社長ブログ

社長フィロソフィー日記

仕事とは改善

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仕事とは、目の前の業務をただこなすだけではないと思う。目の前の業務の目的を理解し、その改善に努めるのが仕事だと思う。カフェでコーヒーを出すのが業務でも(今スタバで書いてるので)、どうやったらもっと美味しくコーヒーを作れるのか、どんな雰囲気のお店にしていけば顧客がもっと快適に過ごしてくれるか(そしてリピーターになってくれるか)などを考えることができる。
「その業務の目的・意味・意義な何なのか」をもっと考えるべきだ。目の前の仕事が事務仕事であっても(例えば発注作業)、そもそもその事務は何のためにあるのか(自社が必要とする資材を揃える、それを転売したり製造やサービスに使ったりする)、その目的のためにはその事務作業はもっとどうあるべきなのか(必要な時に必要なだけ届くようにして貰う様に交渉する、発注単位、タイミングを工夫する)、またもっと効率化するにはどうしたら良いか(発注締め切り時間を繰り上げるには?より少ない人数で作業が行える様にするには?納品を確実に手間なく確認するにはどうすれば良いか)など、幾らでも改善していくことができる。
更に、そもそも自社が顧客に提案している製品やサービスが本当に顧客のためになっているのかを疑うことも必要だと思う。安くない費用も貰って何かを提供しているとしても、もっと安く効果的にその目標を達成できる手段や、顧客にとってもっと優先順位の高いニーズがあるのなら、自社製品やサービスを押し付けるのも考えものだ。「そもそもの目標は何なのか」を考えれば、自社製品が適していなければ、提供する品目を増やさないといけないということになる。「金槌は世の中のものが全て釘に見える」という言葉があるが、釘を打つことが専門の金槌にとっては、何でもかんでも「叩く対象」に見えてくるということだ(=視野が狭く自分の価値観でしか考えられないということ)。当然、我々は「金槌」になってはいけないし、ビジネスの世界では生き残ってはいけなくなる。
組織で働く人たちに求められるのは、「与えられた仕事」の意味を考え、自分の専門性や創造力を活かして「改善していくこと、仕組みを作ること、そしてそれによって自らの仕事を作り出し、より良い社会に貢献していくこと」だと思う。今の仕事は自分の技術を活かせないとか仕事が与えられないとか言って不満を持つことは本当に「不幸な勘違い」で、もっと自分の能力や社会への役割を自覚し、能動的に目の前の業務を改善していくことが「本当の仕事」だと思います。

組織で働くということ

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大企業で働くことと、中小企業で働くことの違いは、夜行バスに乗ることと、自分で自転車で走ることの違いの様だ。
夜行バスに乗っていると何だか安心な様な気がする。最近の長距離バスは結構快適で、リクライニングはもちろん席も広いしテレビなんかも付いている。目的地は決まっているし、そこまで運転手が連れて行ってくれる。バスの中にいると小空間で完結しており、カーテンを引いてしまえば外がどんな状況かも分からない。
しかし実際は、悪天候の中闇を切り裂くように山道を走っているかもしれない。高速道路でダンプカーに挟まれながら危ないことになっているのかもしれない。バスの性能と運転手の技量に自分の命を預けている訳だが、快適に守られた(と思える)小空間にいると外部環境や自分が本当は晒されているリスクというものが見えてこない。これは飛行機だともっとそうかもしれない。これは大企業で働いているのとそっくりだ。
一方、自分で街中を自転車で走っているとどうか?自転車に乗っている人を見ると、特に学生なんかは車の間をすり抜け、信号を無視したりして危なっかしく見える。しかし自分が運転して自転車に乗っていると、周りに注意を払いながら、リスクを常に予測しながら「安全に」移動している感覚である。他人が見るのと自分が感じることには大分と違いがある。この感覚は中小企業に勤めている(もしくは経営している)感覚に似ている。
もちろん自転車に乗って事故に遭う人も多いだろう。しかし事故が起こる人は起こるし、起こらない人には起こらない。事故の原因ははっきりしているし(スマホ運転とか)、何より自己責任でリスクは下げ得る。
他人が運転している、管理している状態で事故を起こされてしまって被害に遭う確率と、自分で運転し管理している状況で事故に遭う確率のどちらが大きいかは分からない。前者はコントロールできない、後者は自分が気をつけていればリスクは下げ得るという違いがある。
さて、では夜行バスで一見安全そうで実はそうでもなくて他人に命を預けている状態と、自分で自転車で街中を走り回ることのどちらが良いか?これは個人の好みの問題だけど、僕はもちろん後者が心地良いし納得できる。たとえ事故に遭ったとしても致命的でなければ良い。
という訳で当社は自転車だ(自転車経営ではない)。自転車は自分で漕いで運転するもの、間違っても自転車の後ろにボォーっと二人乗りしてはならないですよ。

オリンピック

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最近はリオオリンピックばかり見ているが、真剣勝負を見ているといつも思うことがある。前回の五輪から4年間、いや競技を始めてからおそらく長年に渡って、本当に苦しい練習と努力を積んできた選手たちの「決着」が付くのがなんと一瞬であることか。
柔道なんて一試合たったの5分間だ。武道だから発祥は命を懸けた戦いだっただろうから長いものにはならないということだろうが、それにしても、実力が拮抗している選手たちが技を掛け合ってもんどり打って倒れてたまたま下になった選手が負けてしまう、もしくはお互いに技を掛けずに審判の主観で指導が出されてそれが決勝点になってしまう。相撲でも15日間の勝敗、フェンシングは15ポイント、レスリングでは3分を2ピリオドらしい(フォール負けはあり)。柔道の5分一本勝負はいかにも短い感じがする。
仕事であれば一瞬で勝負がつくことはない。失敗しても次で取り返せば良いし、一瞬のピークよりも10年20年に渡って高いレベルを維持することの方がビジネスマンとしては重要だ。ましてやオリンピックの様に才能がある人が血の滲む様な努力を長年行った上での勝負でもなくて、普通の人が多少努力して競いそれなりに生きていける訳だから、甘いと言えばとても甘い世界でもある。
当社はオリンピック選手とまではいかないけれど、それでも普通の人が並々ならない努力を行って、いつも勝てるチームでいたい。なかなか難しいことかもしれないけれどその心構えで毎日真剣勝負を行っていきたいと思います。マラソンの話ではないですよ。

最後の一回

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何ごとも、挑戦してみないとわからない。やってみて初めて得られる情報もあるし課題も出てくる。必死で努力してそれを一つずつクリアすることで、成功の確率が高まっていく。

しかし必死で努力して課題をクリアしたとしても、最終的に成功するかはわからない。というより、殆どは失敗に終わるだろう。当社の場合だと、思いつきで始めた商品開発や企画で(小さくとも)「成功」と言えるのは十個に一つもあるかどうか。 もしかしたらそれ以下かもしれない。

私は、自分のバスケットボール人生の中で9000回以上のシュートに失敗した。300近いゲームに負け、26回は試合の勝敗を決めるシュートを外した。私は、人生の中で何度も何度も失敗している。そしてそれこそが私が成功する理由なのだ。 

と言ったのは、あのマイケルジョーダンだ。シュートを打たないと入らない。入らないと勝てないし成功しない。

皆「成功」を目指すなら、失敗することは「当然」と思わなければならない。もちろん失敗しようとして失敗するのは良くないけれど、成功すると信じて必死で努力して、その結果「失敗」に終わったとしてもそれは「当然」なのだ。そしてその「失敗」は 必ず次の挑戦に生きてくる。必死で努力して「失敗」しないと、また次も同じような失敗を繰り返してしまう。従って「全力で、そして当然の様に失敗する、そしてまた次挑戦する」ことが成功の秘訣だと思う。

会社経営で「楽」なのは、「失敗」が許容されていることだ。 10回やって9回失敗しても、最後の1回成功すればそれまでの失敗は全部回収しお釣りがくる。一代で大企業にまでなった会社は大体そうで、失敗を繰り返しながら一回の大成功で大きく成長しているケースが多い。

従って大事なのは、失敗から学んで何度も挑戦すること、そして成功した時には大きく勝てる挑戦を行うことだと思う。逆に良くないのは、失敗を避けるためにそもそも挑戦しない、失敗から学ばない、成功しても大したことのない挑戦を行うことだ。そしてその際、致命的な失敗を犯さないことが挑戦を続けるためには必要だ。

当社も まさしく「当たればデカイ」ようなことを並行して次々と挑戦していると思う。「当たればデカイ」と言ってもそれは当社の利益のためだけではない。「当たれば社会の進歩がデカイ」ことが重要で、そうであれば協力してくれる人も多くなるし結果的に成功の確率も上がっていくのだと思う。ということで、全力で(成功すると思って)挑戦し、失敗してもその経験を生かしてまた次を挑戦することを繰り返していきたいと思います。

私心のない判断を行う

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最近、盛和塾北大阪支部の「京セラフィロソフィー輪読会」に出席している。盛和塾に入って20年もなるのに社内でフィロソフィー教育もしないでどうするんだという先輩のアドバイスも(半分)聞く形でまずは自分が改めて勉強してみようと思った次第です。とはいえ、京セラ(稲盛)フィロソフィー自体は常に意識して経営を行っているので、実際には当社の経営の仕組み、ビジネスの仕組み、社員の意識は殆どそれに沿ったものになっていて、「勉強しているが現実が付いていっていない」の反対で「社内研修は行っていないが、経営の仕方そのものが稲盛フィロソフィーを体現している」ことになっていると自画自賛?している。
ともあれ、新たな気持ちで輪読会に出席するとそれはそれで勉強になる。前回は、フィロソフィー33番の「私心のない判断を行う」がテーマであった。曰く、「何かを決めようとする時に、少しでも私心が入れば判断がくもり、その結果は間違った方向にいってしまいます。人はとかく、自分の利益になる方に偏った考え方をしてしまいがちです。(中略)私たちは日常の仕事に当たって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんでいないかと、常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。」
輪読会の席上では、多くの方が「経営者は自分の欲望を抑えて清く生きていかねばならない。もちろん会社としても儲かるからやる、儲けるためにやるという姿勢は良くない。正しいことを行って「結果的に」高収益になることが理想である(ということを意味している)」という意見が多かった。しかし僕は少し違うと思っている。
(僕が解釈するに)稲盛さんは「私心」自体を否定しているのではない。儲かりたい、よく思われたい楽したいという「私心」のは誰もが全面的に否定することは出来ないし、程度の差はあれそれが仕事のモチベーションになっている人も多いと思う。しかし自分の私心「だけ」を全面に押し出してしまうとどうなるか。社長の贅沢のためだけに働く社員はいないし、その会社の利益にしかならないビジネスに協力したいと思う取引先もないだろう。自分にだけ都合の良い判断をせず、どうすれば皆が協力してくれるだろうと考えれば、自ずと客観的に正しい判断、倫理的で利他的な行動をを取るしかないことが分かるだろう。「あの人は自分の利益だけを考えているのではない。取引先も消費者も、もちろん自社の社員の幸福も含めて成り立つビジネスの仕組み作りを行っているのだ」という評価があって、その人の欲望、能力だけでは出来ないことが、皆の協力のもとに可能になるのだと思う。その結果として、その枠組みの中心にいるその人にとっても十分大きな見返りが出てくる。
従って、「私心のない判断を行う」とは、欲望を抑えなさいという倫理的なことだけを言っているのではない(と思う)。大きなものごとを成就させるためには(そして結果的に自分も成功するためには)、最初から私心に曇った気持ちで考えてはいけないということだ。つまり、「ビジネスモデルがうまくいくには、そこに参加する人たちが皆利益を得ることが大切。自社の都合、社長の私欲だけではうまくいきませんよ」という様に理解すればいいんじゃないかと思います。

自分よりもレベルの高いものを見ることが大切

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この週末は、50歳記念ということで豪州ゴールドコーストで開催されたマラソン大会(ゴールドコーストマラソン)に参加してきた。気候もコースも非常に走りやすくて、いつもの様に30キロで失速してしまったけれど、それでも4時間少し(4時間7分)で比較的気持ち良く完走できた。

コースは海岸沿いを 折り返すコースで、まずは先頭集団とすれ違う。今回は公務員ランナーの川内選手も出場していて、すれ違うタイミングを概算してバッチリ動画を撮ることができた。アフリカ人選手に囲まれた川内選手は如何にも鍛え抜かれたランナーの様子で格好良かった(結果は残念ながら2位。また帰りの空港でもちょうど目の前にいた)。小学生時代から川内選手を鍛え抜いたお母さんが一緒に来ていて初マラソンに参加し、タイムも3時間38分という驚異的なものであった。

速い集団とすれ違っている間は、自分もその速い人たちを見習って、顔を上げ姿勢を良くし、ついついタイムが良くなってくる。トップランナーもそうだが、3時間前後で走るランナーたちは格好良いし、まずは必死で走っている様子が伺える。その必死さに自分も影響され、そして多少無理しながらペースを上げていくことになる。

逆に自分が折り返すと、今度は自分よりも遅い人たちを見ながら走ることになる。これも当然だが、フォームも体型もそんなに良くないし、何より「まあこんなものでいいか」 という気持ちが伝わってくる。そうするとこちらも影響されて(悪影響)、まあ歩いてもいいかな?という気持ちにもなってしまう。

ということで、やはり自分よりもレベルの高い人たちを見ることが大切だなということが自分の体験として分かる。レベルの高いパフォーマンスを見ていると自分もその気になるし、それが当たり前の様になってくるものだ。当たり前と思わなければ、努力もしないし結果として実力も伸びていかないということである。 逆に自分よりもレベルが低いものを見続けていると、自分のレベルまで本当に低くなってくる。

当社も当然、常に上を見て仕事を行い、新しい仕事を創っていくことが大事だと思う。あの会社よりもマシとか思えば進歩はないし、やはり世の中で必要とされ業績をどんどん伸ばしている、自社よりもレベルの高い優れた会社を見続けることが大切だなと思った次第です。

川内選手 

全部出し勝手連動理論

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イギリスのサッカーのプレミアリーグで前評判では最下位のレスターが奇跡の優勝を遂げたのが、その好調を支えた岡崎選手の言葉が素晴らしい。

「結果を出すヤツらは、ぶっ飛んでいる。本来持っている力の全てを、全員が出すからあり得ない順位にいる。」「全員が全力でやって、勝手に連動する。それができれば日本も強くなる。監督の要求に気を取られすぎて自分の全力を出せないのなら強くなれない。」

これはまさしく組織論だ。個々人が「ぶっ飛んだ」実力と特技を持ち、その力を「全員が全部出す」。しかも組織としてベクトルが一致していて「勝手に連動する」。だから本来「あり得ない」高い結果を出すことが出来る。逆に、目の前の顧客がいるのにいちいち自社の上司の顔色を伺ったり、全実力を出さなかったり、もちろん最初から実力が足らなかったりしたら、組織として強い訳がない。

これは「全部出し勝手連動理論」と名付けても良いような組織論だ。もちろん当社はこれを目指す。そして「あり得ない」結果も出し続けていきたいと思います。 

全てはコミュニケーションの問題

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世の中の多くの課題は、情報を伝えるという「コミュニケーションの問題」が大きいと思う。人間は一人一人独自の世界観や人生観を持っていて、しかも興味も能力も異なる。例えばAという人がBという人に何かをお願いしようと思っても、「確実にBという人が納得して 行動に移してくれる」ために何時、どの様に情報を伝達すれば良いかはかなり高度な話ではある。

 世の中に溢れる商品やサービスにしても、消費者に「この商品(サービス)は良いものですよ」ということを伝えるためには相当の努力とコストが掛かる。人間は自分が理解したい様に理解する傾向があるから、科学的に客観的に正しいことを伝えてもその様に理解しれくれるとは限らない。正しいことを言っても伝わるとは限らない、「人を動かす」ということは情報の伝達=コミュニケーションの問題であって、かなり難しいことだと思う。だから逆に、何の関係もない(恐らくはその商品を使ったこともない)タレントがにっこり微笑んで商品を手にしているだけでその商品の「良さ」が伝わってしまう、政治課題にしても何となく「時代の雰囲気」で大切なことが決まってしまうということがままあることになる。

組織であれば全員が同じ方向のベクトルを持って全力で物事に取り組んでいれば、 その目的は必ず達成される。個々人が幾ら優秀でも、お互いの努力の方向が明後日の方を向いていれば「1引く1は0」みたいな話で組織としては成果が上がらない。従って「全員が同じベクトルを持つ」 ということが一番大事なのだけど、問題はその意識の共有の仕方である。年に一回社長が訓示を垂れても誰も覚えてないし(僕も覚えてない)、朝礼での社是の唱和的なものも抽象的過ぎて社員の意識をまとめるには不十分である。やはり日々起こっていること、今取り組んでいることをリアルタイムに情報共有し、喧々諤々やりあって初めて、同僚という他人が何を考えてどんな行動を取っているのかが分かり合ってくる。これが情報の共有化の課題であり、つまりはコミュニケーションの問題である。

当社は日報システムをフル活用しているが、これも定期的な会議では到底不十分であるからだ。 会議を開いたからと言って参加者の社員が聞く耳、意見をする積極性を持っているとは限らないし、何より手間とコストがかかる反面、週一回くらいでは全く不十分であるからだ。むしろその日あったことは全員が報告書を(ネット上で)共有し、直ちに議論を始めてその場で結論を出していく、その結果課題と意識が共有されてチームとして機能していくということが理想的である。

当社では日報報告を行い議論に参加するということがなければ「いないのと同じ」である。僕は毎日会社に出て社員の顔を見ることを絶対としていない反面、日報は数時間ごとにくまなく目を通して社員の動きを見守っている(コメントもする)。従って数日日報システムに登場しない社員は僕にとって「仕事をしていない」のと同じだから、罰金を取ってでも必ず情報共有させたいと思っている。

ということで、「何も言わなくても分かって貰っている」というのはその人の甘えで、これは会社に限らず(僕も含めて)人間関係、家族の間でもそうだと思います。 

上から下から右から左から、考える

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未知の分野の挑戦を行っているいる際に重要なことは、まず「そもそも」論、社会的意義のような大上段に構えた「上からの視点」と、逆に「では現場では結局どうなのか」という「下からの視点」の両方が必要だ。

ロジックがなくて自分本位の目の前のことだけに囚われてしまうと説得力に欠くし、何よりそこからの発展は期待できない。かと言って机上の空論になってしまうと実務が進まない。「上からの視点」と「下からの視点」は往々にして矛盾することがあるけれど、そこの折り合いをつけて実務を回しながら理想に近づけていくのがマネジメントだと言える。

一方、「そのことだけ」を上から下から考えては事業の発展はない。同時に「右から左から」見る能力が必要だ。「金槌は世の中のすべてが釘に見える」という諺があるように、自分の機能に囚われてしまうと本当はチャンスがあるのにチャンスを見ることができなくなってしまう。犯罪や倫理に反していない限りは、世の中のためになり自分ができそうなことであれば、やってみたことがなくてもチャレンジすべきだ。今は出来ないのだけど世の中のこういう技術を取り入れれば出来るかもしれないという自由な発想が大切だ。

僕はたまに「手品」をするらしい。ふと閃いて予想もしない展開になることが多いからだそうだが、それは物事を「上から下から、右から左から」考える習慣(癖、天邪鬼?)があるからだと思う。もちろんそういう傾向は世の中にためになるために使ってこそだが、何かのブレークスルーというものはこうした「手品師」から生まれるのだと思っています。 

城を築く

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石を積む職人の有名な話がある。何もない野原で石を黙々と積む三人の職人がいたという話である。何をしているのかと一人目の職人に聞くと「石を積んでいるのです」と答えた。二人目の職人に聞くと「石を積んで壁を作っているのです」と答える。三人目の職人に聞くと「石を積み、丈夫な壁を作り、千年残る立派な城を造っているのです」と答えたという。言うまでもなく、モチベーションが一番高い人は誰だろう。

これは何もない野原に、目の前で積んでいる石しか見えないか、そこに未来の城を見い出すかの違いである。新しいものを作り上げるという事は、逆に言うと今は何もない、ただの野原と同じ状態と言うことだ。そこには何も立派なものはないし、むしろ草が生えっぱなしのうら寂れた風景かもしれない。しかしそこに明るい未来を見出し、生き生きと将来の姿を描き、希望に満ちながら目の前の石を黙々と積めるかということだ。これは想像力(または創造力)の問題でもあるし、そのようなビジョンを職人に見せることができる城の建設者、または組織のリーダーの力量でもある。

新しい事業は往往にして、ビジョンは崇高でもやってる業務、作業は単純で地味なものが多い。そこで腐ってしまわずに、石職人でもなく壁職人でもなく、立派な城職人になれるかがその人の器とも言える。

当社は様々な新規事業をやっているが、最初から分かりやすい格好の良いビジネスはできない。誰もやらないこと、ニッチに見えるけど実は大切なことを当社の力で皆を巻き込んで、チーム一丸になって社会に貢献していきたいと思います。しかし早く城を築きたいとも思います。 

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