社長ブログ

社長フィロソフィー日記

一流の選手が死に物狂いで頑張る

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連日ワールドカップ観戦で寝不足、不規則な生活になっているが(家族ともども)、何が面白いって、「超一流の選手が死に物狂いで限界までプレーし続けること」の素晴らしさである。
ここ数年で日本代表のレベルはとても上がったと思うけど、世界のレベルは更に上がってしまってその差は開いている様だ。フィジカルに優れたスーパーマンみたいな選手が、これまた全力でプレーする。しかも必死で「絶対に負けられない、悔いは残さない、持てるものをすべて出す」という強い意志を持って、お互いに戦っている。その結果、ワンプレーワンプレーがどちらに転んでもおかしくない際どい勝負になるし、パス一つ、トラップ一つとっても感嘆する様なレベルである。もちろんボールを持っていない選手の意識も非常に高く、相手選手との駆け引きを観ていても面白い。
日本代表はこれまで一敗一分けと苦戦していて予選リーグ突破は至難の業だが(でも仮に奇跡的に2点差以上で、既に予選突破が決まっているコロンビアに勝てば、決勝トーナメントは死のD組を、イタリアでもイングランドでもなく、奇跡の1位で勝ち上がったコスタリカ、しかもテストマッチでは日本が勝っているという相性の良さ)、それはやはり実力とメンタル、両方で他のチームに負けている(すなわち全部)ということだと思う。ザックの采配云々より、相手の差を考えれば、これまでの実績というより、今日一番活躍しそうな選手を出して、その選手が限界を超えて頑張って、更に奇跡的にボールが繋がってシュートが決まり、相手は超運悪く、シュートが決まらないという展開くらいしか勝ち目がないのだから、練習したことのないパワープレー、大久保の活用、香川を外したことなど、当然と言えば当然の判断だと思う。要するに、やってきたことが通用しないのだから、なんでもかんでも可能性があること(少なくとも可能性の低いことはやらない)は試してみるしかないくらいに追い込まれているということである。
ワールドカップはサッカーという競技において、「超一流選手が超一流の練習、これまでの試合経験を踏まえて、その日、死に物狂いで人生最高のプレーをみせる大舞台」である。これはサッカーだから我々常人が出来ることではない。しかし我々も何かの超一流選手になってしかるべきである。毎日10時間も仕事をしていれば、仕事で一流になっていなければおかしいはずだ。そしてその一流の集団が、死に物狂いで戦い、人生最高のプレーをみせなければならない。そうすれば世の中のためになり、自分の人生も豊かになっていくはずだ。当社もワールドカップ出場国選手に負けない様に、頑張りたいと思います。

上から目線、下から目線

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ビジネスを営むには、業界トレンドや政策を分析したりして「世の中こう変わっている、こう変わらなければならないから、この様な経営を行うべきだ」という「上から目線」と、「私どもが対象にしているお客様はこういう考えでこういう要望を持っていて、当社はそれに応えるためにこいういうことまでやってます」という現場での「下から目線」の両方が必要だと思う。
勉強ができる人は「上から目線」に偏りがちで、自社の売上計画を立てるのに業界規模を推定してそこからシェアを考えて、「100億円市場でまずは5%は取れそうだから目標5億円です」とか言ってしまう。それに対して「世の中の大きなことは分からないけれど、とりあえず昨日来たお客さんはこんな値段でこんなの買っていきました、一日30万円売れるので、月商600万円年間で1億円いける様に工夫を重ねています」というのが「下から目線」での計画だ。
まあどっちもどっちなんだけど、「上から目線」だけではいつまで経っても「総論で正しいけれどどうしても数字がいかない、儲かってない」ということに陥るし、「下から目線」だけでもいつまで経っても「貧乏暇なし」っていうことにもなり得る。大事なのは、「上から目線、下から目線を行ったり来たりすること」で、総論で正しく、戦術でミクロな工夫を重ねる、ミクロの工夫を仕組み化していってスケールメリットを出していくという戦略が必要だ。
抽象的な政策論では人は付いてこないしお客さんもワクワクしない。かと言ってミクロな話しばかりでも先行きどうなるの?って不安を覚えてしまう。「上から目線」と「下から目線」を両方使って、細かくも夢とスケール感のある経営を行っていきたいと思っています。

弱ければ負ける

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ワールドカップブラジル大会が始まって、観戦の日々が始まった。週末は長男の水球と次男のサッカーの予定を睨みながら(というか完全に予定を支配されながら)過ごすことが既に慣例になっていて、家庭内ではいつも「勝った、負けた」の議論ばかりしている。
日本代表は大事な初戦でコートジボアールに負けてしまったのだが、「自分たちのサッカーが出来なかった」時は必ず「相手が優っていて、自分たちのサッカーが出来なかった」ということだし、「ばててしまった」のは「相手についていくのが必死で、体力が続かなかった」のだし、「シュート数が少なかった、精度を欠いた」というのは、「相手のディフェンスが良くて、シュートまでいけなかった、そもそもボールを持つことすら出来なかった」というのが正確な解釈だろう。観ている方は「実力は同じ様なものでどちらもチャンスがあり、その試合でより頑張った方、戦術に優った方が勝つ」という前提で評論もなされるが、そもそも個の力やチームとしての完成度に相当差がある場合もあって、分析するまでもなく「強いチームが勝った」としか言いようのない試合も当然ある。
コートジボアールとの戦いも、日本が仕掛けた攻撃がたまたま繋がってシュートも偶然入ったのに対して、コートジボアールのシュートは運悪く外れてしまったということが確率的に連続すれば勝てたくらいの実力差があったと思った(確かにサッカーではこういうこともあり得る)。考えてみれば日本人で海外で強豪チームで活躍しているのは長友(と岡崎)くらい、後は二部リーグ所属(長谷部、清武)か全然活躍していない(香川、本田、吉田)くらいしかいない。対してコートジボアールはドログバ、ヤヤトゥーレを含めて欧州リーグで中心として活躍している選手が多く、かつチームとしてのランキングも日本が46位、コートジボアールは23位になっている。色んな分析があるだろうけど、要するに日本は「弱いから負けた」としか言いようがないなあと思えて来る。
会社の勝ち負けも同じ様な話しで、一人一人の能力を高くてどんな相手にも自分の長所を発揮出来るくらいの「本当の実力」があって、正確に早く案件を捌き、日頃から他人から他社から頼りにされている社員が集まっている集団が、正しい戦略の基に戦えば、短期的には運が悪くても中長期的には繁栄、成長していくのは当然の成り行きだと思う。市場原理に従って、弱ければ負ける、強ければ勝てるという単純で公明正大な、つまりは言い訳の効かない世界がビジネスだから、スポーツと同じで結局は強くならねばならないということなのだろう。ということで当社は負けるのが嫌なので、ひたすら強くなる様にメンバーを増強し戦略を立て、真剣に実力を上げていきたいと思っています。

グリッドコンピューター経営

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グリッドコンピューターはIT業界の用語で、各地に分散したコンピューターをネット上で繋いで同時計算をすることで、大規模な計算処理を可能にする技術のことを言う(らしい)。一台一台のコンピューターでは能力が限られていても、それらを繋いで並行処理させれば、総体としての能力を高めることが出来るアイデアだ。
当社の経営も考えてみればグリッドコンピューター方式である。一人一人の社員が役割・機能を持って、原則として単独で動く。単独で動いた結果やフィードバックは事前事後にウェブ上の経営情報システムで共有すれば良いので、その場で一緒にいる必要はない。並行処理的に様々な案件、もしくは一つの案件にチームで取り組む時も別々に動いて後で情報を集約しウェブ上で議論をし、他のチームメートの動きを読みながら自分の次ぎのやるべき動きを考えるという組織運営形態をとっている。
通常の組織であれば顧客との打ち合わせには数人の関係者が出席し、同じ情報を同時に得る。そのためには物理的にそこに拘束されるというコストを払っている。それぞれの人には専門性があったり知識に差があるので、画一的な教育と同じである人には簡単すぎたりある人には難しかったり関係なかったりもしてしまう。それよりは個別に単独で訪問し、自分の用が済んだらさっさと切り上げた方が合理的だ。僕も担当者に同行する時もあるが、それは日報を自分で書くのが面倒だったり(!)、むしろ社員に対する教育的配慮でしかない(もしくは相手に対する敬意?)。
ピラミッド型組織も同様に無駄が多くて、ほぼ同じ情報が担当者から経営者まで、上下を行ったり来たりして、情報共有のために行う作業としては大変コストのかかる方法である。情報が上下に行ったり来たりするという意味で、「フロー経営」と呼んでも良い。それよりも自分である程度の判断が出来る担当者、部長、経営者が他のプレーヤーの動きを共有しながら単独で動いて、ストック情報に「自分の価値=バリュー」を追加していく経営、すなわちバリュー追加型の「ストック経営」の方がしっくりくるし、生産的だ。
そのためには一人一人がしっかりと自分の機能を確立し、ストックに貢献していく、情報はしっかり発信し共有することが大切だ。このグリッドコンピューター方式でストック経営を行うことを今後とも当社の強みにしていきたいと思います。

商いは飽きない (2)

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よく、「商いは飽きない」と言われるけれど、全くその通り、例えば10年間、毎日毎日同じ様なことを考え続けて習慣化出来る集中力が必要だと思う。当社では日報システムを充実させてフル活用しているが、これを四六時中眺めてコメントして社員とやり取りするのが僕の日課である。毎日毎日読んで書く、指示するということなのだが、会社で起こっていることが手の取る様に分かるので、面白いから続けられるというのもあるけれど、10年以上は毎日休みの日も年間365日続けていることになる。
当社ではマラソンを年二回やっているが、これも毎日多少は何かしらの意識をしていないと継続出来ない。6、7年前から始めてもう僕で13、4回、社員も10回くらいは走っている勘定になる。6、7年間の間、週に3、4回運動し、マラソン3ヶ月前くらいから練習を真剣に始め、食べるものに気をつけて体重を管理しといった「集中力」が必要になるのだが、これを5年以上続けるのも「飽きない」ことが大切だ。ずっと続けられる人、挫折気味の人、折角止めた喫煙を復活させてしまったり、色んなパターンがあるがやはり継続は力なりである。僕も少しずつ実力が上がって来ていて、5時間切っての完走がやっと(つまり超遅い)だったのが、4時間前後(4時間を切ったのは一回だけだけど)は出せる様になってきた。しんどさは変わってない(つまり超しんどい)のだが、タイムが向上しているということは継続により実力が底上げされたってことだろう。
スポーツ選手も大体この「継続は力なり」のパターンで、大リーグのイチローも完全に毎日ワンパターンのストイックな習慣を長年続けている。上原投手も気分転換に呑みにも行かず、ランチに食べるメニューも固定、試合後も早くホテルに帰って自分でひたすらストレッチを行う毎日らしい。あれだけ高給を得ていてもあまり派手な贅沢もせず、脇目も振らずひたすら野球のことを、子どもの時から数えると20年以上集中して努力を継続している。
ビジネスマンで言うと日本電産の永守社長は有名で、創業以来40年、休むのは正月の午前中だけ、後は一番に早朝出社して働き詰めるという超人振りだ。「長期間に渡って継続して集中する」ことが成功の唯一の方法なのだろう。途中で浮かれていたり、現状に飽きて変わったことを次々にやってしまうとよくないのだろう。一時期調子の良い会社は沢山あるが、それを10年20年30年と継続してこそ実力だと思う。稲盛さんも「飛び石は打ってはいけない」と言っているが、飛び石を打たずに目の前の業務を地味に必死にやり、隣接業務に広げていくやり方をすべきで、それは長年集中する、つまり「飽きない」ということに繋がるのだと思う。
当社も隣接領域にどんどん業務内容を広げているが、変えない部分、そして継続して集中するという部分では他社に負けないと思う。まあマラソンを飽きずに続けているうちは会社も社員も大丈夫ってことかなと思っています。

悪気のない思考停止

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結果を出すには、やはり完璧な準備が必要だと思う。いちかばちかやってみるのは素人で、結果が求められるプロなら、考え得る最高の準備や検討を(しかも短時間に)やってから勝負に挑むものだ。
一番悪いのは「悪気のない思考停止」で「こう考えてこれを依頼しました、後は結果待ちです」というものだ。「こう考えて」の部分もどこまでそう考えたのか深さを問われるし、仮説も一つではなくてAもBもCもあり得る。そして何かを依頼した相手の信用、能力、反応、スピードも、依頼する前からある程度は予測してA’、B’、C’を想定してあらかじめ動いておくということも必要だと思う。
結局仕事ができる出来ないというのは、「そういう展開になるに決まっているじゃないか」という相当確率の高い事象をも予想出来ずに、答えが出てから次の展開を一から考えるという、試行錯誤が多いということ(事前準備の不味さ)だと思う。勘が良い人というのは直感に優れている訳ではなくて、要するに思考停止せず、あれもこれも考え、しっかりと準備した結果として試行錯誤が最小限に抑えられて、効率良くすいすい行っている様に見えるだけだと思う。「要領が悪い」というのは能力の問題ではなくて、要するに「怠慢なだけ」だとも思える。
だから「要領の悪い人」に怒るのは当たり前だ。能力がないなら仕方ない、可哀想だと思うだけだが、単なる「怠慢」であれば、自分や与えられた仕事に対してそれほど注意を払ってもらっていないことの表れの様な気がするからだ。
当社の社員はそうであってはいけない。あらゆる事態を想定し、深く考え、仕事にコミットし、試行錯誤を最小限に抑えて真摯に仕事をして貰いたいと思います。

継続すること

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仕事をするのに必要なのは、(1)意義、(2)方針、(3)方法、(4)数値、(5)スピード感であって、どれが欠けても良い結果は生まれないと思う。(1)意義と(2)方針は主に経営者から発せられるけれど、優れた経営者(リーダー)であれば、(3)(4)(5)についても具体的なイメージを持つべきだと思う。
意義や方針だけを年頭に発表したり会議の冒頭でぶち上げたとしても、具体論と期日を設定しないと何も始まらない。Todoリストを作ってしっかりと追いかけるという地味な作業を1年2年、5年10年と続けられるかがその組織の成否を分けるのだと思う。仕事をきちんとして成果を出すのは本当に地味な作業だ。目の前の事象に一喜一憂することなく、良い時も悪い時も10年20年と継続して努力し、少しでも良くなることを続けるのが本当の仕事だ。
当社はこれまで十数年に渡って継続して実績を上げている。平均すると毎年10%程度だけど、それも十年以上続けると最初に比べて規模で3倍になる。つまりまた10年これを続ければ、最初の10倍となるのだが、それでやっと中堅企業の仲間入りくらいの数値である。これを遅々としたと捉えるか、着実と捉えるかは分からないけれど、焦ることなく今後も継続は力なりでやっていきたいと思っています。

本気の練習

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最近中学校のジュニアや高校生の水球の練習を見ることが多い。水球は超ニッチスポーツだけどそれだけに、僕でもサポート出来ることは多いし、何よりやっている人たちが(保護者、OBも含めて)必死で頑張っている。
で有力高校を卒業した若手OBが練習につき合ってくれているのを見ていて思ったのだが、彼らは現役よりもずっと実力が上だから、「指導的観点」からちょっと手を抜いて余裕のプレーをしてしまう。シュートを打てるタイミングで打ってしまうと、他の人にボールを回すことなくすぐに入ってしまう。それだと練習にならないから敢えて他の人にボールを回して、いわゆるフォーメーションなどの練習にする訳だ。
しかし僕が思うにそれは正しくない。練習のための練習であればそれでもいいのだが、練習は試合のためにやるものだ。能力の高い選手だとこの距離からこのタイミングで打たれて入るということを、実力派OBであればその実力を見せつけて欲しいと思う。試合で活躍しようと思えば、練習の時に如何に試合をシュミレート出来るかが重要となる。試合と同じ必死さで泳ぎ、ディフェンスは真剣にシュートを打たせまいとし、オフェンスはそれをかいくぐって全力でシュートするという練習でないと、練習での予定調和的なプレーでは全く試合では通用しない。
仕事でも同じだと思う。会議でなあなあの議論で分かった様な分かっていない様なことだと、結局顧客には説明も出来ず通用しない。社内では気不味くなるから多少商品設計が甘くても詰め切ることがないことで良いかもしれないが、結局売れなければ何の意味もない。それは世の中に通用するか、顧客は本当に魅力を感じて買ってくれるのか、皆が喜ぶスキームになっているのか、少なくとも社内では妥協なく詰めておかないと本番では話しにならないと思う。
本気でやる練習、これをやり切るのは難しいことだけど、甘い様でぴりっとした雰囲気でプロの仕事をして貰うのが経営者の役割だと思うし、自律的にそれが出来るのがプロのビジネスマンだと思う。

公人と私人

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今日面白い人の話しを聞いた。超が付くほどのエリートの研究者で、自分の息子の結婚相手との家族との顔合わせ会にも、よろしくお願いしますの挨拶が終わるや否や、待たせている車に乗って次の会議に出て行ってしまったり、その息子の結婚式でも最後までおれずに最後のお礼の挨拶に父親はいなかったり、なんせ仕事中心で家族のことがぽっかり穴が空いている人がいるとのことだった。今日は東京、明日はニューヨークで学会や会議があったり、24時間仕事のことばかり考えているようだ。
全然別の話しだけど、最近ネットでニュースを見ていたら、学校の先生が入学式を欠席して、自分の子どもの入学式出席を優先したことに対して教育委員会などが批判し、このことがちょっとした賛否両論が巻き上がっているらしい。先生である前に子どもの親、きちんと休暇届を出してプライベートの予定を入れたことに対して何が悪いのか、先生としての常識がないという教育委員会の考えがが古くて間違っているという論調がネットでは優っている感じだった。
前者は仕事を優先にする例、後者は家族を優先する例だが、公と私を考える意味でとても面白いと思う。もちろん公と私の部分は程度の問題ではあるけれど、他人や社会に影響を与える仕事をしている人ほど「公人」の要素が大きく、その責任も重いのは事実だと思う。冒頭の研究者を「人間味のない、仕事中毒の人間」と言うのは簡単だけど、それほどに仕事に打ち込んでいるというのは、ある意味「私心がない人」とも言えると思う。名誉やお金のため、つまり私欲のために家族を見捨てて飛び回っているなら問題だけど、もしかしたらその人は人類に対して非常に重要な研究を行っていて、今の自分の24時間、全能力をそれに使うことが、神様から授かった使命だと感じているのかもしれない。自分の子どものために費やす時間は最小限になるかも知れないけれど、成人した子どもに対してしてやらないといけないことと、社会に対して限りある命の中でやらねばならない使命を考えると、私心を捨てて公人として振る舞うことを選ぶことも僕は十分理解出来るし、その研究者のことはむしろ誠実でいい人なんじゃないかな好印象を感じた。
後者の先生は、自分の生徒に対する責任よりも私心、自分の家族のことを選んでいるのだから、家族思いとも言えるし、先生という公人としては微妙なラインだとも思う。これが会社員だと組織で動いているからフォローして貰えて問題はないし、自分が経営するお店を臨時休業にするのも「私」のなかでやっている優先順位の問題だから全然OKだ。だけど先生はやっぱり公人の面が強い職業だし、敢えて言うなら「家族を大事にする」という価値を身を以て生徒に教えたかったという教育の一環であればそれもありだろうとは思う。おそらく先生をはじめ、政治家、経営者などは、公の部分が大きいことを理解した上で自分で敢えて選ぶ種類の職業だと思う。
私心なく使命を果たす、というのは、時には不便も伴うし、家族に負担をかけることもある。どこまで自分は公人かを意識しないと、ずるずると私欲にまみれたり果たすべき責任を果たせなかったりする。それは良い悪いというよりチョイスの問題であるし、自分の選んだ役割について、公と私の折り合いをつけながら誠実に一生懸命生きていくのが人間の姿だなと思いました。

掛川新茶マラソン参加!

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この週末は、年二回の高齢行事(恒例行事のミスタイプだけど、面白いのでそのままに)であるフルマラソンに参加して来た。今回は当社から12名の参加で、マラソン前日はゴルフやテニスで身体慣らし?をして、いつも通り前夜祭をやってのスタートである。
今回は練習の位置づけだったので気楽にスタートしたが、意外といけそうな気がしたので慎重ながらも4時間ペースで快調に走れた。練習ではキロ6分でも割合しんどくて7、8キロでもういいやとなるのだが、不思議なことに本番では5分半くらいで走っても全然速いという感じなければ10キロ走っても何ともない。結局ハーフはちょうど良い1時間58分くらい、お、これはもしかして4時間切れるかな(昨年は3時間58分だった)と思っているうちに案の定30キロを越えてから怪しくなり、37キロで失速して後はちょっとガタガタをなんとか踏ん張り、最終的には4時間8分のまあまあかなの記録でした。それでも目標にしていたキロ6分平均を少し割って、平均5分53秒だったのは良かったかな。
練習だとたいしたこともないのにすぐにしんどくなる、しかも距離も10キロくらいが限界なのに、本番では少なくとも30キロまで5分30秒そこそこのタイムで走れるのはどうしたことだろうといつも思う。やはりマラソンがしんどいのは「気のせい」で、おそらくさぼりたい頭が「しんどい」と身体を騙しているのにちがいないと思える。本番ではもうやるしかない、42キロ走りきるまでは止めれないと分かっているから、身体に「しんどい」と思わせるよりも「しんどくない」と思わせる方が理にかなっているのだろう。
多分仕事も同じことで、いつでも止めれるどうでもいいやと思うとたちまちしんどくなるし、レベルの低いアウトプットしか得られない。逆にもう逃げ道もなく、レベルの高いパフォーマンスを出すしかない場面では、脳は自分を騙して最高のパフォーマンスを発揮されるものだと思う(で、しかもしんどくない)。なので楽な仕事ほどしんどく感じられ、レベルの高い仕事は疲れないってのが、仕事に対する実感じゃないかと思う。
さて次は12月の那覇マラソンだ。僕は暑い時に走るのが苦手なので、夏の間に頑張って走って暑さに慣れておくことにしたい。昨日走り終わったばかりだけど、懲りずにまた次回に向けて頑張ります。

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