「ヨランダ」と呼ばれている)の後の緊急復興支援を2014年、2015年と行っており、その後のプロジェクトとして縁が出来たレイテ島で何かやろうということだ。結論として、最近世界的にも需要が高まっていて、フィリピン政府も注力しているカカオ栽培が良いのではないかということになった。助成金をこれから申請するJICA(国際協力事業団)のマニラ事務所(担当者は4名とも女性だった)、何か研究でも良いから一緒にやって頂きたいアジア開発銀行のチーフエコノミスト(日本人で、局長クラスのかなり偉い人だが、たまたま友人の友人で紹介して貰った)、現地で電話アポを取ったフィリピン農業局の担当者、そしてもちろん現地(レイテ島)の農民組合、農地、地元有力者などと実質三日間の間に立て続けに訪問、打ち合わせを行った。
カカオはなかなか面白い作物で、苗を植えてから3年目くらいで実がなる。なった実を割ると大きなタネが出てきて、これを一週間ほど発酵させ、天日で干す。それをローストして砕いて、、、、途中は端折るが、チョコレートとなる。今回のプロジェクトでは天日で干した豆のところまでを考えていて、そこからチョコレートメーカーに販売しようとしている。
途上国ではまず、主体者となる農民組合がしっかりしていない。見よう見まねで目の前のことしか出来ない、リスクを取れない、なるべく努力したくない、結果として品質管理がうまくいかない、僻地では輸送費も結構掛かる、また台風が来ればほとんど被害を受けてしまうなど、障害になることだだらけだ。しかも最初は少量生産にならざる得ないから、カカオだとガーナとか隣のインドネシアなどの大量生産国に供給量も価格でも負けてしまうのが現実だ。
この秋くらいの補助金がうまく採択されれば、その頃からカカオプロジェクトを始めることが出来る。既に当社でもこの会の活動で出来た​ヨルダン産有機オリーブオイル​を日本に輸入して販売しているけれど、数年経ってチョコレートを加えられたら良いと思う。
まあこんな感じでゴールデンウィーク前半は終了、で後半は、水球普及活動に注力することにしよう。

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