社長ブログ

社長フィロソフィー日記

経営の目的

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経営の目的は色々あるとは思うけど、一番大事なことは、「会社の一人一人が主体的な意識を持つ組織を作ること」じゃないかと思う。 「主体的な意識」とは「やらされている」、「仕事だからやらねばならない」という感じとは反対に、自分のこととして自分の判断で行動するということだ。決まったことを仕事だからと言って時には嫌々やるのではなくて、自分の判断と責任で、そして自分が楽しいと思ってある目的を達成するために能動的に行動することである。 人間は自分の意志で良かれと思って行動する時に力を発揮する。ある目標を達成するために自分の頭で考え、自分のためにも頑張る。この意味では公と私とは区別がなくなる。 とすれば会社は、そこで働く個人の目的(やりがい、人格の向上、生活の安定)と会社の目的(社会に対する責任、顧客に対する価値提供、結果としての利益)が一致する時に、一番パフォーマンスが良くなるはずだ。であれば経営の目的は、その二つを一致させ、全員が主体的に考え動く組織を作り上げることである。事業に大義名分がある、一人一人に責任が任されている、自由な発想を受け入れる企業文化がある、上下関係なく意見交換が出来る、自分の貢献が分かり易い、などが主体性を持つ組織に必要な要件だと思う。 最近僕の友人と話していたら、「サラリーマンの僕らでも自営業者のように考えないといけない」という発言があった。僕はそれを聞いて、「組織に属すると主体的に考えなくても済むのか」と逆にちょっとびっくりもした。その友人は主体性の大事さに気づいているのだけど、気づいていない人もいるはずだ。もちろん組織に属していれば常に個人的な責任を問われることはないかも知れないけど、自分の人生に責任を持つ、自分の人生を生きるという意味では立場がどうであれ同じことだと思う。 各社員が皆主体的性を持って考え、行動する。経営者も社員も関係なく「自分の人生」に責任を持つ、それがわかり易い仕組みでやりがいとして感じられる様な仕組みになっている、こういう企業が最も強いのだろう。 経営の目的は各人が主体的に動く組織を作ること、そういう企業カルチャーを熟成すること、これに尽きると思うけどどうであろうか。

豊かさとは何か

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人間の受容能力には限りがあって、これだけ情報が溢れ様々なことが体験可能な現代社会においては、「数や量が多いこと」が「豊かさ」につながるとは限らない。 典型的なのは情報量だ。面白そうなドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、新聞、雑誌、インターネットニュースなんかを挙げていけばキリがない。図書館に行けば何日でもつぶせそうな興味深い本ばかり。もちろん過去に出版された必ず読むべき古典、歴史書、小説。衛星テレビにケーブルテレビ、それに膨大な映画。美術館に博物館も既に行った、行ってみたいところだらけだ。 インターネットが発達することで情報量は更に膨大なものになった。ポッドキャストでは様々な主体が発信していて、アメリカの大学なんてかなりの程度講義などを配信している。通常のネット情報ならまだしも検索で絞れるが、ブログやはたまたツイッターまでになると個人の(どうでも良いような)情報まで流されている。 情報だけではない。百貨店に行くとなくても困らないようなものが沢山溢れている。服はキリがないしデパ地下では食料品がところ狭しと置かれている。 これだけ物や情報が多くなると、沢山抱え込んで消費していくことは豊かどころか、本来一つ一つが持つ魅力までも十分に楽しめなくなってしまう状況に陥る。雑誌でも新聞でもじっくり読むととても面白いが、30冊重ねてあるともう飛ばし読みすら出来なくて、目を通すだけだと全然楽しめないし疲れるだけだ。 結局人間の「消化能力」には限界があるから、限られたものを選ぶこと、抱え込まないことが大事だと思う。だから例えば僕はテレビは殆ど観ないと決めた。これだけでもかなり時間の節約になる。消化能力に限界があるということは過剰は苦痛でしかなく、豊かさとは程遠くなる。 で結局は、必要以上のものは持たず過剰には抱え込まず、持つものの少ないことが豊かさの指標になるかも知れない。持っているもの、抱えているものは少ないけれど、心の内面が豊かな生活が一番贅沢な生活ってことだ。 そうすると豊かさとは心の問題に帰することになり、いわゆる物質的なことだけがそれを決めるのではないことが分かるだろう。生きがい、やりがい、人から感謝される心地良さ、天気の良い日に自然の中を歩く気持ち良さ、教養や文化が理解できる素養と余裕、異文化を楽しめる受容性、などなど「豊かさ」とは物理的に所有するモノで決まるのではなく、その人の精神性に大きく依存することになる。豊かさを感じるのは精神だという当たり前のことである。 会社もそう、色々と所有したり損得ばかり考えるのではなく、顧客のためにはどうすべきか、自分たちが人間として充実して生きていくにはどのような仕事をすべきか、精神的なところを追求することが「企業の豊かさ」を決めていく。こう考えてシンプルにやっていきたいと思います。

少しの差

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最近はよく近くの山の中を走っているのだけど、いつも思うことがある。 僕の家は川に近くて、川岸が心地よい遊歩道になっていて多くの人が散歩している。バーベキューが出来るところもあるから、休日はシーズンを問わずいつも人で一杯だ。またウォーキングしている人たちも沢山集まってくる。 その川沿いを1キロほど上流に遡ると、山の中に入っていく。坂道を少し上がると公園がある。ここも桜で有名だから、桜のシーズンはまた沢山の人で賑わっている。でも春以外はそれほど混まない。 更に200メートルほど山を上り、川沿いの道を奥に進んでいくとめっきり人が少なくなる。この地域は景観が美しく、渓流に岩がゴロゴロしている場所だ。でも上で述べたバーベキューで混み合う川岸からも1キロ位しか離れていない。走って10分、歩いても20分ほどだ。 僕はいつも更に奥に入って山道を走る。そうするともう殆ど人はいない。たった家から3キロも走れば、一番込み合うはずの夏でも殆ど無人になる。でも山道もよく整備されていて、途中にウッドデッキやベンチなどが有り夏でも冬でもとても心地よいハイキングコースである。 要するに殆どの人は集中していて、混んでいる範囲は限られている。少し先に進めば急に人は少なくなり、もっと奥には入れば殆ど誰もいない。それでいて一番奥と言っても一番混んでいるところから大して遠くはないのだ。 そういえばハワイもそうだ。ワイキキのメインストリート、DFSがある辺りは日本人で一杯でここは日本の観光地かと思うくらいである。でも車で5分も行けば、全くと言って良いほど日本人は見かけない。観光スポットでもなければ(当然?)1キロ離れれば殆ど日本人はいない。 逆に言うと、他人より少し多く苦労すれば、いや苦労すらしなくても少し先に行くだけで競争の少ない場所に行けるということだ。「少しの差が大違いを生む」ということである。同じ土俵で同じことをすれば、どんな分野でも混雑に巻き込まれ過当競争に直面する。でも少し他人より「奥」まで入って行けば美しい景観を独占出来る可能性があるってことだ。 これも(言わずもがなだけど)企業経営と同じである。少し苦労してでも、混んでいるところから抜け出して、「見える景色が違う場所」で勝負したいと思う。うーん、走っていてもこんなことを考えている、これって気分転換してるんでしょうかね?

問題設定能力

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先日当社の顧問と打ち合わせをしていて、問題設定が一番大切という話になった。 仕事とは直接関係ないのだけど、四国の過疎地域の振興を産官学でやってみようという試みを手伝うことになっている。でも最初の趣旨書を見ていたら、「過疎化が問題で、何とかして人に来て貰いまた企業誘致をしたい」という内容であった。 僕が思ったのはこれは「問題設定が間違っている」ということだ。確かに過疎化は問題だけど、それは結果的に生じた現象であって、根本的な原因は「その地域では人や企業が前向きに成長できる環境が整っていない」ことである。そこに留まっていても将来が描けないから、チャンスが有れば東京や大阪などの都会に出ていってしまう。企業だって需要も少なく特にそこに投資する理由がなければやってこない。 だから問題設定は、他人がその地域にやってくることを期待するのではなく、そこに今住んでいる人、まだ出て入っていない若い人達に取ってそこに留まることで将来が有利になるようなインフラを作るべきだ。それは教育制度かも知れないし豊かな住環境かも知れない、企業にとっては研究機関が集積していることかも知れないし最低賃金が低いことかも知れないし、税法上の特典かも知れない。もっと言うなら、日本という国が今抱えている問題を解決するに当たって、東京や大阪にはない別のアプローチを提供出来ること、これが地域振興の要件だろう。 問題を設定することが一番重要で、かつ難しい。普通の人は具体的な問題さえ与えられたら 、真面目に取り組んで解決することが出来る。でもその問題設定が合ってなければ、そもそも見当違いの方向に進んでいることになる。売上が下がっていることに対して、どうすれば営業活動をもっと頑張れるのかを考えるのは問題設定が間違っている。正しいであろう問題設定は「どうして当社からではなく競合他社から買うのか」、「どうして魅力ある商品を提案出来ないのか」、「どうしてもっと顧客のことを知らないのか」という様なことだと思う。 では「どうすれば正しく問題設定が出来るのか」だが、これはまたの機会にしよう。「正しく問題を設定し、正しい方向に進むこと」は経営の根本だと思うから、よくよく考えてみたい。

経営者は優れているか?

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世の中には「経営者には特別な能力があって、だから会社がうまくいっているのだ」という捉え方がある。でもいつも思うのだけど、そんなことは全くない。ドラッガーも言っているが、「優れた経営者が天才的なヒラメキをすると言うのは神話に過ぎない」のだ。 僕は「優れた経営者」ではまだ全然ないし社長をやってやっと10年だし、未だに当社の扱っている商品や技術、それにマーケットのことも本当に知っているとは到底言えない。殆ど素人状態だ。何とか専門知識やよく出来る社員の御陰で会社は伸びている。 優れた会社の優れた経営者が普通の人達と違うと仮定するなら、それはそもそもの能力ではなくて「当事者意識を持って一生懸命に働く」、この一点しかない。立場は人を作ると言うけれど、経営者の立場で最終責任を常に負いながら、会社を潰してはならない会社を成長させなければならない、社員を幸せにしなければならない、社会に貢献しなければならないと半ば強迫観念に囚われながら毎日一生懸命働いていれば、出るべき結果は出るというだけのことなのだ。 逆に言えば、誰でも社員の立場でも、「当事者意識を持って一生懸命働けば、(経営者のように?)優れた人間になれる」ということだ。実はそれを可能にするべく考え出されたのが稲盛さんの「アメーバ経営」である。これは単なる管理会計、すなわち経営者側が組織の生産性を管理するための道具ではなく、一人一人が把握可能な単位に会社を分けて「当事者意識を持って経営をする」ための方式である。 結局、「人生を良く生きる」というのは、「当事者意識を持って自分の人生を賭けて物事に主体的に取り組む」ことでしか成り立たない。だからそれは経営者であろうとなかろうと、人間なら皆同じことなのだと思う。

最後の100メートル

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当社はIT技術などを活用しながら積極的に業務効率化を図っているが、効率化のするのはバックヤード、すなわち顧客からは見えない「事務的な部分」である。そして顧客と接する部分はあくまでアナログな人的な部分を残そうとしている。 百貨店の大丸が奥田社長の時に効率化を図ったが、これも裏の見えない部分を外注、システム化によって簡素化、コスト削減をした。その浮いた経費や人材で、顧客への接客サービスや提案に力を入れたのだ。見えない部分を効率化し、顧客との接点を充実させるという戦略である。 当社も全く同じである。当社でいうと、いわゆる間接部門には殆ど人がいない。この10年で売上が2、3倍に上がったけれど、業務人員は全く増えていない。社員の殆どが外に出てサポートや営業活動をしている状況だ。そして訪問数を増やしたり、積極的にセミナー活動なんかを行って、外向きの仕事は増える一方である。 先日社員と頼まれた資料をメールや郵送で送るとか送らないとかという話をした。効率から言うと、もちろん郵便などで送ってしまえば簡単だ。でもそれでは顧客の印象には残らないし、有難味も違う。やはり基本は担当者がわざわざその会社の依頼者に手渡しをして、かつ補足の説明もするべきなのだ。それでこそ当社の真剣味が伝わるし、郵便では得られない色んな情報収集や意見交換も可能になるのだ。 楽天の三木谷さんは、無名だった楽天に出店してもらおうと地方の商店街に出掛け、ドブ板営業をしていた。インターネットショッピングモールという当時得体の知れないものに出店してもらおうと言うのだから、熱意を感じてもらうしかない。三木谷さんは(ちょっとずるいかもと前置きしながら)わざわざ100メートル手前から暑い夏の日にもダッシュで店の前まで行き、汗をかいて息を切らせながら商談したらしい。IT会社の社長が、である。 これも最後は「熱意」というものの重要さ、効率化すべきところと効率化すべきでないところを分かっている例だ。飛行機で飛んでいって、タクシーに乗って近くまで行ったとしても、最後は「100メートルダッシュ」である。裏ではとことん効率化しつつも、最後の「顧客との接点」では決して手を抜いてはいけないという例である。 という三木谷さんの逸話を当社の某シニア技術コンサルタントにしたら、「それは僕も、遅くなって妻に叱られそうな時はよくやってます」と言われた。その通り、奥さんに対して出来ることは、郵送なんて手抜きをせずに顧客に対しても出来ますよね。

両目で皿を見て食事できる贅沢

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先日USTREAMで公開されていたソフトバンクの孫社長の講演を半分くらい観た.ダウンロードしてあるので,また何度かゆっくりと観たいと思っている. 毀誉褒貶はあるとは思うが,そのスケールの大きさは誰も否定できないだろう.藁しべ長者ではないけれど,人生において5度位,それまで持てるものを総て賭けて人生の勝負に出ている(そして総て勝っている). 一度目の勝負は16歳で渡米した時.高校の一学期を終えて司馬遼太郎の書いた「竜馬が行く」を読み,高校を退学してほぼ無一文で渡米している.先生がどうしてもなら休学して行けと言われたのに何故退学したかというと,「退路を絶たないと自分の様な弱い人間は帰ってきてしまうから」だそうだ. アメリカで猛勉強して大学に進み,一日5分の発明タイムを使って最初は1年で1000万円儲けようと思ったらしい.学生が一日5分で一千万,人からは当然クレイジーだと笑われたそうだが,実際は一年間で250の発明を考え,その中から一件はシャープに売却したパソコンの走りの様な機器,もう一件はゲームソフトで3億数1千万を手にした. それから日本に帰ってきて会社を作り,資本金全額をつぎ込んで名乗りを上げるためだけに展示会に出展した.社員はアルバイト2名の時である.そこで大手家電量販店の目に留まり,1年後には30億円の売り上げになった. それからまた持てる資金全部と借金でアメリカのコンピューター見本市を開催する会社を買収したり,コンピューター関係の会社を買収したり,その時にかき集められるだけの金額総て,実力以上の買収を何度も行っている.極めつけはボーダフォンの買収で,ソフトバンクの時価総額を遥かに上回る2兆円で,ほぼ全額借金で手にしたことである. ラスベガスのカジノで,持てるだけを総て一つの目に賭ける様なことを連続で行って総て当てたような話だが,彼曰く,「志は一度も変えていない」と言うことだ. 講演の最初の方でアメリカ留学時代の話が出た.誰にも負けない努力をしましたという話だが,講義は最前列の真ん中で食い入るように見つめ,片時も教科書を話さなかったという.食事の時も左手に本,右手にフォークを握って,両目は本を見つめている.右目の端に映る皿にフォークを突き立て,何か刺さったものを口に入れる.そのときのことを彼は,「両目で皿を見て食事できるような贅沢は僕にはありませんでした」と述懐している. なんとも凄い話だけど,稲盛さんにしても「事を成す」人は誰でも同じような努力をしているものだ.時間は同じ24時間,体力も2倍もある訳でない,とするとその誰でも同じ所与の条件で普通の人の数千倍の結果を残そうとすれば,自ずと最低でも「誰にも負けない努力」が必要になるのだ. 彼はまたこうも言っていた.「登る山を決めれば,目的の半分は達成されている.」 何を目指すか,どういう志を持つか,これが人生で一番大切なことだ. 当社もそろそろ勝負の時に来ている.志を大切にし,どうせやるなら「誰にも負けない努力」をして社会のためになりたい.また毎日,新鮮な気持ちで頑張ることにしよう.

良かったじゃないか

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何か想定していないアンラッキーと思える出来事があったときに、いつも「逆に良かったじゃないか」と思うようにしている。物事には常に二面性があるから、良いと思えることでも長期的に見ると実は悪い結果につながってしまったり、逆に悪そうに見えることでも反面良いことにつながることは沢山ある。 会社経営もそうで、売上が増えて利益率が向上している時は、逆に社員一人一人が甘くなって、いい加減な仕事ぶりが蔓延してしまう危機の時でもある。勝って兜の緒を締めよと言うけれど、これは「良いことの悪い面」みたいな話だと思う。 逆に悪いこともあながち悪いことばかりでも無い。カロリーの高い美味しいものを食べてばかりいるとその時は良いけど当然健康状況は悪化していくし、そう考えるとレストランで食べたいものが売り切れていることもアンラッキーとも言えない。商品クレームが出た時は品質改善のチャンス、受注ミスがあれば事務改善のチャンス、競争に負ければ更なる努力のチャンスである。 という訳で、アンラッキーが続く時でもめげずに「良かったじゃないか」と考えて行動したいと思います。

リスクとは何か

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会社経営をしていると「リスク」について考えることが多いのだけど、一番大事なことは「自社(自分)が直面しているリスクとは何か」について深く考えることだと思う。 この商品開発においては、投資する金額に比べて期待している利益が上がらないことがリスクである。10個開発プロジェクトをやって半分が成功しないとすると、成功する新商品の利益率は失敗するものをカバーして余りあるものでなければならない、とかいう計算になる。 こういう目の前で起こっている事象のリスクは簡単に捉えることが出来る。でも不思議で面白いのは、人間は「小さなリスク」は気になるけれど「根本的なリスク」には気付きにくいと言う点だ。 金融商品でも「リスクが高いから外国株式には投資しない」という考えもあるけれど、では日本円を日本の銀行に100%預けていることのリスクもあることには気付かない。円の値段(=為替レート)は日々変動していてかつ日本の経済の先行きを考えると(国の財政破綻で超インフレになるかも知れない)、世界的に見ると「とてもリスキーな投資」とも考えられるのだ。 目の前の募金箱に100円入れる時、募金を受け取っている人が他の目的に使ってしまうリスクは気になるが、沢山払っている税金を国が無駄な公共投資に使われるリスクはそれほど気にならない。環境悪化リスクが気になってコピーの裏は活用するが、そもそも事務所の入っているビルが新築されたり壊されて出る廃棄物が環境に与えるリスクには気付かない。 僕が個人的に考えているのは「人生リスク」である。この一回しか無い人生を振り返った時に後悔するリスクである。あれに挑戦すれば良かった、こういう人生だったら良かったとは死ぬ時に死んでも?思いたくない。思えば銀行を辞めた時も、「海外に出たいと言いながらその前提条件となる留学に行けないかも知れない、なら無職、図書館通いでも良いから今すぐ辞めるべき」とか若気の至りで辞表を先に出したものだ(結局は後から申込んだ奨学金制度に受かって、タイムラグなしに留学出来たのだけど)。これも「人生リスク」を考えた上での判断だった。 会社経営もリスクがあるが、他の人が経営している会社で働いていてその会社が倒産してしまうリスクの方が僕には怖い。それに会社経営は自分の意志でリスクを負って何でも判断出来るけど、たまたま配属された部署の上司がどうしようもないというリスクは、自分ではコントロールできないから始末が悪い。 今の経営でも、(悪い意味で)「地方の中小企業の親父」で終るリスクを一番恐れている。自社のことしか考えずしかもその自社は自分の生活や見栄のためにあると信じている井の中の蛙にはなりたくない。小さくても社会的に意味のある、社員にもこの会社で良かったと思える企業にしたい。それが出来ないことが僕の経営上の最大の「リスク」である。 やはり大事なことは、根本的なリスクに目を瞑らずにしっかりと考えるということか。どうせ人生の終りには、直面しないといけないことだろうしそれなら元気な内に、早い内に意識して行動することが重要だと思う。

売上目標

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当社に売上目標があるかと聞かれると、返答は微妙だ。もちろん営業担当者の設定目標値はあるのだが(正確には売上目標ではなくて粗利額目標)、それが「目標」かと言われるとそうでもない。 経営方針を建て方法論にしっかりと落とし込まれていれば、後は各担当者が自分たちの責務を能力を発揮すれば、予定された数値は達成出来るはず。だとすれば数値目標は「目標」というよりは「仮説の当然の結果」ということである。もしそうならなかったら、それは各担当者の目標達成の努力が足らなかったと言うよりも仮説が間違ってた=経営戦略が間違っていた、つまり経営者が悪いってことである。 だから数字が達成出来なかった担当者を責めたりするのは無意味だ、というより天に唾しているようなものだとも思っている。悪いのは担当者と言うより、担当者をそのように動かした仮説、つまりその仮説を設定した経営者が悪いのだから。 とは言っても、仮説を建てるのは何も経営者だけではない。担当者がその仮説を信じて異議を唱えず一年間検証してみて、それで結果がでなければ仮説の間違いの共犯である。 という訳でやはり担当者は設定した数値の責任を取らないといけないと言うことだ。結果にではなく、仮説を(共に)信じて実行した責任を、である。それが嫌ならやはり達成のため頑張れってことか。

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