社長ブログ

社長フィロソフィー日記

イベントの秋

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夏からずっとイベント続きだった。8月はニューヨーク、9月はボランティアでヨルダンとパレスチナ、10月はバリ島でアセアン諸国の害虫駆除関連の国際会議に参加、その翌週恒例のアメリカ害虫駆除年次大会がハワイであったので参加、そして11月は今日まで二泊三日でマニラで開催されたアジアオセアニア害虫駆除連盟年次大会である。

その間に10月は当社恒例のレベルアップセミナーを東京・名古屋・大阪・福岡で開催したので、ほんと会社の席も暖まる暇もない(って言うか出社していない)という感じである。

こうやって様々なイベントに参加できる事自体大変恵まれていて、かつそこではかなり効率的に様々な人と話が出来るから良いのだけど、改めて「イベント」というものについて感じることがある。

いくら一年に一回、数年に一回盛大に多くの人を招いて何をやったとしても、(それはそれで大変意義深いことであるのは間違いないが)一時的に盛り上がっても殆ど会社の業績には関係がないということである。

多くの人が集まって雰囲気が盛り上がるというのは大変素晴らしい。でもそこでの成果や話し合われたこと、得た情報を「毎日の仕事」にどう落としこむか、もっと根本的にはどう「会社の競争力」に転化していくかが大事だと思う。

そのためには「だから何なの?」、「それが当社にどう貢献するのか」、「ビジネスとして見た場合成り立つのか」、というような事をしっかり検証しないといけない。雰囲気だけではビジネスにならず、地に足が着いた活動に変えていかないと意味がない。

今年もこれでイベント関係は殆ど終わりである。12月に行うプロジェクト的なものもあるけれど(あ、それと那覇マラソン)、これらの活動をどう来年につなげていくかが課題である。

稼働率 (2)

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僕が買い物をするとき期にするのはその商品の「稼働率」である。折角買ったものでもあまり使わないのであれば稼働率は低く、毎日使うものは稼働率が高い。

商品が高い安いというのは、この稼働率を考慮することが大切だと思っている。一年に一回しか使わない1000円のものより、毎日使う30万円の物の方が一回当りのコストは安くなるし、なんといっても30万円の物の方が良いものに決まっているから、一回単価が安くて質が高いということになり、間違いなく僕は後者を買う。例えばパソコンなんて毎日使い倒しているから、最高機能のものを2年くらい毎日使う(700日稼働)と考えれば、30万円のものでも一日500円以下である。

カバンのたぐいも毎日使うものは多少高くても良いものを買うべきだ。滅多に着ない服は勿体無いけれど、毎日使う稼働率の高い備品であれば高くても本当は高くない。

同様のことは人材にも言えて、その人の稼働率を上げるためのコストは惜しむべきではない。どうせ安くない人件費がかかるなら、携帯電話・パソコン、自宅設置のファックス、社用車、などなどすべての道具を与えて「稼働率」を上げた方が良い。いつも冗談のように言っているけれど、何もしないで「息をしているだけ」が一番人件費が高くつく。じっとしていてもどこでも何時でも仕事が出来るように情報機器などを完備した方が、その人の能力をすべてだしてもらうことが出来て結局は割安になる(=コストパフォーマンスが高くなる)のだと思う。

という訳で当社の社員はあまり言い訳ができない。すべての道具がお膳立てされていて、何かが出来ないとしたらその原因は「自分」にしかないのだから。まあこれも考えてみれば厳しい話だけど、能力を十分発揮できるという意味ではいいんじゃないかな(と自分に言い聞かせています)。

最近のビデオ流出事件

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最近、例の尖閣諸島での衝突事故のビデオ流失が問題になっている。公開する公開しないであれだけ揉めたビデオがあんなにあっさりと流失してしまうことも驚きだが、それよりも流失させた人(おそらく内部者)への同情の声が多いのも驚きだ。
ビデオが本来政府によって公開されるべきだったのに公開されなかったから、内部者が「勇気」を持って公開に踏み切ったことへの讃美の声があるのだろう。
しかし問題は政府によって本来公開されるべきだったか否かではない。今回の流出がそれでも問題だと思うのは、流出させた人が何の民主的手続きを踏んでいないことだ。筋論で言えば、選挙によって選ばれた人たち(=政治家・議員内閣制においては政府首脳の大部分)が決めたこと(=ビデオが一般公開しない)が、公務員試験に通っただけの行政組織の単なる一職員によって覆されたことになる。もしこのビデオ流出によって日中間で戦争でも起こったら、その職員は責任を取れるのか(流出させたことも名乗り出ない、無責任な人だ)。
同様に、もし一自衛官が自分勝手な「正義感」に駆られミサイルを他国に向けて打ったり、警察が勝手に逮捕して勝手にその場で処罰してしまったら一体、この国の民主主義はどうなるのだろう。遠回りかも知れないけれど、いつか大阪の橋下知事が高校生に言い放ったように、「文句があるなら政治家になって法律を変えなさい」というのが筋であり、長い民主主義の知恵である。
同様に、会社も同じこと。担当者が勝手に自社に不利になるようなことをその場の「正義感」で行ったらどうなるだろう。経営責任を負わない担当者がなあなあで行う行為が会社の命取りになる場合だってある。会社における民主主義とはきちんとおかしいと思うことは上司や経営者と議論すること、そして一旦決まったことは納得しなくったってやり抜かねばならない。しかも日本人は辞めれないが、会社は辞めて他に行くことも出来る。文句があるなら勝手にやらずにきちんと会社内で議論すべきというのが、会社のガバナンスでもある。
自由と無責任とは違う。今回の事件で改めて思ったことだ。

ストレッチ (2)

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夏の終わりに高校の水球部の練習を観た。これは全然駄目で、来年の今頃はまた「来年こそは」と悔しがっている彼らの姿が浮かんでしまった。
その練習の風景だが、チームのキャプテンが練習を指示しているのだ。彼は背も高くて多分泳ぎも速くて、プレーヤーとしてはそれなりの選手なのだろう。だからキャプテンに任命されて練習を引っ張っているのだ。
でもその構造は根本的に間違っている。選手が自分で自分を鍛えるなんてあり得ない。一番下手な選手はその練習でもうまくなるかもしれないが、練習を積んだ高学年生、つまり来年主力で戦うことになる彼らは決してそんな練習では成長しない。
人間は弱い生き物だ。成長するには実力以上の負荷を与えられ、無理矢理でも強制されて習練を積み、それでやっと出来なかったことが出来る様になる。自分自身ではどうしてもその「実力以上の負荷=ストレッチ」をかけることができない。それが出来るのは(それ以上練習すれば故障してしまうぞと警告されたりする)オリンピックに出る様なエリート層だけである。
たかだか高校生が、自分自身を鍛えることはできない。前時代的で今の自主性を尊重する風潮には馴染まないかもしれないけれど、「自主性」なんて人生のずっと後のことで、最初は誰でも強制されて基礎がつくものなのだ。
キャプテンに悪気はない。でもそんな自主練習では決して来年勝てませんよ。コーチから怒鳴られ、もう無理ですと言ってからが本当の成長の伸びしろである。早く気がついて欲しいなあ。
これは会社経営でも全く同じこと。自分らで「もうこんなもの」と思って毎日仕事をしている企業は決して伸びない。「そこまでやるか」、「そこまで要求されるのか」と思ってから、すなわち目一杯ストレッチしてからが本当の「利益の源泉」である。経営者としては常に課題を与え負荷を与え、「能力を未来進行形で捉える」努力をしなければならないのだ。

実際に「会う」こと (2)

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不思議な感じもするが、実際に会ってみるとおそらく人間の心理として、目の前の人に親切にしたい、出来ればなんとかこの人と仕事をしたい、何か実現できる方向はないかというようなことを考える。
その場にその人やその人が代表する会社がなければ切って捨てるような案件でも、アポを取ってもらって実際面談すると、どういう訳か「希望が成り立つような方策がないか」を考えてしまうし、何とかして目の前の人の提案を受け入れたくなる。
人間の心理なのか、目の前の人を面と向かって否定することは苦手のようで、調和を図る意味か分からないけれど、前向きなバイアスがかかってしまう。逆も真なりで、その場にいない人は「欠席裁判」でネガティブな評価を受け易い。目の前にいる人を贔屓にするためにその場にいない人を犠牲にするのは人間の性質のようである。
だからこそ、重要な場面には「その場にいる」ことが大事だ。いくら情報化社会でIT技術が発達したと言えど、こういうフェーストゥーフェイスの交渉は必須の様である。電話やメールだけではダメで、その場にいて気まずい沈黙や面と向かった自身のオーラも総動員して案件を進めるべきである。
僕も例に漏れず、実際に人に会うとどうしても「大体はOK」って話になってしまう。これはおそらく人との「縁」みたいなものを重視しているからだろうし、偶然をなぜか必然と捉えてしまうからかも知れない。
「理屈では割り切れない」というのは案外こういう人間の性質に拠っているような気がする。当社も「面と向かって交渉する大切さ」をよく理解して、前に進んでいきたいと思います。

実際に「会う」こと

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不思議な感じもするが、実際に会ってみるとおそらく人間の心理として、目の前の人に親切にしたい、出来ればなんとかこの人と仕事をしたい、何か実現できる方向はないかというようなことを考える。
その場にその人やその人が代表する会社がなければ切って捨てるような案件でも、アポを取ってもらって実際面談すると、どういう訳か「希望が成り立つような方策がないか」を考えてしまうし、何とかして目の前の人の提案を受け入れたくなる。
人間の心理なのか、目の前の人を面と向かって否定することは苦手のようで、調和を図る意味か分からないけれど、前向きなバイアスがかかってしまう。逆も真なりで、その場にいない人は「欠席裁判」でネガティブな評価を受け易い。目の前にいる人を贔屓にするためにその場にいない人を犠牲にするのは人間の性質のようである。
だからこそ、重要な場面には「その場にいる」ことが大事だ。いくら情報化社会でIT技術が発達したと言えど、こういうフェーストゥーフェイスの交渉は必須の様である。電話やメールだけではダメで、その場にいて気まずい沈黙や面と向かった自身のオーラも総動員して案件を進めるべきである。
僕も例に漏れず、実際に人に会うとどうしても「大体はOK」って話になってしまう。これはおそらく人との「縁」みたいなものを重視しているからだろうし、偶然をなぜか必然と捉えてしまうからかも知れない。
「理屈では割り切れない」というのは案外こういう人間の性質に拠っているような気がする。当社も「面と向かって交渉する大切さ」をよく理解して、前に進んでいきたいと思います。

ハワイ出張

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昨日までハワイに出張に行ってきました。実は先々週はバリ島で国際会議参加だったのだが、二週連続でリゾート地だった。

左が当社の菅野くんだが、どちらかというと右の人のほうが日本人っぽい。 

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宿泊地のアラモアナ(ワイキキの西の端)からダイアモンドヘッドの頂上(東の端)まで走ったのだが、こんなところまで来て苦行だったようだ。 

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今回は仕事はもちろん、それ以外にも山歩きツアー、ランニング、遊泳と身体もかなりアクティブに動いた。月曜日に帰国して早速火曜日から出社だけど一段とパワーアップしてくれたと思います。

二極化時代の働き方

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厚生省によると、家計所得の中央値は 427万円であり、平均所得金額(547万5千円)以下の割合は 61.5%となっている。
これには二点あって、(1)家計所得はバブル期の1990年代と比べて100万円以上も低くなっていること、それに(2)中央値(家計数の真ん中の人の所得)が平均値(総所得を家計数で割る)に比べてかなり低いということは、所得の高い家計が平均を押し上げている(だけ)ということだ。つまり日本経済における家計所得は絶対水準を下げながら、二極化しているってことになる。
これらって結構ショッキングだと思う。多くの人は実際に収入が下がり、中でも上の方の家計と下の方の家計がかなり開いてきている。僕は政治家ではなくてビジネスマンだから、この現象はどういう原理で生じているのか、そうであればこれからどのようにビジネスをしてかねばならないかに興味を持つ。
真面目に働くことは大切だ。でもその働き方には「仕組みを作る働き方」と「仕組みの中で作業をこなす働き方」があると思う。まさしく上記の二極はこの二つの働き方に対応している。
「仕組みを作る働き方」は、ビジネスの在り方、顧客への価値の届け方を構築する仕事である。コンセプトを考えツールを用意し、いろいろな専門家から意見を聞いたり、実際にプロトタイプを提供して消費者の反応を見る。起業なんかはその典型だが、新しい事業、新しい製品開発なども「仕組み作り」の一つの形である。仕組みこそが社会に価値をもたらす。
一方、「仕組みの中で作業をする働き方」とは、上記で出来た仕組みの中で「後はやるだけ」となった作業をこなす働き方だ。既にデザインされ仕様が決められた製品をひたすら機械のボタンを押し手を動かして黙々と作業をする。判断業務は要らないし、作業手順書通りに業務をこなす毎日を送る。文字通り「石」になって辛い単純作業を黙々と続ける。この作業は労賃が安ければ国内に残るし、高ければ海外の安い労働者が行うようになる。
「石」の様に黙々と働く働き方が必ず「作業」という訳ではない。床を綺麗にする仕事でも、毎日同じやり方をしていたのでは単純作業であるが、「今日は工夫をしてこの手順でやってみよう」と日々改善を行うならばそれは「仕組み作り」の一種になり、より多くの付加価値を生むことになる。
当社はもちろん「仕組み作り」を目指す。日々改善、日々創造、そして多くの価値を生み出し社員にも顧客にも還元し、より社会のためになっていきたいからである。

幸福になる前提としての仕組み

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先月パレスチナに行った時に思ったのだが、国の発展、もっとブレークダウンして人々の幸福は「幸福になる前提としての仕組み」があって初めて可能なのだということだった。

イスラエルとパレスチナの紛争は歴史的にも政治的にも複雑すぎて説明できないが、パレスチナにたまたま生まれた人々にとってはとても閉塞的で希望が少ない状況だと思う。50年前に隣にイスラエルが誕生し、以来どんどん国土を侵食されている、パレスチナ指導部も当てにならなくて極端なテロ(住民は支持してない)、または汚職でどうしようもない。外国企業も来るはずがなく仕事がない。元々優秀なのだか行政も駄目、民間も駄目、外国との貿易もイスラエルに邪魔されて出来ない。まあこんな状況だ。

つまり人が幸福になるための努力の前提みたいなものが全然なくて、努力を始めるきっかけも仕組みもない。ほんと、可哀そうな人々である。

こう考えると国家やそういう社会の仕組みがとても重要なことが分かる。日本だと、物を送れば必ず届く、電話をすれば通じる、隣の国からいきなりミサイルは飛んでこない(多分)、行政も基本的には正直だ(汚職がニュースになる。汚職が当たり前の国はニュースにならない)、信号は守られる、社員は真面目、皆文字が読める、子供は栄養失調で死なない、などなど、こんな当たり前のことが揃っている。

だから人々は勤勉に努力すれば成長できる、生活も良くなると信じることが出来るのだろう。でもそれは世界的に見ればとても恵まれている。

会社も同じ。社員が安心して働ける環境を作らないといけない。そして真面目に働けば給料も上がり、顧客は喜んでくれ、社会にも貢献できる。こういう「仕組みとしての会社」を構築することは経営者の使命。

さてパレスチナに話を戻すと、平和構築のために僕自身は大したことは出来ないけれど、貢献の一つとして小さな手伝いができたら良いなと思っています。

ヨルダンとパレスチナ出張

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最近ブログでの報告が若干停滞しているが、そう言えば先週初めまでヨルダンとパレスチナに行ってきた。ヨルダンでは一日視察と称して、あのぺトラ遺跡を一日かけて探索した。そう、ぺトラ遺跡はあのインディージョーンズ第一作の舞台になった場所である。

以下はその写真。訪問記はまた別途アップします。

Petra1

 Petra2

Petra3

Petra4

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