社長ブログ

社長フィロソフィー日記

熊野古道マウンテンラン参加!

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報告が遅くなったけれど、この3月6日の日曜日に開催された、熊野古道マウンテンランに社員合わせて10名で参加してきた。 

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熊野古道は霊験あらたかな修行者の道、確かにこれは創造以上にすごいコースだった。短めの17キロコースに参加したのが5名、長い方の33キロ(!)も僕を含めて5名の参加だ。 平坦な森もあるトレイルランニングと思って参加したら、よく見たら「マウンテンラン」であった。つまり普通の登山道を走るコース。で、風景はこんな感じ。

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33キロの道中殆ど平坦部はなくて、登るか下るかのどちらか。これはかなり辛い(赤のウェアが僕)。 

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殆ど登山状態で、こんな区間もある。もっと酷い坂もあって、後ろに倒れそうな「よじ登り」、「よじ下り」な難所もあり。  

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しかし空は綺麗だった。これは前日の夕日。夜になると星が満天で、東京営業所の藤井くんなんて「すごい、すごい」と子供の様に騒いでいた。確かにあんなに星がるんだと思うくらいのまばゆい夜空だった。 

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これはマラソン部長の西尾くん。さすが33キロ5人中、一番でした。 

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さて来年はどうしようかな。参加した社員に聞くと「勘弁して下さい」とのことだったけど、僕自身は結構楽しかった(15キロで脚が攣ったけれど)。まあ辛いことはすぐに忘れると思うから、恒例の行事にしても良いかなと思っています(ブーイングが聞こえる)。 

前原外相辞任

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焼き肉屋の地元のおばちゃんから年間5万円貰ったからと言って、外務大臣を辞任しないといけないとは驚きだ。「それによって私の外交方針、政治的意見が影響されたことはない」とは当たり前の言い訳だと思うが、それさえも大事件にしてしまう今の日本の風潮にも驚いてしまう。

この国でリーダーになるのは大変な様で、自分のことは棚に上げて他人のミスに非寛容な文化は挑戦する意欲を奪い、結局「何もしない」のが一番平穏で安全ということになってしまう。会社や組織がが駄目になる典型的な事例で、向こう傷を恐れて新しいことはなにも出来なくなる。法令違反をしても良いとは思わないけれど、良心に従って正しい行動に不都合があったら、事実を理解してルールに従い、謝罪すれば良いのだと思う。

全然話は違うかもしれないけど駄目な会社の典型は、会議中に提案内容そのものよりも誤字脱字を指摘する参加者がいることだ。また全体や物事の方向性を理解せず、評論家の様に自社の都合だけ、自分の都合だけ、でお前はどうするのだと言いたくなる人は当社には要らない。

但し、前原外相が外相の地位にふさわしかったかどうかは別問題である。非合法手段も含めた外交の権謀術数の中で彼がトラップに陥らずに任を務められたかどうか。その意味で今回の辞任は、法令違反のためではなく、たかが野党議員のチクリにさえ耐えられず脇も甘かった「能力不足のための辞任」と理解したい。 その意味では小沢さんくらい打たれ強い人が、毒には毒をということで中国大使、ロシア大使くらいになったら良いかもしれない。

親は子供の邪魔をしてはいけない。

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今日は高校水泳部OB会の役員会があって、幹事長の僕も当然参加してきた。会が終わってからコーヒーを飲みながら後輩の監督やその他の若手と話していたのだが、今の子供たちが頑張らない理由が分かる様な気がした。

高校のクラブに入部する、特に厳しくて全国大会なんかに出るチームに参加できることはとても得難い環境だ。自分の実力以上のことを強制的にやらされ、知らず知らずのうちに力がついてくる。自分の狭い世界が外から打ち破られ、自分の小さな常識が音を立てて崩され、でもなんとか生き残っていく内に強靭な身体と精神が得られる様になる。

僕の母校は進学校だから、そうやって限界を超える練習や試合を重ねても、一方で卒業後は一転勉強していい大学に入ったり、中には3年の受験直前まで部活をしながらもそのまま現役で受かってしまう様な奴だっている。周りにそういう先輩や同級生がいると、「それが普通」と思ってしまって、自分も出来る様な気になって実際そうなることも多い。

要するに、どんな厳しいことだってどんな高いレベルに置かれても、「それが普通」と思えれば意外と、特に若い頃はなんだって出来てしまうものだと思う。

そこで邪魔するのが実は親だったりする。自分の子供が体力の限界を超えて参ってしまっていたり、故障したり、また勉強の成績が落ちたりしたら、「何々ちゃん、そんなに頑張ったんだからもう十分だよ」と悪魔のささやきをしてしまう。そうすると子供は、「そうか、私は頑張ったんだ。120%やっているんだからこれくらいでも仕方ない、もう十分」と心理的な限界を自分で設定してしまう。で、そこから先は伸びない。

人間は自分で100%と思っている80%しか実際には出来ない。10キロ走ろうと思えば8キロでもの凄くしんどくなって、10キロ走る頃にはヘロヘロになる。20キロ走ろうと思えば10キロ楽勝、でまた18キロでしんどくなる。フルマラソンなら20キロは楽勝、35キロで限界を感じる。いずれも自分で設定したゴールの8掛けでしんどくなるという脳に騙されている現象である。

親が子供は十分頑張っていると思って言ってしまった場合、子供はそこから先は成長しない。 それは実は「邪魔」であって、親心が小善をなすことが子供にとっては大悪である。

これは会社経営でも同じである。社員のことを思って甘くする、それ位でいいよと言うことが、その社員の成長を阻んでしまう。上司の責任は、小善に陥ることなく嫌われてもその人のことを本当に思って、理不尽な要求、過度のタスク、そしてその人の小さな常識、狭い世界観をぶっ壊すことが最も大事だ。「あの人、無茶なことを言う」 と言われるのが名誉であって、それでも従ってくれる人間の魅力もまた大事な要素となる。

今日も話しながら、自分でも勉強になった。水球部を見て自分の会社の振りを直す、 結局組織は同じなんだなと思った次第です。

騒ぎ過ぎ。

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最近京大入試での携帯電話を使ったカンニング(巷では、ソーシャルカンニングと呼ばれているらしい。確かに。)がメディアを賑わしている。単なるカンニングなんて何処でもあるだろうし、いい大学に入ったからと言って将来が保証される訳でもない自己満足だから(社会では実力がなければクビ)大した話だとは思わないのに、新幹線のニュース速報にも流れている始末だ(それで思い出した)。
それと相撲。これも相撲の取り組みが総て真剣勝負だと思っていた人は少ないだろう。相撲はかなり特殊なスポーツで、歌舞伎や能に近い文化的な伝統技能だ。文化的=勝つだけでは駄目、勝てば良いってものではないと認識されている時点で純粋格闘技でもなく、「概ね真剣」に文化を守るって程度だと多くの人が思っていると思う。警察も警察で、賭博事件に絡んで八百長情報を公表したのだが、これも趣旨がよく分からん。グレーな部分をあからさまに公表すれば世間だって「そりゃいけない」と反応するしかないではないか。それによって曖昧さが許容されなくなってそもそも相撲という文化が崩壊の危機にある。
企業のコンプライアンスも同じ。コンプライアンス重視が行き過ぎると本来の企業活力が失われることも多いと思う。「世の中に絶対大丈夫」ってことはないから、「絶対」の部分を追求して行くと何も出来ない状態に陥る。
駄目なものは駄目だけど、そんな白黒つけてどうするのってことまで追求して、本当にエネルギーを注がないといけない「新しいことの創造」、「訳の分からない未来への投資」、「やってみないと分からないことへの挑戦」などが出来なくなるってのも本末転倒だ。もっと言えば世界には混沌として解決すべきことが沢山あって(中東での民主化とか)、「京大でのカンニング」なんてどうでもいいと思うのだけど、どうだろうか。因みに京大は僕の母校だけど、「いい加減さ」が売りなのにこれで管理が厳しくなるのも残念なことです。

後はお金を出すだけ。

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会社経営において、お金が足らないことが主要な問題になっていることはむしろ少ないと思う。万年赤字会社ならともかく、少しでも黒字を出しているまともな会社なら経営自体は十分回っているはずだから、お金がなくて何も出来ないってことは多分ない。

それよりも「上司の物わかりが悪い」、「部下が働かない」、「企画が通らない」、「本社の意向に逆らえない」、「情報が共有されていない」、「意思決定が遅い」などの組織上の問題を抱えるところの方が多いだろう。それに知恵を出す会社カルチャーがないことが問題かもしれない。

逆に言うと、課題というか決断しないといけないのは「それにそれだけのお金を使うかどうか」ということだけ、他のことは総てうまくいっている状況というのはとても楽だ。情報は共有され、知恵が出され、皆が一致団結して素早く動ける状態で、後は100万円とか1000万円とか、必要なお金を支出するか否かだけを判断しないといけないというのであれば、経営者は自社のバランスシートの状況、またそれが方向性にあっているかだけを考慮して素早く決断を下せば良い。だからこういう会社はとても素早い。

当社もだんだん素早くなってきていて、「後はお金を出すだけ」状態の案件がいくつも走っている。成果が見えるのも早いし、こうやってビジネス展開が加速していくのって気持ち良いものですね。 

礼儀正しい国民性

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日本人はつくづく礼儀正しい国民だと思う。先日スターバックスに行ったらお客さんがカップごとコーヒーを床にぶちまけてしまった。当然周りのお客さんの荷物やら服やらにコーヒーの雫が飛び散ったと思われるのだが、被害者のお客さんからは「大丈夫です、全然大丈夫の合唱。

高級ブティックではどちらがお客さんか分からないほどの接客のされ方、散髪に行っても顧客の方が「どうもありがとうさまです」と丁寧にお礼を言って帰る。レストランでもリゾートホテルなんかでもかなりお行儀良く、笑顔でそこの従業員に接する人たちも多い。日本はいわゆる平等社会で、サービスを提供する側もされる側もそれなりの同じ階級、世界中でもこんな国民は珍しいと思う。普通の国だと、サービスを提供される側がここまで謙って(へりくだって)まで見える対応はしない。

逆に言うとこういう日本でビジネスを展開出来る我々は幸福だ。ビジネスの基本として「顧客を選ぶ」というがあるが、日本では、顧客は既にかなりの程度選ばれているとも言える。

当社もお客さんにはかなり恵まれている。しかしそれに甘えてばっかりだと駄目なので、気を引き締めていきたいと思います。 

リーダーシップとフォロワーシップ

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よくリーダーシップの重要性が言われるけれど、実はリーダーシップに従う「フォロワーシップ」も劣らず重要だと思う。

リーダーがただ言うだけ、独りで行動するだけでは大きなことは出来ない。独りで何かやろうとして突然立ち上がるのはかなり「変人」の部類に属する。ストリートパフォーマンスの様なもので、独りで道端で歌を歌えば、かなり変わった人と言う見方をされるだろう。

でもそれが二人でやれば、いや3人4人、10人で一斉に歌えば、それは「パフォーマンス」になる。最初に始めた人は変人、しかしそこに二人目三人目が加わることで最初の「変人」は「創始者」に変わる。つまりフォロワーがいて、変人は初めてリーダーとして認識されるのだ。

組織も同じである。リーダーも大事だがリーダーの意思を体現して、より洗練されたビジネスを展開、実行していくのがフォロワーの役割だ。フォロワーがいて初めてリーダーの「思いつき、夢」は、実現可能な組織としての経営目標となる。

今の政治の悪いところ、不振に陥った企業の悪いところは、「良きフォロワーシップ」 がないところである。皆がそれぞれ自分の政治的立場、それぞれの意見を好きな様に言うことによって、まとまるものもまとまらない。皆が評論家の様に愚痴的なことを言ってリーダーに従わず、かと言って代わりに何が出来る訳でもない。

リーダーシップの欠如とよく批判されるけれど、現在の危機的状況では誰が見てもやらねばいけないことは明らかだから(例えば財政再建、つまり歳出カット、増税。企業であればしがらみを切って強みに集中すること)、リーダーシップはこの際不必要で、必要なのはつべこべ言わずにしっかりと実行するフォロワーシップだと思う。

民主主義の一つの欠点はいつでも実行を伴わず意見を言うことが出来るってことだ。 目標が決まるまでは議論をする(リーダーがリードする)、決まったら結果が出るまでリーダーに従って文句を言わずしっかりと実行するということが大事だと思うけど、どうだろうか。

これから必要な技術

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ちょっと思いついたので備忘録的に、これからの時代に活躍するための必須技術、知識を書いておこう。

(1)これから益々、「英語」とネット活用の知識が大事になる。ネットの世界には膨大な情報が流れているが、実はその重要なものは(日本人には不幸なことに)殆ど英語である。僕らが若い時はそうではなかったが、今やネット上には世界の一流大学の講義、論文、業界事情、技術情報などが簡単に手に入る。人脈も世界中に広げることが出来る。でもそれは全部英語の世界。以前は限られた人しかアクセス出来なかったものが、今は「英語が出来るだけで」簡単にアクセス出来たりする。だから英語が出来ないことは致命的になり得る。良い悪いかは別として、事実としてそうなのだ。

(2)「ネット活用の知識」も必須だ。上記と同じだけど有益な情報を得ることが短時間で出来てしまうから、さっと情報収集して後は考えることに時間とエネルギーを費やすことが出来る。人と話をするのにそこまで会いに行く時間とタイミングを計っているよりも、スカイプしてテレビ電話で毎日15分でも話す方が仲良くなれるし効率的だ。業界の専門家と10分話す方が自分で図書館に出掛けて行って資料を調べてコピーして読むよりも余程効果がある。ネット活用はスタートであって目的ではないが、高速道路と同じで速く目的地に連れて行ってくれる。

(3)経営をするなら「会計の知識」は必須である。経営は「良きこと」をするだけではなくて、 すべての活動をお金という「数字」で把握しなければならない。個々の活動を数字に置き換えて採算を考えなければならないから、「良い人だけどエネルギーはあるけど数字に疎い経営者」なんてあり得ない。

(4)最後に必要なのは、「異業種への理解」である。今までは業界の境が割とはっきりしていて自社の「業界の常識」に詳しければ成り立っていたのだが、今は境のはっきりしない「異種格闘技」の時代である。アパレル産業のライバルは同じ財布を奪い合う携帯電話かも知れないし、携帯電話会社のライバルはAppleかも知れないしGoogleかも知れない。アメリカの税理士事務所の仕事を奪ったのはアウトソース先のインドのデータ入力会社だったし、新幹線のライバルは航空会社でなくてテレビ会議会社だったりする。要するに自社の業界だけを見ていては全然駄目だし、逆に自社の強み、業界を超えた「社会における強み」を知ること、そのためには異業種もしっかり理解してその自社の存在意義を分かっていないといけない。

取りあえず上記4つは企業経営に必要なスキルだ。ちょっと備忘録的に書いてみました。 

人間の価値

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街を歩いているといつも思うのだけど、たまたま通りがかる人々の中にはとても(色んな意味で)偉い人もいるはずなんだけど、全く見分けがつかない。もっと端的に言うと、総ての人は外見上それこそどこにでもいる(僕も含めて)「凡人」で、とても「凄そうな人」はお目にかからない。

外を歩いている時はそれでも服装など身なりがあるから多少はそれぞれ個性があったりするが、例えば温泉なんかにいって裸のおじさんとかを見ていると、更に「偉い人」というのは見つからず、殆ど少したるんでお腹の出た凡人たちの集団だ。

街で高級車を乗っている人も、高級レストランで食事している人も、高級ブティックに来ているお客さんの中にも、どうも高級な人たちがそんなにいるとは思えない。 日本は総中流社会と昔から言われるけれど、外見上もやっていることも皆平均的で、その辺りにいる普通の人々である。

つまりいくら自分が偉いと思っていても、傍からはそんなにオーラは漂っていない、大して他の人と変わらないってことだ。しかも人間の寿命は皆平等だから、今は偉そうにしている(でも偉くは見えない)としても数十年経てば皆平等に老いぼれるってことでもある。

逆にだからこそ、外見や表面上の贅沢に執心してはならないと思う。どうせ必死になっても大して変わらない、我々は外見上総て「凡人」である。ならばその「凡人」であることを楽しみ、 むしろ実際にやっていること、社会に貢献している度合い、精神性を高め素晴らしい人格者になることを目指すべきだ。

人間の価値はこの意味で持っているお金でも飾った外見でもない。そんなの必死で追求しても大した効果、差を生むことは出来ないのだ。やはり人格、実績で勝負、それが本当の「偉い人」だと思う。 

当社も外見の格好ばかり気にせず、生み出している実績と社員の人格で勝負しようと思う。大した利益も上げてない税金も払ってないのに贅沢な本社ビルを構えるより、質素な場所ででも本当の価値を生む会社でありたいと思っています。 

団結は鉄よりかたく、

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梅棹忠夫の「私の履歴書」を読んでいたら、彼が所属していた京都大学探検部のモットーについて以下の様に紹介されていた。

 「団結は鉄よりかたく、人情は紙よりもうすく。」

 これは別に冷えた人間関係を言っているのではない。ある高い目標(ヒマラヤなどの生死をかけた山に登る) のためには、上下関係とか実力に関係のない「情」のようなものは必要はない。時には情をかけることが全員を死に追いやることすらある。そのような究極の状況においては「人情は紙よりもうすい」ことが大切になる。

そして勿論目標達成のためには、皆がベクトルを合わせて一致団結して前に進む必要がある。だから「団結は鉄よりもかたく」である。

団結は鉄よりもかたいのだけれど、そこには甘えは一切なく、人情は紙よりもうすし、である。格好よい言葉だけど、実行はかなりの精神力を必要とする。

企業活動も同じ、甘えを捨て、本来実力本位でなければならない。しかしリーダーシップの下、団結は鉄よりもかたくなければならない。どちらの要素が欠けても駄目なのだ。

他にも梅棹さんは良いことを言っている。また紹介します。 

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