社長ブログ

社長フィロソフィー日記

長所を活かす経営

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人が一生懸命に働くインセンティブは、人から評価されたい、社会のためになりたい、家族のために稼ぎたいということで、簡単に言うと「長所を活かして評価されたい」ということだと思う。だから会社経営のチームワークも、それぞれの良いところを見つける、性格を読む、その人のモチベーションを考える、もちろん足らないところを他の人で補うというアプローチが効果的だと思う。それに得意なことをやって貰ってこっちも褒めるのは、出来ない部分を叱るよりも余程気楽だし。
逆に、短所を指摘されて改善する努力や、社会の非効率や悪いところを直そうとする「正義心」というのは働く上のインセンティブとしては、とても難しいというか、レベルが高いモチベーションだと思う。「これは良くないことだから是正すべきだ、物事はこうあるべきだ」というのは確かにそうかも知れないけれど、人間、そんなに出来た人ばかりではないから、大変疲れる仕事だと思う。警察官や法曹関係者、行政関係者とか、大きな駄目な組織をリストラしていったりするのは大きなエネルギーが要るし、本来の「褒められたい」人間の性格からして相当難易度が高い仕事だと思う。
会社経営、スポーツのチーム、ボランティア団体の運営なんかは上記の一番目の「褒められたい人たちを褒める」アプローチの方が簡単で有効だと思う。僕も色んな組織を見ているけれど、自分に合っているのはこっとの「褒める」やり方だと思うし、豚も褒めれば木に登る、虫好き(当社の専門家)もおだてれば売れる商品を開発するってもんだ。
まあおだてれば何でもやるというのは冗談だけど、やはり人の良いところを活かしてやりたいことを実現しながら、社会のためにもなる仕組みを考えたいと思う。まあそれが僕の得意なことだと思うから。

この週末、映画を観て学んだこと。

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この週末、日本続けて映画を観て学んだことがあった。観た映画は「レ・ミゼラブル」と「渾身」だ。
前者は、登場人物の多くが悲惨で過酷な運命を与えられる。理不尽な仕打ちを受け、それでも人間としての尊厳を失わず、それは最終的には本人たちの幸せには繋がらないものの、その周りにいる、愛を受けた人たちの幸せに繋がっていく物語だ。後者は、考えようによってはどうしようもない若者なんだけど(まだ観ていない人たちに観て欲しいのでネタはばらさない)、周りの人たちに支えられて家族が再生していく話しである。
どちらにも共通しているのは、人の幸せは多くの人の犠牲や献身、そして大きな愛情の上に成り立っていることである。自分が成功、もしくは幸福を感じているとすれば、それは自分の努力の「当然の結果、対価」ではない。親は勿論、周りの人、もしかしたら理不尽な運命があったかも知れないけれど平和を確保してくれた先人たちのお陰の上に成り立っている、「偶然」みたいなものだと思う。
もう一つは、選ばれた者の責任である。どんな組織でも「長」と名のつく人はいるし、また皆に選ばれ、推薦されて何か名誉と責任のある地位に就いている人も多くいるだろう。僕も経営者で、当社や他の組織の長と呼ばれる仕事をしている。
その人たちの責任とは、自分の仕事をこなしてそれに見合った報酬を得ることではない。本当の責任は、選んでくれた人たちの「誇り」となることだろう。そして選んでくれた人たちの人生を自らの誇りを持てるための助け、貢献をすることこそが選ばれた人の責任だと思う。後者の映画で(どうしようもない)主人公が必死になって戦う。その必死さも然ることながら、周りの人々が一体となって、郷里の誇りを応援する姿に心を打たれた。皆が相撲を取れる訳ではない。ましてや郷里の代表として相撲を取れるのは一握りの人である。その人の責任は只一つ、「恥ずかしくない相撲を取り、自分を選んでくれた人たちの誇りになること」、これに尽きると思う。
たまに映画を観るといいものである。学生時代は年間100本のノルマで観ていたけれど、今では時間がなくてせいぜい10本くらいか。これからはまた別世界の物語に何かを学べることを期待して、映画館に通いたいと思います。

チーム作り

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自分が何が得意か意識していなかったけれど、多分「チーム作り」が好きなことは確かなようだ。
思い起こせばルーツは(やはり)「水球のチーム」である。母校は進学校だから運動万能な人は入学して来ない。水泳部、いや水球部に水球をしに入学する人なんて一人もいない。僕だってサッカー部出身で、体育の先生だった水球部顧問の先生にそそのかされて入部したくちである。他にもバスケット部出身、卓球部、体操部、帰宅部出身が半数で、残りが水泳部出身の部員構成だった。
にも関わらず、そして一人一人をみれば他のチームよりも相当劣る能力しかなかったチームだったのだが、「チーム」としては相当強かったと思う。泳げない、ボールさばきも下手、監督からの作戦なし、でもなぜかそんなことが気にならない「根拠のない自信」があったと思う。個人の能力とチームの強さは関係ない、個人練習は全然だけど、水球の試合になれば負けないぜって感じである。僕はそのチームのゲームメーカーとして活躍するのがとても好きだったし向いていたと思う。
今の会社も全く同じで、個人個人をみれば「とても他の会社では勤まらないなあ」と思う連中ばかりである。でも「チーム」としては決して負けない。競争にも負けないし、新しいこともにもチャンジしてうまくいっていると思うし、何より皆楽しそうに仕事に、マラソンに(これは?マーク?)頑張って成果を残していると思う。
「良いチーム」の条件、特徴とは、進む方向が共有されていること、権限が曖昧で皆が個人個人責任を感じていること、ピラミッド式の組織でもない、新しいことを面白がって皆が協力すること、その場その場のリーダーがはっきりしていて、他の人が「良きフォロワー」として気持ち良く協力すること、そしてリーダーは日替わりメニューで入れ替わり立ち替わり洗われること、なんかだろうか。
今の世の中はとても複雑だから、有効に機能するチームを作ることが重要である。これは会社の様な組織内に限らない。異業種や色んな会社が集まって「チーム」として動くのも大事なことだ。アライアンスを作って一つの方向を目指したり(今、面白い組合をやっている)、上下関係でも、元請け下請けの関係でもなく、皆で一つのビジョンを共有して一社一社がチームに貢献する雰囲気、信頼関係がとても重要なのだ。企業に限らず、NGOだったり、スポーツだったり、全く異業種の個人であったり。チームとして機能することが結果としてチーム全体に成功をもたらし、そして社会を良い方向に導くことになるのだと思う。
当社、ましてや僕自身が何処まで出来るかは分らない。でも「チーム作り」はとても好きだし、自分の役割だとも思っています。

事件は頭の中で起こっている。

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最近よく思うのだけど、頭の中にあること、心で思うこと、理解出来たこと、感じたことなど、ほんとに人間は「感覚」の存在なのだということだ。
物を買ったり所有したりするのも、そこから得られる満足感のためだ。住めば都と言うけれど、これはまさしく狭い家でも慣れてしまえば快適に「感じる」ことが出来るという意味である。食べてしまえばなくなってしまう食べ物に高いお金を払ったり、種類は違っても同じ位の満足感を得られる屋台での立ち食いも、結局その人がどのように感じられるかということに帰する。商品の魅力も、機能の豊富さや便利さなんかも大事だけど、結局ボタンを押した時の0.1秒のレスポンスの違いなんかが大きく影響することがある。これはまさしく「感覚」が大事だってこと。
人の評価も印象とかで決まってしまうし、受け取る方の感覚が人によって違うから、同じ人が同じことを言ったりしたりしても、「その人の評価」は極めて主観的なものになってしまう。会社組織も経営も同じ様なことで、優秀な人が集まっても優秀な会社にならない。一人一人が魂を込めて働く弱小人間の集まりの方が、やる気のない優秀な人からなる組織に勝ってしまう様なことは幾らでもある。「事件は頭の中で起こっている」のだと思う。
そうすると物事をどう受け止めるか、心を込めて何かをやることが出来るか、人の情念に訴えることが出来るか、独りよがりになっていないか、足るを知ることが出来るかなど、「心」に関わる問題が重要だということが分るだろう。
人を動かし、組織を動かし、社会を良い方向に変えていくためには、理屈だけではダメなのである。遷り変わり易い人の心を揃えてある方向に持っていくには、リーダーに余程の魅力と説得力がなければならない。企業理念、フィロソフィーが大事だというのは、まさしく「心の問題が大事だ」と同じ意味だと思う。
物事に近道はないし、休憩所もない。一人の平凡な人間でしかない自分が出来ることを不断に行って、人の心を引っ張っていくしかないと感じています。

厳しいところを「なあなあ」にする危険

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サッカーで強豪のガンバ大阪がJ2に降格してしまったが、選手の一人がインタビューに答えた内容が示唆深い。
「磐田戦の最初のサイドからの失点もGKとDFがしっかりコミュニケーションを取れば何も問題はなかったと思うし、あそこでサイドがもう1歩詰めていればクロスも防げたかもしれない。そういう厳しいところをなぁなぁにしたのが積み重なって失点になっていった。ガンバの選手はいい意味で大人で自立しているけど、そういう部分は全員で突き詰めて、厳しく行く必要があったと思う」
一人一人の能力の高い選手の集まりが、チームとなった時に弱くなってしまうのはいつも同じ理由である。危機感のなさ、最後の厳しいところをなあなあにしてしまう意識の低さ、最後の一歩を踏み出して足を伸ばす執念、こういうものが少しでも足りなくなった時に、組織は個人の集まりよりも弱くなってしまう。
思えば日本航空の破綻と再生も、全く同じストーリーである。高学歴の能力の高い人たちの集まりが、大企業倒産というとんでもない事態を招いてしまう。勿論日本航空の社員だけではない。国交省も政治家も、日本航空が潰れるはずがないと都合の良い様に利用し、誰も当事者意識を持たないままに破綻してしまう。稲盛さんが会長になり、再生の武器としたのが「フィロソフィー」と「アメーバ会計」(だけ)である。どちらも人間の能力を変えるものではない、社員の考え方と経営に対する見方を変えるだけの道具である。
一人一人の社員が意識を変えたことによって、それは経営破綻という劇薬があって初めて可能になったことかも知れないが、初めて当事者意識と危機感をもった社員の努力によって、同社は劇的な復活劇を遂げるのである。
危機感とは、最後の最後のところまで気を抜かず、何も「なあなあ」にしない努力、最後のところで足を一歩伸ばす執念のことだろうと思う。結局は意識の問題で、その差が、チームとしての強さを決めるのだと思う。

影響力

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最近、他人への影響力を持つってどういうことだろうと考えることがある。勿論、影響力には良いものと悪いものがあるのだけど、人はどういった時に「動かされる」のだろうか。
僕が尊敬している稲盛さんは抜群に「影響力」を持つ人に違いない。多分ヒントになると思うけど、彼の創業時の話しが面白い。創業して間もなく、余りの激務に堪え兼ねた社員が一致団結して、まだ若かりし経営者だった稲盛さんに詰め寄ったらしい。こんなに働いているのだから、今後の身分、給料を保証して欲しいと。
稲盛さんは創業時、会社の目的として「稲盛和夫(=自分)の技術を世に問うこと」としていた。自分の力を試したくて努めていた会社を辞めて創業したのに、そしてまだ自分自身食うや食わずで自分の親兄弟の面倒を見るにも至っていない。それを自分の会社の社員だからといって、血の繋がりも縁もない人たちの生活をどうして自分が見なければならないのか、と思ったらしい。そして経営者になるということは、「自分のために働いてくれ」というのでは駄目で、まさしく見ず知らずの他人の人生を抱え、その人たちの物心両面の充実に責任を取ることだと観念したという。
そして稲盛さんは本当に、自分のことは放っておいて社員の幸福のために一生懸命働いたからこそ、社員たちも意気に感じて負けずと働いたのだと思う。そしてそれが今日の成功に繋がったのは事実が証明することでもある。日本航空の再生事業も、稲盛さんが無給で一生懸命奉仕の精神で頑張ったからこそ、能力があったのに魂が籠っていなかった同社の社員もやっと死ぬ気で頑張る気になったのだと思う。これが稲盛さんの「影響力」で、それは多分に「私心がない、謙虚で驕らない一生懸命な姿」に心が打たれて、この人と一緒に頑張って行こうと周りの人は思ったに違いない。私心はすぐに見透かされる。だから本音で語って信じてもらうしかない。
影響力を及ぼすということは、自分のために他人を動かそうという意図や戦略、権力意識では決して実現することが出来ない。「リーダーになる」と同じ話しだと思うけど、「無私」でないと他人はついて来ないものだということだ。
影響力=権力、そしてそれには無私の心が必要だとは、なんと難しいことだろう。だから常に反省し、謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力をする、そしてそれは社員のため、周りの人たちのため、世の中のためじゃないといけないのだ。

善意の経営

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最近流行っている経営理論、経営手法に、「なんとかの見える化」(営業プロセスの見える化、業務の見える化、製造工程の見える化など)とか、オープンイノベーション(自社だけではなく、多くの社外の人たちを巻き込んで行っていく開発手法)がある。いずれも情報を囲い込んだり分かりにくくするのではなく、分かり易く誰でも見える、取り組める状況に置けば、問題が解決し易くなるという発想だ。
プラットフォーム戦略と言われる、業界全体が乗っかっていけるようなビジネス基盤を提供することで、その基盤を提供する会社の収益も良くなっていくという戦略もある。グーグルなんてその典型で、Gmailやグーグルマップなんか、生活に欠かせないサービスを無料で提供することで、実は莫大な利益をあげている企業もある。奇跡的な再生を果たした日本航空も、稲盛さんが持ち込んだフィロソフィーとアメーバ経営がその鍵になっている。人間として当たり前の「善悪で判断する」という様なことを、高学歴集団の同社に持ち込み、利益を上げることを悪いこととは見なさず、そして収益を個別に見える化していった「だけ」で高収益企業に生まれ変わったのだ。当時(今も)の苦労は、当たり前過ぎて簡単過ぎるフィロソフィーを大人でプライドの高い同社の社員に叩き込むことだったと、稲盛さんも述懐していた。
こうしてみると、どれも見える様にしておけば、当たり前のことを当然出来る様にしておけば、成果は出てくるものだということだ。それは人間の善意や、出来れば進化、向上したいという気持ち(向上心)に依拠していることが分る。駄目な状態が晒されていてば改善したくなるものだし、悪い収益状況が自分が管理出来る範囲内で分っていればこれも改善したくなる。過去の慣習にとらわれずに物事を善悪で判断しなさいと教えられれば、その様に出来るものだ。
人間の善意や良心の力は偉大なものだ。当社でも活動のすべてを社員が共有し、おせっかいの様にお互いがコメントし話し合い、そして数字も明確になっている。そういう仕組みを作るだけで物事は改善され、比較的スムーズに複雑な案件が進捗していく。人間の善意と良心、向上心を信じる経営、これはこれからも継続していきたいと思います。

365個の言い訳

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12月の那覇マラソンを控えて今が練習のピーク(のはず)なのだが、そうすると1回に10キロ、出来れば10月11月半ば位までは月20日は走りたいと思っている。出張も多くて達成は至難の業なのだが、先週のボストンでは一緒に行った東京営業所の藤井くんと毎日12、3キロ、四日間で50キロ走れた(技術コンサルタントの菅野くんは一日だけで脱落)。続けて行ったボラカイ島では(仕事です)、雨の中、ビーチを10キロ走って脚が結構鍛えられた。あれ?、出張中の方が走れている気がする。
日本は夏は滅茶暑いし冬は滅茶寒いし、梅雨はあるし春は花粉の季節だし、快適に外を走れるのは、この時期、秋の2、3週間しかない。体調が良くて走りたいなあと思うのは年に数日しかないし、後の200日位は、無理やり少しでも我慢して外に出掛ける様な感じである。
走らない理由はいくらでも考えつく。365個のいい訳を考えつくことが出来たら(多分出来る)、一年間ずっと走らなくても良いことになる。雨が降ってる、暑過ぎる、体調今イチ、仕事が忙しい、食べ過ぎ、寝不足、幾らでもでも考えつく。だからそんなことを言い訳にしていたら、一生走れないし、そうすると一生マラソンなんか不可能だと思う。当社では僕より歳下はほぼ全員走ることになっているが(自発的です)、12月は那覇マラソン、春もどっかで走ると決めておくと、もうその時は必ず走ることが決まっているから、言い訳しても始まらない状況が出来てしまっている。この5年間はそんな感じで、仕事のプレッシャーもありながら、実はマラソンの方がプレッシャーとなって緊張感を与えている様な気がするくらいである。
こういうのって仕事も、人生の目標みたいなのも同じことだと思う。たった365個のいい訳を考えるだけで何もしなくてよくなくなる。それは人生で何も達成できないということだ。だから言い訳なしで始めてみよう、そして継続してみようというのが僕らのやり方だと思っています。

経営とは見える化

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なんか今更分って来たけど、経営とは、有益な情報を抽出し「見える」ような仕組みを作って、個人やチームが自主的に判断し、有機的に結びついて動ける様にすることだと思う。
こう書くと難しい様に見えるけど、会議をしたり顧客と話したりするのは、要するに相互理解のため、問題点の把握のため、ビジネスチャンスをよく知るためだから、わざわざそんな面倒な気合いのいる活動をしなくても、「いまこうなってます」というのが一目瞭然で「展示」されていれば、誰だってそれを協力しながら解決したいと思うものだと思う。
その際大事なのは「見える化」ということで、「見たかったら見れる」というのは全くもって不十分だ。人間は本当に面倒くさがりやで、クリックが一個増えるだけでも閲覧しないし、在庫管理でも倉庫に見に行ったりある画面にログインしなければならないのでは全くやらない。会議もそれだけ気合いがいることで、資料を準備して一カ所に集まって時間を取って、さあ考えよう!と思わなければならないのが大変ハードルが高い。
理想は報告とは思わず日記の様に日報を書く仕組みにしておいて、なんとはなしに他の人の活動は気になるから読みに行き、ブログにコメントを入れる様に意見やアドバイス、指示、Todoが入れられ、そこまで書かない人でもLikeボタン位は押せる仕組みが気軽で良い。これは見たい人がわざわざ「見る」のではなくて、ついつい「見えてしまう」仕組みである。
活動の見える化、数字の見える化、動きの見える化、技術の見える化、ポジショニングの見える化、理念の見える化など、「見る」のではなく「見える」様にすることで会社は勝手に(自律的に)回る様になる。
会社で経験を積むと、簡単なことを説明することが面倒になるし、若い人からすると「何かあるんだろう」と無表情なベテランは「よく分からない」となってしまう。これは見える化に反する。会社が幾ら複雑なオペレーションをしてようと、自分がいくら経験を積もうと、何をやっているか窺い知れないというのは危険だ。単純な仕組みに基づいて単純なことをしている、誰でも何を考え何をやっているか明らかだし、数字もガラス張りで動いている方向も理念も明確、こんな「見える化」に成功している会社はほっといても伸びていくのだと思う。
見える化にはそれなりの苦労がつきまとう。しかし当社は分かり易い、「見える会社」として運営していこうと思います。

似て非なるもの

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僕はかなり熱心なスタバファンで、ほぼ毎日2杯くらいはスタバのコーヒーを飲んでいると思う。大抵頼むのはドリップコーヒーのスモールサイズで、これをトールのマグに入れてもらって余白を作り、備えの無脂肪ミルクを多めに注ぐのが定番である。因みにスモールをスモールマグに入れてもらうと、ギリギリまでコーヒーが入れられてしまいミルクの余地がない。これは「山盛りサービス」の様に見えるが消費されるミルク(コーヒーよりずっと単価が高い)の節約対策だと邪推している。これは余談。
で、同じ様なカフェチェーンに日本人が作ったタリーズがある。余程のことがない限り(近くにスタバがなくかつどうしてもコーヒーが必要な時)にしか行かないのだが、全く「似て非なるもの」だと感じてしまう。第一にスモーキングルームがある。スタバが流行った理由の一つに全面禁煙ということがあると思うのだが、タバコを吸わない人にとって、特に香り重視のコーヒー専門店でタバコはないだろうと思っている。「空気が違う」という点で全く似て非なるものである。
第二にフードの種類が多過ぎる。パスタやホットドックなんかもある。スタバの創立者はフードの匂いがコーヒーの香りを損なうのを恐れ、匂いの出ないフードしか置かないことにした。だからスタバにはクッキーや冷えたパン類位しかなく、せいぜい匂いの少ない食事パンを暖めて貰うくらいである。だからスタバのサイドメニューは不味くて高い。販売することを拒否しているかの様でさえある。結果的にタリーズではタバコの匂いと食事の匂いが入り交じり、かつ食べ物メニューの準備のために厨房がごちゃごちゃになる。
第三に備品である。スタバでいつも感心するのは、あのテーブルと椅子が絶妙のデザインでほんとに仕事がし易い。家に買いたいくらいである。タリーズではよく分からない金属製の椅子が並んでいてほんとに使いにくい。こういう椅子とテーブルを使っていると、使っている人までがださく見えてくる。悪口言い過ぎ?
まあ両社は目指しているものが違うのだろう。それによってこれほどにも違いが出るのが企業哲学の恐ろしさである。僕らも「似て非なるもの」とか悪口言われない様に、細部に渡って企業哲学を浸透させていきたいと思います。

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