Bプラン
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Bプランに進んだ様に見えた僕の人生も、気がつけば(Aプランでずっと進んだ人も含めて)友人の中でも一番良い人生を送れていると思う。そして当初の目標、自分の力と独特なやり方で「世界をより良く、平和にする仕事」に近づいていっている。途中経過は何でも良い、どんな道を通ろうと、折れず腐らず視点は高く、ずっと努力していきたいと思います。
社長ブログ
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様々な組織を見てみると、当社とは根本的にやり方が違うなと思うことが良くある。
担当者は、その人が決定権を持つことについては(当然)自分で判断できる。自分で判断する訳だから、そんなに時間は掛からない。大抵の問題は数分考えて結論を出すくらいの話だし、數十分考えて判断が出来ない場合には、判断材料が足らな過ぎるか、設問自体が間違っているのだと思う。
時間が掛かるのは、その人が決定権を持たないことについて、その上司に判断して貰わないといけない事柄だ。その人に決定権がない=その人では判断できない、能力や知見が足らないと言うことなのに、その上司が判断できるだけの材料をその人がどうして準備できると言うのか。まるで生徒が先生に問題を出す様な話で、生徒が問題を出して先生に答えて貰うなら、その生徒は「先生以上」と言うことになってしまう(大抵はそうでないので、成り立たない)。
担当者があーでもない、こーでもないと考える時間は、無駄だと思う。担当者が解決できない、整理できない問題を一刀両断に判断するのが上司の役割であって、部下に完璧な判断材料を揃えさせて誰でも判断できる様になっているのであれば、その上司は不要だ。こんなことをさせるといつも判断が遅れ、結果として「迅速な経営」はできなくなってしまうと思う。
おそらく正しい「今時の組織」は、トップが最も難しい問題を解いていく、次に難しい問題を次に高いポジションの人が解いていく、普通の人が解ける問題は普通の担当者が取り組むと言う、「試験会場で一斉に、異なった問題を解いている」雰囲気の会社でないかと思う。
当社には稟議書はない。稟議書が必要なほど組織が大きくないからと言うことではなくて、「上司にお伺いを立てる」と言うプロセスがないからだ。担当者の手に負いかねるなら、それは担当者からその仕事を「奪って」上司がやってしまえば良い。上司の仕事とはそう言うものだと思う。
と言うわけで当社では、実力がなければ役職で威張ってられない。だって、役職は「自己申告制」で、実力があって難しい問題に取り組む気概があれば、誰でも何でも役職を付けてもらっても良いから。ただし、「社長」以外。
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このところ災害続きで、僕が住んでいる大阪では地震、台風、そしてまた今日台風に見舞われている。JRは昼前に運行を停止し、店舗やスーパーは早々と休業することにしている様だ。
今日も朝から散髪しようと思ったら、台風はまだ九州にいて大阪は無風だというのに、臨時休業の留守番電話。スポーツジムも百貨店も「台風24号の影響のため、9/30は全館終日休館とさせていただきます。」という状況だった。前回の時は平日だったから、昼には会社から帰宅することを求められたり(実際に直撃したは午後2時〜4時位だった)、最初から出社しない様にしている会社も多かった。
災害時に被害、特に人的被害があるのはもちろん良くない。だから用心深く、早々と運行停止や休業を決めることも良くわかる。
それでもどうかなと違和感を感じるのは、あまりにもリスク回避、しかも一律のリスク回避になっていないか?ということである。台風は刻一刻と進路を変える。今回の事例で言うと、結果的には大阪では22時頃に風速10メートルが30分続いただけだった。現在24時、ほぼ無風で雨も降っていない(台風が過ぎた)。朝から休業していた店舗は一体何だったんだろう。万が一事故があれば、非難轟々だから、万が一の為に休業を決める。これは1000人に1人の事故が怖いのではなくて、なんかあった時の非難轟々が怖いから休業していると思われる。個人的には、台風の時に外出して事故に遭う個人の判断ミスであって(しかも1000分の1の確率)、その時に責められるべきは「その不注意な個人」であって、「開店していた店舗側」ではないと思う。店舗側は世間の目を気にして万が一の時のリスクが取れないから、何の問題も起こりようのない「休業」という選択をしてしまう。
もちろん、災害時も店を開けろと言っているのではない(散髪行けない、車の修理もしてくれなかったのは不満だけど)。お店の人も大変だろうから、遠くから通っている人、いつ何時学校が休校して子供を受け入れないといけない保護者など、理由がある社員は当然休んで良い。でも自転車で5分で帰宅できる人、自宅より堅牢な造りの会社の方が安全な独身者なんかは、様子を見ながら働いて、危なくなってきたら帰宅したり避難したり、お客さんが来なければ休業したりしても良いと思う。要するに、情報蒐集しながら臨機応変に対応すれば良いだけだ。
何かあった時に、前述の様に「その個人がリスクを取って失敗した」と解釈することも出来るし、「そもそも店が営業している方がおかしい」と解釈することも出来る。言えることは、前者は「リスクを許容出来る社会」、後者は「リスクを取れない社会」であると言うことだ。そしてどちらが成長する可能性があるかは、言わずもがなである。鉄道なんて、これまで最後の最後まで運行する努力をしていた様に思う。もちろん電車などの公共交通機関は事故があると被害が甚大だから、なかなかリスクを取れないことは分かる。しかし無風の状態で昼からの運行を全部止める(関空も閉鎖)と言うのもどうかしていると思う。
当社の場合、平日に直撃した前回台風の時は興味深かった。虫好き研究者たちは普段から自然に親しんでいる野生児なのか、強風に揺れる会社で台風をやり過ごした。当社も鉄製の看板の柱が折れるなど被害があるくらい強風に見舞われたのだが、普通に勤務して台風が過ぎた後の掃除など、後始末をしてから普通に夜に退社した様だ。近くに住んでいる社員が多いから、ギリギリまで待てる余裕もあったのだろう。僕は僕でどうせ仕事にならないかなとスポーツジムで走っていた(途中で営業停止になったが)。
今は社会がそうだから、リスクを取らない側の判断に対しては非難が向きにくいとは思う。万が一を考えて何かを止めるのは簡単だ。しかし、個人が自分でリスクを判断し臨機応変に対応する姿勢がないと、個人も組織もどんどん弱くなっていくと思う。これは成熟社会の悪い点だ。当社はいつも、個人が自分の頭で判断してリスクを取り、チャンスも逃さない組織でありたいと思います。
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当社は自社開発のIT日報などのツールを用いて、社内外の情報共有に努めている。社員間に限らず、ビジネスパートナーとの情報共有の重要性はこの20年来、機会があるごとに言い続けている。何故なら、それほど重要で、一番効果的な経営戦略だと常に痛感するからだ。
人間の能力には特徴があって、物理的な制約はかなり大きい反面、精神的な(頭脳の)制約はほとんどないことだ。
このところの酷暑では、なかなか肉体労働は続かない。集中力はすぐに切れてしまう。移動するだけで疲れる、寝不足もダメだし、栄養過多、運動不足は中長期的にパフォーマンスの低下を招いてしまう。これらは人間が生物である限り、仕方のない制約条件である。
これに対して、頭脳はいくら速く回転させても疲れない。もちろん時間の制約はあるけれど、1日に数時間、おそらく8時間くらいは「頭だけ」ならフル回転させることは可能だ。その時間のパフォーマンスもほとんどなんの制約も受けない。雑踏で千人くらい人が集まっていたとしても、その中の家族や知人は瞬時に見つけられるのが人間の「超能力」だ。本は飛ばし読みが出来るし、「ながら」で聴いている情報も自分に有益なものは無意識のうちに気がつく。仕事も何本も掛け持ちをしながら「並行処理」を行い、一瞬一瞬で全く異なることを切り替えながら処理できる能力も備わっている。
この人間の頭脳がフル回転する前提条件は、「情報が自動で与えられている、少なくとも簡単に取りに行ける状況になっていること」である。沢山の情報の中から有益な関係のある情報を瞬時に読み取って自分の頭を使っていくのは出来るけれど、そもそもその情報にアクセス出来なければ、頭の使い様もない。
従って、「生産性の高い組織」とは、「必要な全ての情報が与えられ、自分の頭で考え、また発信できる組織」であると言える。
ここまで言ってもシステムを使い易い様に改善継続しても、当社でも日報をなかなか書かない、あまり読まない社員もいるにはいるのだが、それは限られた情報で頭を中途半端に使い、また発信しないことで他の社員の頭脳を活用できず、自分一人分(以下)の仕事しか出来ていないことになる。だから(肉体的に)多少頑張っていても、組織としては「半人前」の貢献しか出来ていないとも言える。組織は全体で一つの「脳」を持つ。一つ一つの脳細胞(=社員)が発信・受信しなければ、脳の本体から外れた「かさぶた」みたいな細胞になってしまう。
理想は、組織の全てのメンバーの活動日報をお互いに、読み合い、議論し合うことだ。「時間がない」というのはそれが出来ない理由の様だが、他のメンバーが行った活動報告(結構詳細)を、1秒で良いから「チラ見」することで、有益な情報は自分のアンテナには引っ掛かってくるし、また自分もその様に発信しなければならない。
情報共有と組織の生産性、これは不可分一体のものだと思うのだけど、本当にそうなのだから徹底していきたいと思います。
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最近思うのは、世の中の多くの問題は、コミュニケーションの課題が大きいということだ。
良いことを思いついても、それを他人に説得しなければ実現はしない。全部自分でやることは出来ないから、実際に手足を動かしてもらう人、知恵を出してもらう人が実際に納得し、自らの行動として具体化して貰わなければならない。そのためには、こちらがよほどきちんと説明して「腹落ち」させなければならない(しかも時折催促しなければならない)。
人間というのは驚くほど「自分本位」で、自分の置かれた立場や能力、考え方によって、同じことを言われても受け止め方、その後の具体的行動はかなり異なる。しかも悪いことに、「礼儀」として分かってないことでも分からないとも言わないし、他人の懐に手を突っ込んで聞いていく、質問することも通常は行わない。行儀は良いのだが、話も全然伝わらないのが、現代社会、現代の組織である。
僕は中高生の水球チームをよく見ているが、お互いに声を掛け合わない、掛けたとしても「もっと泳げ」とか「パスが悪い」とか、抽象的な言い合いだけである。チームとして何を目指すのか、このプレーはどこが悪かったのか、良かったのか、お互い議論したり言い合わないから、チームという組織であるのに、結局自分の頭の中だけ、自分のイメージだけで小さくまとまってしまっている。
顧客に対しても、親切のつもりで「厳密には必要ないとも言えますが、、、」と言うより、「原則的には必要です、あった方が絶対良いです」という方が、それを採用したい人にはストレートに伝わる(当たり前ですね)。何のリスクヘッジか知らないけど、わざと「逆」の視点や解釈、言い訳を加えると、意図とは違って相手はそのまま「逆」の意味で捉えてしまう(やる気、採用する気を削いでしまう)。あった方が良いですよねと聞いてくる顧客に、「厳密には必要ない、なくても大丈夫です」と言うことないだろうにと思う(当社ではよくある。本来は「はい」だけでいいのに)。
組織でも同じで、分かっている様で、言葉にして誰にでも伝えらえるほどは分かっていない、分かってないのに質問しない、お互いを気遣って詰めた議論をしない、具体策に結びつかない、結果として組織として動きがバラバラで、チームとして強くならないことがよくある。強い会社とそうでない会社の違いは、上記の様な「本当のコミュニケーションが出来ているか」という点だと思う。
当社は比較的、それって本当はどういうことか?その対応で良いのか?結局どうするのか、どうなったのか?を個別具体的に議論するようにしていて、そのための独自の情報共有システムもフル活用しながらコミュニケーションを徹底する様にしている(日報をサボると働いているとは見做されない)。いちいち書かなくとも、常に情報を共有しているじゃないですか、メールでCCしたじゃないですか、言ったじゃないですかと言うのは通用しない。人は言われたくらいでは理解していないし、情報を共有したとも言えないのだ。何度も繰り返し言って、文章にもして、議論して、それを何度も蒸し返して、そして行動に移してもらって伝わっているかを確認するくらいのプロセスをサボってはいけない。
これらはつまりは「コミュニケーション」の問題、もっというと「説得の問題」である。こういうプロセスを真摯な態度でお互い遠慮せずに行っていこうと改めて思います。
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僕は(多くの方がご存知の様に)もう二十年来(正確には丸二十二年)盛和塾に入っていて、稲盛和夫塾長を経営の師匠として研鑽している。盛和塾の塾生であれば当然、その哲学(フィロソフィー)を学び、また社内でも輪読会などを行って浸透させることが当然の様に行われている。
当社の経営理念そのもの、経営の目的もフィロソフィーに即したものになっている。「利他の心の経営」、「会社の目的は社員の物心両面の充実を実現すること」、「損得よりも善悪をまず考えること」、「誰にも負けない努力」、「仕事を通じて人格を磨く」 などは、いつも何かにつけて強調し、実践しているところでもあると思う。
しかし、当社では、僕自身フィロソフィーを本当に理解し実践しているとは自信がなかったこともあって、長年そのフィロソフィー輪読会を行って来なかった。しかし二十年も盛和塾で学んできてまだその哲学を社内で共有できてないとすれば、このまま行くと一生やらなくなってしまうと思い直し、今からでも遅くないと思ってこの度、始めてみようかなと思った次第です。
そもそも仕事のノウハウでなくて、「生き方」や「人生哲学」の様なものを会社で学ぶ必要、意味があるのかということだが、仕事は人間がやること、会社は利益は必要だがそれは手段であって、本当の目的は「全従業員の物心両面の充実」と「社会貢献」であることを考えると、やはり「考え方」に踏み込まざるを得ない。仕事を通じて人格を磨く、魂のレベルを上げていくことが、「働く意味」だと思う。
能力に限りがあるけれど、熱意や考え方が素晴らしいものであれば、人生の結果も素晴らしいものになるというのが稲盛哲学の教えだ(人生の結果=考え方x熱意x能力)。特に中小企業においては、学歴も能力もバリバリでほっといても素晴らしい成果を上げる人はなかなか入ってこない(大企業でもそうだが、仕組みや既得権益が強固だからやっていける)。「考え方」が重要になってくると思う。
「考え方」(=フィロソフィー)と言っても難しいものではない。「真の勇気を持つ」、「綺麗な心で願望を描く」、「素直な心を持つ」、「仲間のために尽くす」、「心をベースとして経営する」、「公明正大に利益を追求する」、「原理原則に従う」などなど、小学校の先生や親に教えられた様な、プリミティブことがその大部分である。
この様な簡単な「考え方」なのだけど、それを実践するのは優しいことではない。人間はついつい、少し成功するとすぐに「謙虚であること」を忘れてしまうし、「公明正大」でありたいと思っても、月末の数字が足らないとか楽して勝ちたいと思ってついついずるいこともやったり、正当化してしまったりする。学歴の高い人でも考えられない様な不正を行ったりするのは、残念ながら新聞などでもよく見ることだ。稲盛塾長が手掛けたJALの再生でも、全く同じ人たちが働いているのに(むしろリストラで少なくなった)、心の持ち様(考え方)が変わったからこそ、それまでとは全く異なった、素晴らしい会社に生まれ変わった。人間の心は畑の様なもので、常に手入れをしておかないと雑草が生えて荒地の様になってしまうものだと思う。
当社の場合は、経営方針や社員との関係がある程度は稲盛哲学を反映するものであったからこそ、これまで安定的に成長し、辞める人も殆どいなかったのではないかと思う。今後、実際に集まって輪読会を行い議論することで、その「考え方」はより強固になっていくと思うし、「物心両面の充実」がより図られていくのではないかと期待できる。まずは本社でやってみて(先週やって案外面白かった)、今後東京や九州のメンバーとも合わせてやってみたいと思います。