社長ブログ

社長フィロソフィー日記

自らを反省し、周りに感謝する

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イチローが日米通算4000本安打を達成したが、その際に発した言葉がとても印象的だ。「4000本安打を打ったことよりも、8000回の失敗(凡退)を乗り越えたことが大きい」、「感動的な瞬間は自分で作るのではなく、周りの人に作って貰うものだと強く実感した」、というものだ。
前者の言葉は反省を意味するし、後者は周りに対する感謝の意を表す。イチロー程の偉業を達成した人でも(人だから)、その様な気持ちを持ち続けることが出来る。そしてどちらの言葉も、「自分が」ではなく(それは当然として)、自分が生かされている「周り」を意識していることが分る。「自分が偉いから偉いのだ」ではなく、出来なかった自分を反省し(=8000回も失敗した)、祝福された時には「ドヤ顔」で返すのではなく、祝福してくれた周りに感謝する。
単に「4000本安打が達成出来て嬉しい、自分を褒めてやりたいです」であれば普通の常識人、それを8000回も失敗したこと、周りが祝ってくれたことにびっくり感謝するところに彼の「変人」たるところが現れているのだろう。
ビジネスマンも実は同じで、出来たことを手放しで喜ぶのではなく、常に反省する(そして悲しいかな、反省材料はいつでもある)、そして周りに褒められ評価されたならば、その人たちにこそ感謝することが大事だと思う。ビジネスマン、いや大人であればそういう心を持っていたいと思います。

正しい仕組みで努力する

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最近よく思うのは、会社でもどんな組織でも、個人であっても「正しい仕組み、枠組みの中で努力すること」の大切さだ。
会社であれば正しい仕組みとは優れたビジネスモデルのことで、それは頑張れば頑張るほどその年の売上だけでなく、残高的に売上・粗利が積上っていく様な仕組みのことである。その時に営業活動をして売上をあげて、またその次の月はゼロからの努力というのは如何にもしんどい。また働いている時だけ売上があがっているというのもしんどい。出来れば一度注文をいただいた顧客からは半分自動的に次回の注文も頂ける仕組み、継続的に取引が発生する仕組み、それが累積的にどんどん積み上っていくビジネスモデルが優れていると思う。
他社との共同的な取り組みにおいても、お互いの努力で段々と世の中に浸透していく様な枠組みが大切だ。自社だけでやっていても影響力が知れているなら、他社とも組んで大きな事業に取り組む方が良い。その際にも、お互いの努力で色んな顧客に仕組みを採用して貰い、毎日の努力が確かに蓄積して時間の経過と共に既成事実の様に、積み上っていく枠組みが望ましい。いわゆる、「仕組みを作ったら、皆それぞれ頑張っていつの間にか大きな活動となっていた」という状況が好ましい。
個人も同じことだ。人生における成功は、「能力×努力×考え方」だと稲盛さんは教えてくれるが、「正しい仕組み」とはこの「考え方」に相当するものだと思う。長年に渡って、正しい考え方を持って毎日努力していく人は何十年後には人格者となり、人生も豊かなものになっていく。まさしく「残高商売」じゃないけれど、積んできた徳がその人に貯まってきて、長年掛けて「幸せな人生」が実現していくのだと思う。一方で「その時だけ良ければ良い」と刹那的で積み上らない「遊び」ばかりしていると、来月の売上も分らない会社と同じで、一寸先は闇、歳を重ねても何も積み上らず、不安な老後、不幸せな人生となってしまう。
正しい仕組み、正しい枠組み、正しい考え方、これらが一番大事だ。当社も(僕も)このことを肝に銘じて毎日努力を積み上げたいと思います。

足るを知る (2)

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僕は今まで「足るを知る」という意味を余り分っていなかった様に思う。僕のこれまでの理解では、「現状の状態に満足しなければならない」、「もっともっとと欲を言い出せば切りがなく、結局いつまでも幸せになれない」位に考えていた。
しかし本当の意味はそれとは違うことに最近気がついた。「足るを知る」の意味は、特段不足する訳でもなく、自分が最低限必要なものや環境、人、特に家族や社員に恵まれている場合、実はそれが本当の幸せ、最高の幸せであって、それ以上を求めると幸福度が下がっていくのみならず、元々あった幸せな状態までもぶち壊しにしてしまう可能性があるということだと思う。
会社がまあまあうまくいっていて、このまま慎重に経営すべき時に、もっともっととひたすら成長を追い求め、背伸びして投資を増やしたり異業種に進出したりしたらどうなるか。出来ていたことも出来なくなり、新事業はもとより、会社を支えてきた既存事業もおかしくなってしまう。周りの人々に満足しているのに刺激を求めて社交的に色んな多くの人々と、交遊とも言えない軽い交友関係を広げていけばどうなるか。結果として周りの本当に必要な人へのエネルギーが削がれ、結局は周りの人でさえ幸せにすることも、自分が幸せになることも出来なくなってしまう。
これらは足るを知る、いや、現状の何でもない地味な状態が実は最高の状態であることを知らずに、徒にもっともっとと求めた結果、自身の幸福度もどんどん下がっていく現象ではないか。
当社も僕も、足るを知る、足下を固めてゆっくりでもいいから確実に成長し、周りの人、目の前の顧客を幸せにしたいと思う。そこから長期的な成長も、もしかしたら飛躍的な成長も生まれるかもしれない。決してもっともっとと、私欲や煩悩、虚栄心に動かされてはいけないと思う。

投資は寄付

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企業活動の一環として当然投資を行っている。今年は防虫技術共同開発センターを立ち上げ、会社の敷地内に新棟を建築して体制を整えている。この開発センターは「共同」と謳っている通り、業界で必要とされているニッチで専門的な防虫技術を具現化した製品、新しい技術を共同で開発していこうというものだ。各メーカーや異業種、勿論ユーザーである専門業者も一緒になって力を合わせて新しいものを開発していく。これは勿論当社の「投資」であるが、目的は業界全体のレベルアップに繋がるものという意味では、業界貢献、もっと言うなら社会に対する貢献、つまり「寄付」みたいなものである。
当社で10年以上も行っているセミナー活動も、究極的には自社の売上増に貢献しているものの、無料で行う業界貢献、そして社会貢献みたいなものである。そ「急がば回れ」というか、「情けは人のためならず」というのか、世の中が良くなって自社にも恩恵を被るという意味では、これも「投資」であると同時に「寄付」の意味合いも強いと思う。そう言えば現在社員が一名、NGOのミッションと一緒にミャンマーに行っているが(ミャンマー山岳地帯のマラリア撲滅案件)、これも投資なんだか寄付なんだか分らない活動ではある。
考えてみると当社の投資活動はこういった、自社に留まらない寄付的な要素が強い様に思う。それは僕の好みの問題かもしれないし、もしくは投資とは本来自社の枠組みを越えて業界や社会に貢献する様なものでないと、結局はうまくいかないという、普遍的な経済原理かもしれない。いずれにせよ、当社は「寄付」的な社会貢献投資を行っていく。そしてそれは必ず当社に還ってくるし、会社の成長に役立つ(と信じて)。

目的を忘れない

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最近水泳の練習ばかりしているが、マラソンと同じで水泳もフォームが大事だ。8割の力でそこそこ泳げる様にならないと、長い距離を泳ぎ切ることは出来ない。
で、フォームを確かめながらひたすらプールを往復しているのだが、手のかき方や姿勢を考えているとついつい一番大事な「前に進むこと」という目的を忘れてしまう。手のかき方や姿勢、手の伸ばし方、息継ぎ、バタ足のタイミングはすべて「効率的に前に進むこと」という目的のためにやっているのだが、細部に拘っているとついつい前への意識が薄れて結果的にフォームも崩れていってしまう。
水球の練習も同じで、水球のために競泳練習をしていると、早くプールの端から端までまっすぐ泳ぐことが目的になってしまうことがある。競泳で速く泳ぐには一定のリズムで、水の抵抗をなるべく避けながら奇麗なフォームで泳ぐことが求められているかもしれないが、水球は全く違う。大体相手のあるスポーツで「一定のリズム」で泳ぐことなんか出来ないし、どちらかと言えば人ごみの中をジグザグに緩急をつけながら、辺りを見渡しながら、時には飛び上がりながら、当然ボールも扱いながら泳ぐ、しかも団体スポーツである。だから競泳の練習の時も「水球の試合」をイメージしておかないと、役に立たないばかりか、「競泳バカ」で使えない奴になってしまう。
ビジネスの世界も全く同じで、特徴のある商品、サービスで差別化していても、収益化を忘れてしまえばただの「働き損」だ。何も貢献しないでただ買ってくれというのも駄目だと思うけど、しっかり働いて顧客のためを考えて、時間を使って、それで最後に収益を上げなければ「シュートを打たないフォワード」みたいな存在になってしまう。ビジネスモデルには「差別化」と「収益化」の二つがセットになっていないといけない。忙しい忙しいと言いながら全然儲かっていないとすれば、それはビジネスとも言えず、目的を忘れた「練習のための練習」になっているんじゃないかと思う。
シュートを決めることを忘れてはいけない。必死で走るのも泳ぐのも、パスを回すのも、総てはシュートを決めて試合に勝つためである。経営も同じ、収益マインドを持ちながら、しかし直接そこにいくのではなく、社会貢献、顧客への貢献を通して収益化も同時に行うのが優れたビジネスモデルであることを忘れてはならないと思う。

常識にとらわない

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この間高校生の朝練に参加して泳いでたら、ちょっと驚いたことがあった。
プール貸切練習で一コースには僕を入れて3人しかいない。僕は勝手に泳ぐので右半分で練習してねとお願いした。で、泳ぎ始めると毎回、ターンをするたびに僕に向かって直進してくる。後輩は当然ビックリして進行方向を変えて避けるのだけど、一回くらいなら分からんでもないけど、毎回毎回のことなのだ。
水球という競技はコースロープは当然ない。相手のゴールにいかにたくさんボールを入れるかという単純なスポーツで、当然多少の決まりはあるけれど、創造性を駆使してファンタスティックなプレーが期待されるものだ。それなのに毎回決まって同じペースで泳いでくる人がいるのに、毎回突っ込んでしまうのってどういうこと?と思ってしまう。
母校は進学校で、中学校でクラス一番くらいの生徒が集まっている。だから問題は学力ではない。むしろ問題は、コースロープに沿って泳ぐ、ターンをしたら右側通行をするものだという思い込みだと思う。水球部の生徒はほとんど皆競泳出身で、その決まりを植え付けられている。でも水球は全く違う競技だ。
世の中にもこういうことはよくある。勝手にルールを思い込む、創造性、想像性を発揮できない、前例に従う事なかれ主義、目的と手段の混同。でも救いはある。高校生は、何でもやっていいんだよ、今までのルールはなしにして、自分の頭で考えること、周りをよく観察してベストの行動を取ること、先例を作る勇気を持つこと、こういうことを身につけれる可能性がある。
さて僕たち大人はどうだろう。少なくとも当社の社員には、常識にとらわれない自由な発想をして貰いたい。まあ社長がちょっとぶっ飛んでいるので、真面目な社員でバランスをとってるのかもしれないけれど。

8掛けでも通用する実力

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前回は「8掛けの力で速く進む」とエントリーしたが、同時に言いたかったのは、「8掛けの力でも通用する実力を付ける」ことが大事だと言うことだ。
一流のランナーはリラックスして30キロまでは「ジョグの気持ちで」走るらしい。キロ3分の高速走行がジョグと感じる実力がなければ世界のトップでは通用しない。本気の勝負は30キロを過ぎてからであって、そこまでで消耗してしまえば最後の駆け引きには勝てない。つまり「最初から全力で走っていては駄目、かと言って8掛けで走って遅くても駄目」ということだ。
会社経営だと、余裕を持って働く、しかしそれが通用しないレベルでは駄目、そして勝負どころでは必死になって頑張るということが大事だ。8掛けで通用するには余程実力、地力がないといけない。地力を付けるにはやはりどっかでハードワークが必須である。20代は寝なくていい、死ぬ程働けとよく言われるのは、将来8掛けでも相当の成果を発揮するためには、若い無理のきく時期になるべくこの地力を付けておけという意味だと思う。
8掛けの努力しかしたことがなければ、それは8掛けの地力×8掛け発揮ということで、6割のパフォーマンスである。やっぱり本来は、3倍の実力×8掛け発揮ということで、そう言う人は二倍以上のパフォーマンスを出しているってことだ。
やはり世間は甘くない。僕もせっせともっと地力を付けるべく、まだまだ頑張ります。

8掛けの力で速く進む

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なんだか最近、耐久系スポーツのコツが分って来た様な気がする。先日の掛川マラソンで4時間を初めて切ってちょっと特異になっているのだが、最近また練習復活した水泳でも同じ様な「コツ」が通用するのではないかと感じている。
それは「8掛けの力で如何に速く進むか」ということだ。今回のマラソンでは30キロまでは「気持ちはジョグで無理しない」ことを心掛けた。いつもはタイムを気にして最初から必死で走っていて、でもハーフ辺りからもう無理が利かなくなって後はズルズルとしんどい思いをしていたのだが、今回はあくまでジョグだと思って走ったということだ。
そしてポイントは8掛けの力で如何に速く走れるか、である。今回は今までよりも分当たり30秒も速く走った(今回はキロ当たり大体5分35秒)。だけど気持ちはジョグである。つまりおそらく体重管理やフォームの改善がうまくいって、今までよりも速かったのにそれほど負担はかからなかったことになる。多分今までと同じ必死さで走っていたら、もしかしたら更に速かったのかもしれない(で後半駄目になる)。
水泳でも非効率なフォームで必死に泳いでも駄目だ。最初の30分はそれでもいけるかも知れないが、距離が延びるにつれてそれは通用しない。むしろ8掛けの力でどこまで速く泳げるかを追求し、1時間でも2時間でもそれが続けられる様に練習すれば良いのだと思う。
これは経営も全く同じことだ。非効率なシステム、事務システム、営業システム、収益性の低い活動を幾ら根性で10割の力で行っていても駄目だ。数年はそれでも持つのかもしれないが、いずれ組織は疲弊し、貯まるべき収益も貯まっていないことになる。それよりも8掛けの力でも収益の上がる仕組みを構築することが重要で、それを何十年も続け、かつ常に余裕を持って進歩、変化を遂げていかねばならない。
まあそういうことで、今日も水泳に励むことにします。あ、仕事もします。

掛川マラソン参加

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半年に一回の当社の恒例行事であるフルマラソン、今回は10人の参加で掛川新茶マラソンに参加して来た。二日前までロンドン出張、翌日移動で一泊してマラソンという強行スケジュールだったにも関わらず、6年目12回目のマラソンにして初めて4時間を切ることが出来て(3時間56分)大変嬉しい大会となった。
でなにが良かったんだろうと考えると以下の点かなと思う。(1)体重コントロールのお陰で身体がそんなに重くなかったこと、(2)直前が出張で一週間は全く走らずに脚を休められたこと、(3)気温がそれ程上がらなかった、(4)給水がうまくいった、(5)走るフォームを変えたお陰で八割の力でスピードが上がったこと。
良い結果が出る時は総てがうまく噛み合っている。結果論としてそうなのだけど、常にうまくいくためには、うまくいった要因をノウハウ化、パターン化していって常にそれを再現出来る様にすることが大切だ。「勝ちパターン」を確立するとはこういうことだろう。上記要因の中では「(3)気温」だけが外部要因だけど、それも「(3)’気温が高くない時期の大会を選ぶ」ことでコントロール可能な要因に変えることが出来る。
また一番大事な要因は勿論、マラソンを始めて12回目に至るまで、「(6)しつこく諦めずに挑戦し続けたこと」だ。まだまだ練習量も取り組み方も素人の甘いものなのだけど、何はともあれ毎月100キロ以上走って体重を気にして、半年に一回社員共々大会に参加し続けるという「しつこさ」が一番良かったかも。
勿論これは経営も同じ、試行錯誤し、しつこく諦めず、そして「勝ちパターン」を見つけることが大事で、なんでもやっぱり同じだなあと思った次第です。はい、4時間切ってご機嫌なだけです。

限界を超える?

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限界に挑戦すると良く言うけれど、何が限界と言うかは気をつける必要がある。フルマラソンに挑戦し、自分の限界を超えるとか言って30キロ辺りからヘロヘロになりながら、死ぬ気で頑張ってようやくゴールする。これは「限界を超えた」と見るかは微妙だ。だって確かにしんどいことをしたには違いないが、そのしんどさは単なる練習不足から来るものだから。
素人でも「限界に挑戦する」とか言うなら、少なくとも半年位は毎日1時間10キロくらい練習して、それで当日も頑張って走って初めて「限界」とか「精一杯努力して」と言えると思う。走るのが専門であればこれが毎日30キロとか40キロになるんだろうけど、働きながら「限界まで努力する」とはその半分以下としても、やっぱり相当努力の余地がある。
必死で頑張ったのに目の前の顧客を説得出来なかったとして、それはその時頑張っただけで明らかに準備不足ってこともよくある。テストの日にだけ頭を振り絞っても「限界まで頑張った」ことにはならない。1年くらい必死でひたすら勉強して当然その日も必死で頑張って、「精一杯努力した」と言えるしそれでも「限界」とは言わない。人の限界はずっと遥か彼方にあるし、軽々しく「限界」なんて言葉を使うのもはばかられる位、遠くにあるものだ。
会社経営も同じ、普通の努力で普通のことをしていて経営がうまくいかないと嘆くのは、普段からジョギングくらいしかしていないのに、フルマラソンで3時間切りたいと言っている様なもの。稲盛さんも「誰にも負けない努力」を経営哲学で教えている(稲盛さんの言う、「誰にも負けない努力」は本当に尋常じゃないけど)。
という訳で、勝手に「限界」なんか作らないで、凡人はひたすら努力あるのみです。頑張ろうっと。

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