社長ブログ

社長フィロソフィー日記

365個の言い訳

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12月の那覇マラソンを控えて今が練習のピーク(のはず)なのだが、そうすると1回に10キロ、出来れば10月11月半ば位までは月20日は走りたいと思っている。出張も多くて達成は至難の業なのだが、先週のボストンでは一緒に行った東京営業所の藤井くんと毎日12、3キロ、四日間で50キロ走れた(技術コンサルタントの菅野くんは一日だけで脱落)。続けて行ったボラカイ島では(仕事です)、雨の中、ビーチを10キロ走って脚が結構鍛えられた。あれ?、出張中の方が走れている気がする。
日本は夏は滅茶暑いし冬は滅茶寒いし、梅雨はあるし春は花粉の季節だし、快適に外を走れるのは、この時期、秋の2、3週間しかない。体調が良くて走りたいなあと思うのは年に数日しかないし、後の200日位は、無理やり少しでも我慢して外に出掛ける様な感じである。
走らない理由はいくらでも考えつく。365個のいい訳を考えつくことが出来たら(多分出来る)、一年間ずっと走らなくても良いことになる。雨が降ってる、暑過ぎる、体調今イチ、仕事が忙しい、食べ過ぎ、寝不足、幾らでもでも考えつく。だからそんなことを言い訳にしていたら、一生走れないし、そうすると一生マラソンなんか不可能だと思う。当社では僕より歳下はほぼ全員走ることになっているが(自発的です)、12月は那覇マラソン、春もどっかで走ると決めておくと、もうその時は必ず走ることが決まっているから、言い訳しても始まらない状況が出来てしまっている。この5年間はそんな感じで、仕事のプレッシャーもありながら、実はマラソンの方がプレッシャーとなって緊張感を与えている様な気がするくらいである。
こういうのって仕事も、人生の目標みたいなのも同じことだと思う。たった365個のいい訳を考えるだけで何もしなくてよくなくなる。それは人生で何も達成できないということだ。だから言い訳なしで始めてみよう、そして継続してみようというのが僕らのやり方だと思っています。

経営とは見える化

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なんか今更分って来たけど、経営とは、有益な情報を抽出し「見える」ような仕組みを作って、個人やチームが自主的に判断し、有機的に結びついて動ける様にすることだと思う。
こう書くと難しい様に見えるけど、会議をしたり顧客と話したりするのは、要するに相互理解のため、問題点の把握のため、ビジネスチャンスをよく知るためだから、わざわざそんな面倒な気合いのいる活動をしなくても、「いまこうなってます」というのが一目瞭然で「展示」されていれば、誰だってそれを協力しながら解決したいと思うものだと思う。
その際大事なのは「見える化」ということで、「見たかったら見れる」というのは全くもって不十分だ。人間は本当に面倒くさがりやで、クリックが一個増えるだけでも閲覧しないし、在庫管理でも倉庫に見に行ったりある画面にログインしなければならないのでは全くやらない。会議もそれだけ気合いがいることで、資料を準備して一カ所に集まって時間を取って、さあ考えよう!と思わなければならないのが大変ハードルが高い。
理想は報告とは思わず日記の様に日報を書く仕組みにしておいて、なんとはなしに他の人の活動は気になるから読みに行き、ブログにコメントを入れる様に意見やアドバイス、指示、Todoが入れられ、そこまで書かない人でもLikeボタン位は押せる仕組みが気軽で良い。これは見たい人がわざわざ「見る」のではなくて、ついつい「見えてしまう」仕組みである。
活動の見える化、数字の見える化、動きの見える化、技術の見える化、ポジショニングの見える化、理念の見える化など、「見る」のではなく「見える」様にすることで会社は勝手に(自律的に)回る様になる。
会社で経験を積むと、簡単なことを説明することが面倒になるし、若い人からすると「何かあるんだろう」と無表情なベテランは「よく分からない」となってしまう。これは見える化に反する。会社が幾ら複雑なオペレーションをしてようと、自分がいくら経験を積もうと、何をやっているか窺い知れないというのは危険だ。単純な仕組みに基づいて単純なことをしている、誰でも何を考え何をやっているか明らかだし、数字もガラス張りで動いている方向も理念も明確、こんな「見える化」に成功している会社はほっといても伸びていくのだと思う。
見える化にはそれなりの苦労がつきまとう。しかし当社は分かり易い、「見える会社」として運営していこうと思います。

似て非なるもの

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僕はかなり熱心なスタバファンで、ほぼ毎日2杯くらいはスタバのコーヒーを飲んでいると思う。大抵頼むのはドリップコーヒーのスモールサイズで、これをトールのマグに入れてもらって余白を作り、備えの無脂肪ミルクを多めに注ぐのが定番である。因みにスモールをスモールマグに入れてもらうと、ギリギリまでコーヒーが入れられてしまいミルクの余地がない。これは「山盛りサービス」の様に見えるが消費されるミルク(コーヒーよりずっと単価が高い)の節約対策だと邪推している。これは余談。
で、同じ様なカフェチェーンに日本人が作ったタリーズがある。余程のことがない限り(近くにスタバがなくかつどうしてもコーヒーが必要な時)にしか行かないのだが、全く「似て非なるもの」だと感じてしまう。第一にスモーキングルームがある。スタバが流行った理由の一つに全面禁煙ということがあると思うのだが、タバコを吸わない人にとって、特に香り重視のコーヒー専門店でタバコはないだろうと思っている。「空気が違う」という点で全く似て非なるものである。
第二にフードの種類が多過ぎる。パスタやホットドックなんかもある。スタバの創立者はフードの匂いがコーヒーの香りを損なうのを恐れ、匂いの出ないフードしか置かないことにした。だからスタバにはクッキーや冷えたパン類位しかなく、せいぜい匂いの少ない食事パンを暖めて貰うくらいである。だからスタバのサイドメニューは不味くて高い。販売することを拒否しているかの様でさえある。結果的にタリーズではタバコの匂いと食事の匂いが入り交じり、かつ食べ物メニューの準備のために厨房がごちゃごちゃになる。
第三に備品である。スタバでいつも感心するのは、あのテーブルと椅子が絶妙のデザインでほんとに仕事がし易い。家に買いたいくらいである。タリーズではよく分からない金属製の椅子が並んでいてほんとに使いにくい。こういう椅子とテーブルを使っていると、使っている人までがださく見えてくる。悪口言い過ぎ?
まあ両社は目指しているものが違うのだろう。それによってこれほどにも違いが出るのが企業哲学の恐ろしさである。僕らも「似て非なるもの」とか悪口言われない様に、細部に渡って企業哲学を浸透させていきたいと思います。

仕事とは何か (2)

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当社にとって「仕事とは何か」を考えると、端的に言って「他の誰もが出来ない、思いつかない、やっていないことをやって社会貢献し、かつ高収益を目指すこと」となる。「仕事」と聞けば決まったことを毎日、決まった様にやる、生活の手段の様に捉えられる場合もあるけれど、それはそれで大切なことだと思うしそれがなければ社会は回っていかないけれど、同じことを同じ考えで毎日繰り返していたら進歩はないと思う。そして当社の場合は、それは「怠慢」でさえある。
毎日同じ場所を掃除していても、端から掃くのか真ん中からか、洗浄剤を使うのか何を使うのか、道具は何を使ったら良いか、誰がやったら方が良いか、シフトはどうするかなど、工夫の余地は幾らでもある。システム(仕組み)にして効率的なやり方を考えれれば、それは他の現場で活かせるし、もしかしたら新しい清掃方法として他社にも販売、全国FC展開なんかも出来るかもしれない。
毎朝起きて、車に乗り込み、顧客のところに移動して1時間程商談する、それを一日4、5件回って月末に数字が出て来て褒められたりハッパをかけられたりするだけの営業活動は、それを10年やってたんじゃあ(たとえ売り上げが上がっていても)進歩がない、怠慢だと思う。
そうすると当社の仕事は何かと考えると、他社が出来ないかつ社会が必要としていて当社しか出来ないことがあるなら、それを求めてひたすら知恵を絞り、仕組みを作り、少人数でそれを実現していくことだ。毎日同じことをやって汗をかいて満足しているだけでは駄目だ。汗をかかないとみえてこないことがあるから、汗はかけば良い。でもずっと「いい汗かいてすっきり」している様であれば全然駄目、常に「自分の仕事はどういう意味があって、それは自分しか出来ないことなのか、もっと大きな枠組みで仕組み化して、10人分100人分のインパクトを与えられないのか」を追求していかねばならない。
という訳で当社は汗をかきながら、頭の汗もかきながらがんばります。

ストレッチ (3)

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最近母校の水球部監督をしている後輩と話しをすることが多いのだけど、最近の高校生も保護者も全然分ってないと彼は嘆いている。全国大会の予戦となる地区予選を修学旅行で欠席したり、日焼けするからと言って屋外での合宿を休む生徒もいるらしい。人生を賭けてやる位のチャレンジなのに、そんなことで?とガクっとしてしまう様な有様らしいのだ。
高校生のクラブ活動は、元々「到底無理と思えることを無理矢理やらされる」ところに意義がある。一見出来ないことを無理に伸ばされるから、「ストレッチ」と呼ばれる。その無理難題な経験、そして自分でも意外にもやり切れたという経験は、その後の人生において「根拠のない自信」を植え付けることとなる。つまり「あんな練習に耐えれたのだから、これ位は楽勝だ」というまあ関係がある様なない様なことでも自信を持てるのだと思う。僕の場合は、「一日15キロ泳げたのだから10時間くらいの受験勉強は楽勝だ」とか、「英語くらい出来なくったって留学は全然余裕」とか、そういう風に応用?が効いた。
それを自分の実力の八掛けしかやれない、やろうとしない生徒、自分の(乏しい)経験でしか考えれない保護者はちょっと違うんじゃないかと思う。ストレッチどころか、現時点での実力以下のことをやって伸びる訳がない。無理難題に挑戦するのは高校生の間であって、その時に当然出来ることをやって充実感はあるのかなと思う。
これは会社でも同じ、出来る範囲でやっていたんじゃ成長はない。組織として「出来なさそうなこと」にチャレンジし、「やってみたら意外に出来てしまった、これって凄い!」という経験を積み重ねていくのが大事だと思う。当社はその意味でいつも挑戦を続けたいと思う。会社も青春、そのスピリッツを持っていることが発展につながる、そして世の中のためになると思うから。

ウェブサイトが新しくなった

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当社のウェブサイトがようやく新しくなった。おそらく前のバージョンは10年位前に立ち上げて、少しずつコンテンツを継ぎ足しした様な感じになっていて実態にはだんだんと合わなくなってきたので心機一転、全面改訂となった次第だ。
http://www.semco.net/index.html
ウェブサイトの刷新作業を通じて感じたのは、当社の事業領域が10年前とは全然違うものとなっていることだ。当時はまだまだ機材中心のメーカー色が強かったけれど、現在ではおそらく機材販売は10%以下、主な売上は薬剤を中心とした消耗品になっているし、活動自体もセミナーやコンサルティング、またはソフトウェア開発などのソルーション事業が中心になっている。
この変化は実は意識した結果ではないのだけど、市場や顧客のニーズ、世の中の変化に反応していった結果論でこうなった次第だ。目の前の顧客のニーズから新しい商品を開発することもあるし、業界の方向性を考えてちょっと早過ぎる位のサービスを展開することもあるし(数字になりにくい)、セミナーも無料で顧客のレベルアップのためにあちこちで開催したり、特にソフトウェア開発が絡む事業はもしかしたら理想的主義で、すぐには取り入れられない様なものもある。
企業ウェブサイトは自社が世の中に向かって「こういう事業をしている、こういう特色のある会社です」というアピールノバであるのに加えて、自社が自分のあり方を再確認する場でもある。その意味でまだまだ当社のウェブサイトは統一感や方向性が出ていないかも知れないが、それはそれで成長過程ということなんだと思う。何か感想があったら教えてください。

勝てる喧嘩

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最近日韓や日中の関係が悪化して来ている。特に領土問題が焦点にあるのだけど、問題は竹島とか尖閣諸島の領有権にだけあるのではなくて、喧嘩を売られている状況にあると思う。喧嘩を吹っかけるというのは、相手に勝てると思っている時、相手との関係が悪くなっても良いと考えている時である。誰も最初から負けると分かっている喧嘩は最初からしないし、仲良くやっていきたい、この人に嫌われたら困る相手に相手が失礼と思うことはわざわざ行わない。韓国や中国が日本にとって挑発的な行為をとるということは、要するに日本との関係は悪化しても自国には大した影響がないし(韓中、もしくは韓米、米中関係が大事)、戦って勝てる相手と考えている結果だと思う。
成功しそうな事業しかやらない(だから自社の強みを冷静に考えて勝てる手を打つ)、入るシュートしかうたない(だから事前のポジショニングやシュートのうまさが大切)というのは基本である。逆に言うと新規事業に乗り出す、シュートをうつというのはかなりの自信の現れだと考えて良い。
こうやって隣国から喧嘩を売られ、シュートをうたれ、ライバル会社が自社を狙ってどんどん仕掛けてくる状況は大変良くない。要するに自分が弱いからそうなっているだけのことである。ナショナリスティックにあいつらはけしからんと言っても始まらない。国力を上げ、自社を強くし、試合にも勝てるチーム作りをしないとこの風潮は収まらないと思う。

成果主義

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僕はよく合理主義者の宇宙人と呼ばれることが多いけれど、当社は成果主義は採用していない。その理由は、逆説的に聞こえるかもしれないが、成果主義で解決するには難し過ぎる課題に取り組んでいるからだ。
いわゆる成果主義は、ルールが決まっていて「後は必死に何かするだけ」の場合に有効だ。商品と顧客層が決まっていて、必死で営業して何度も通って営業担当者が数字を競い合うビジネスなら人参をぶら下げた成果主義は合っているかも知れない。でも答えが明確ではない、短期的目的と長期的目的との最適化を図らないといけない、技術と営業の両面からアプローチしなければならない、中長期的なトレンドを踏まえなければならない、買ったり負けたりする中で安定的な成長を達成しなければならないというような複雑な方程式を解くためには、個人ベースの成果主義はうまく機能しない。
当社の場合は技術担当者と営業担当者が補完し合う、営業担当者間で協力し合う、経営企画が中長期的な課題に取り組む、それらの活動が一体として有機的に絡み合うという複雑なオペレーションが強みである。そうすると誰の手柄かなんか特定するのも面倒くさいし、実際「色々やってうまくいってる」のが現状だから、個人ベースの成果も計りようがない。
全く違う話しになるが、学校の内申書も同じ意味で僕はあまり信じていない。学校の内申書を重視出来るのは、学校で習うことで大体人生やっていける時代だけである。学校で習うことで人生やっていけるなら、つまり真面目に学校で勉強してせいぜい成績を上げることが実際にためになる。でも今の時代の様に不透明で答えがない時代においては、学校が決めたルール=学校の成績=内申書が良いからと言ってあまり意味がない。だから内申書=ルールが決まっていて後はその枠の中で良い成績を取るだけという成果主義は、ルールが決まっていない、答えが明らかでない、複雑な世の中で生きていくには不十分であるばかりか、「成績が良ければそれで良い」と勘違いさせるという意味でミスリーディングでさえある。それよりも学校が言わないといけないのは、学校の勉強は本当に最低限のことであって、「これだけでは全然生きていくのにはふじゅうぶです、これ以上は自分でしっかり考えてください」くらいのことだと思う。
「これさえ勉強していれば大丈夫」とか、「個人成績に応じて人参をぶら下げていれば大丈夫」とか言うのは直線的に社会が発展している時にしか通用しないことだ。だから当社は成果主義を採用していない、日々直面している問題、チャンスが複雑過ぎるから。

シュートセンスの良さ

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今年の夏休みは十分取ったことに加えて、例年にも増して母校の水球部の観戦に出かけている。残念ながら水球が母校で始まってからの約50年間で最悪に近い成績で、現役諸君にも奮起してもらわないといけない状況だ。原因は色々あるだろうけれど、進学校において学業との両立が難しいとの印象がある、全国大会を目指す熱心な体育会への入部が減っていることがある。頭数が少ないから辞めてもいいやと思って厳しい練習をする訳にもいかず、厳しい練習をしないから弱くなって成績が残せず、成績が残せないから中途半端に厳しいクラブの人気がなくなるという悪循環がある。まあ何とかしないといけないのだが、これが会社の経営に並んで(それよりも?)もっかの悩みのタネである。
さてこの水球を観戦していると、シュートセンスの良さ、悪さみたいなのがあることに気がつく。シュートはよく「思い切って撃て」とか言われるけれど僕に言わせるとそんなことはない。「思い切って撃て」というのは「入るか入らないか分からないけれど、取りあえずゴールに向かって力強く撃ってみろ」というニュアンスがある。でも水球はその性質上、相手ボールになってしまったらまたディフェンスのために自陣に必死で戻らないといけない。シュートを思い切って撃った選手はいいかも知れないけれど、シュートを外されてそのためにまた必死で戻って泳ぐはめになる他の選手にとっては迷惑な話しである。僕はよくプールの中で、「撃つな〜!」と叫んでいた。そんなシュートを撃っても入る確率が低い、なら絶対入るシュートを撃ってくれ(さもないと泳ぎの苦手な僕は帰れない)との思いからだ。
シュートは入りそうなタイミングで、入る場所を狙って撃つものだ。そして外れても味方が詰めていけるコースを狙うべきで、入るかどうか分からないシュートなんて撃ってもらいたくない。
全く同様なことは経営、普段の仕事にも言える。「いいかも知れないけれど全くどうか分からない案件」もそうだけど、「如何にも駄目そうな案件」に周りの人、もっと悪いことには顧客まで巻き込んで始める「プロジェクト」はいただけない。やり始めれば「嘘が真になる」ケースもあるだろうが、大体において「最初から駄目そうなものは駄目」、「いけそうなものはいける」ということだろうと思う。だからいけそうなのか、駄目そうなのかをセンス良く見抜いて、成功までのストーリーをきっちり描き、そこから得られる収益のことも一瞬にして計算してから「シュートを撃つ」というのが正解だと思うのだが如何だろうか。

試合は勝っても負けても良い?

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オリンピックでは「参加することに意義がある」と言われるし、メディアでも世の中の風潮でも、「勝っても負けても『敗者』はいない、精一杯頑張った皆が勝者だ」みたいな言われ方をする。
でもやっぱり試合には勝たないと意味がない。特に必死で練習していたなら尚更だ。苦しい思いをして、他のことを大部分諦めて毎日毎日練習に明け暮れた人にとっては、「勝った瞬間」だけが楽しい時ではないかなと思う。という様なことをあの貴乃花親方が言っていた。まさにその通り。
逆に大して練習していないのなら、負けて悔しい思いをする資格もない。高校生なら学校の行事に参加して普通に勉強もして塾にも通って、試験前は練習を休んで、試合と重なってももちろん修学旅行にも行って、それでいて大事な試合に負けたとしたらそれは悔しがる資格もなければ、たとえ勝っても大して嬉しくもないはずだ。
要するに必死で練習していたら勝たないと意味がない(それしか楽しみがない)、必死で練習していないのなら別に勝っても負けても大したことはない(何も楽しみはない)。まあそういうことだ。
で、経営も全く同じ。大して努力していないのなら利益が出ようと出まいと大した話しではない。頑張っているなら利益をあげて社会貢献していないと意味がないってことだ。当社は勿論頑張って、そして結果を出す様にしたいと思っています。

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