社員紹介
川上 裕志
東京支店 営業部 リーダー
東京支店 営業部 リーダー
2005年入社・東京支店 営業部
札幌国際大学人文社会学部 国際文化学科 卒業
学生時代に1年間、北京に留学した。まだ古い町並みが残る中国、ネットもつながりにくい時代に言葉を覚えながらの独り暮らしで度胸を培った。環境機器に第二新卒として入社したのは、まだ東京には事務所もなかったとき。そこで前任者から業務を引き継いで営業所を立ち上げ、北海道から新潟、神奈川までを営業担当として奔走する。やがて東京営業所はスタッフを増やし売上も伸ばしていき、今では東京支店となっている。
縁があったということなのでしょう。新卒で就職したのは、製菓の卸売業でした。といってもいわゆる就職氷河期世代ですから、決して望んで入ったわけではありません。とにかく片っ端から入社試験を受けまくって、ようやく合格した会社だから否応なしに入りました。そのため仕事をしていても、今ひとつなにか違うなという感覚を拭えませんでした。そんなとき知人が、環境機器という会社が営業マンを探していると教えてくれたのです。
とりあえず、という感じで社長と逢って30分ほど面談してもらい、直ちに入社を決めました。今から20年前の若造にとっては、当時の(今もですが)社長はすごくかっこよかった。自分もこんな大人になりたいと思ったのです。
実際にはそれほど苦労したとは思っていません。前任者がいて、その埼玉の自宅が事務所を兼ねていました。その方が65歳で引退するため、営業マンが必要だったのです。2月に入社して1カ月の間、大阪で研修を受けました。何しろ環境機器が何をやっている会社なのか、どんなお客様を相手にするのかもまったくわかっていなかったので、世の中にはこんな仕事もあるのだと興味津々でした。だから仕事を始めるのが楽しみだったのです。
研修後に東京に移り、マンションの1室を借りて東京営業所を立ち上げました。最初は自分の住むところもなかったので、事務所に布団を敷いて寝て、風呂がないから近所のスポーツジムの会員になって風呂だけ入りに行く。そんな生活をしながら仕事に慣れていきました。
前任者から引き継いでからは1人です。今から考えれば、よくやったなと自分をほめてやりたいぐらいです。といっても、極めて楽観的な性格だから、何も不安などなかったのが正直なところですが。もちろん最初の間は前任者に同行してもらってお客様を回りました。当時はマニュアルなどもなくて、仕事はそうやって実地で覚えていくものだと思っていました。
実際には、すべてお客様から学んでいったというべきでしょう。訪問するたびに何らかの課題を出していただき、それを持ち帰って調べて課題解決の提案をする。実際に業務をやっていくなかで、環境機器は仕事をやりやすい会社だと改めて思いました。
なにしろ私自身は、専門的な知識などほとんどありません。だから、お客様の要望に応えるためには、とにかく社内の誰かに聞くしかない。当時は電話もしくはメールベースでしたが、それでも尋ねれば必ず誰かが教えてくれます。
もちろん、ときにはお客様の要望に応えきれなかったため、怒られるケースもありました。そんなときに注意して考えるよう心がけていたのが「お客様が怒る理由」です。いわゆるBtoBtoCのビジネスですから、目の前で怒っているお客様は、そのお客様から何らかのクレームをいわれたのです。そこまで遡って考えられれば、解決策は出てくる。そのうえでトラブルを解決できたお客様は、私を信頼してくださるようになる。この信頼を土台として関係性を深めていけます。
社内でのコミュニケーションについては、日報システムができてからより風通しが良くなりました。特に営業としては、全国各地の営業が拾い上げてくるお客様のニーズが、日報に集約されているのが何より役に立ちます。日報には、お客様対応のヒントがいくらでもある。さらにいまでは日報上で議論できるようにシステムが改良されていて、これは環境機器のちょっとしたビッグデータではないかと思います。
東日本地域を担当していた営業としては、やはり2011年の東日本大震災です。この震災はおそらく、一生忘れられないと思います。当然、当社のお客様も多くが被災されました。すぐにでも行きたかったけれどそうもいかず、現地入りできたのは震災から1カ月ほど経った頃です。そこで大阪から来ていた社長と会い、被災地の今後の状況について話し合いました。
季節が進んで温かくなってくると、何より懸念されたのが害虫の大量発生です。津波によって大量に打ち上げられた魚などが腐敗し始めると、虫が湧いてくるのは避けられません。そうなってしまうと、ただでさえ避難生活で苦しんでいる方々の衛生状況に大きなダメージを与えてしまう。だから専門知識と資材を兼ね備えた当社が、防虫活動のリーダー役を務める、この一連の流れはとてもスムーズに運んだと思います。実際に防除作業に当たられたのは、被災された当社のお客様です。そのお客様の活動の一助を担う中で、自分としても一皮むけた実感がありました。
東京支店は、立ち上げて2年後に3人体制となり、今では4人にまで増えました。その結果、支店内で共有できる情報量も一気に増えています。当社の社員構成を考えると、自分たちの世代が一つの塊となっていて少しバランスが悪い。だから若い人にどんどん入ってもらって、新陳代謝を進めているところです。
そんな動きの中で、まずは東京支店をもっと大きくしていきたいと考えています。できれば10年後には50人ぐらいの体制にしたい。実現できたときには、私自身もなにか新しいチャレンジをしているはずです。
いろいろな人と一緒に働くのが何より楽しいので、ぜひ多種多様な人材が入社してくれるよう期待しています。当社への入社を考える人に求めたいのが「自分が世の中に貢献する手段として環境機器を利用する」ぐらいのスタンスです。虫に対する好き嫌いなどまったく関係ありません。ぜひ、さまざまな人にチャレンジしてもらえればと思います。